四の名
王宮の自分の部屋に戻ると、 解放された気持ちになりながら長椅子に腰掛けた。
「生家に帰ってこんなに疲れるなんて、なんだか変よね」
休む間も無く、外出の後片付けをしているフィーアに言う。
「エレナ様は影で動くのに向いていない性格ですからね」
フィーアはてきぱきと片付けを終えると、今度はお茶の支度を始めた。二人だけで話す為人払いをしているせいで、フィーアの仕事が増えている。
自分だけがのんびりと休んでいる事に気まずくなり、「お茶入れるの手伝うわ」と声をかけたけれど「結構です」とあっさりと拒否されてしまった。
大した時間がかからずお茶がエレナの前に運ばれる。フィーアはエレナに断り自分の分も入れると斜向かいに有る小さな椅子に腰掛けた。
「では落ち着いたのでカーナ家での調査の成果を報告します」
フィーアが調べていたのは、カーナ家の歴史と言う分厚い書物だった。
「人を操る術の事は載っていた?」
「アレス様がおっしゃていた、秘術の事に関する記載は有りませんでした」
「……そう」
それならば、アレスが言ってた事は偽りなのだろうか。
(でもアレス様は嘘を言ってる様な態度ではなかったけど。という事は)
「アレス様は誤解されているのかもしれないわ」
「え?」
フィーアが怪訝な顔をする。
「アレス様の話が嘘だとは思えないけど、カーナ家が古秘術でサリアを支配してるなんてやっぱり有りえないわ。アレス様は誰かに間違った事を聞いてそれを信じてしまっているのよ」
エレナの言葉をじっと聞いていたフィーアは、しばらくすると大きな溜息を吐いた。
「あの王太子殿下が他人から聞いた話を鵜呑みにする訳が無いじゃないですか。何か根拠が有っておっしゃてると思いますよ」
「根拠って何?」
「分かりません。でも私はカーナ家の歴史に人を操る秘術の記載が無かったと言うだけで、《やっぱり秘術なんて無いんだわ》って思えるエレナ様の思考の方が問題かと思います」
「ど、どうして?」
「本当にそんな技が有ったとして、屋敷の書庫に堂々と保管してある本に書いてある訳が無いじゃないですか! 秘密でも何でも無くなってしまいますよ」
「……確かにそうよね」
秘術と言う位だから秘密なのは間違い無い。
「ねえ、それならフィーアが言ってた気になる事って何なの?」
「それはこちらをご覧下さい」
フィーアはそう言いながら、カーナ家の書庫で書き移して来た紙を差し出した。そこには約二百年年前から最近迄のカーナ家の当主とその隣に代々の国王の名が記して有った。
「これは?」
「エレナ様はこれを見て違和感は有りませんか?」
「違和感?」
チラリと見た限りでは特におかしな事は無かったと思ったけれど、もう一度良く見直してみる。
(これと言って何も無いと思うけど)
けれど違和感なんて何も無いとは言いづらい。さっきからフィーアには呆れられてばかりなのだから。
「えーと……カーナ家の当主に比べて国王陛下は多いのね」
正解では無いだろうと思いながらもそう言うと、フィーアは嬉しそうに顔を輝かせた。
「そうです! カーナ家当主の代替わりの間に国王陛下は何人も代わっている事が有るんです」
(当たりなの? 苦し紛れに言ったんだけど)
エレナの内心の呟きに気付かず、フィーアは話を進めて行く。
「おかしいと思いませんか? カーナ神官長はとっても長生きで、国王陛下は若くして亡くなってしまうなんて。一度や二度なら分かりますが、これだけ多く続くのはおかしいです。それに!」
フィーアは力説しながらもう一枚の紙を差し出した。
「この名前ご存知ですか?」
紙には幾つかの名前が書いて有る。
“ユリエル”“メーガン”“デイル”“カヤ”
「カヤって、セーラ姫の侍女のカヤ?」
「いえ。この名前が登場したのは先程の表の一番初め。今から約二百年年前の事ですから流石に別人かと思います」
「そんな前にもカヤって人が居たのね。サリアでは割と珍しい名前なのに」
「そうですね。サリアの古い言葉で“影”という意味ですから、子供に名づける親は少ないのでしょう。残りの三つの名前も古語では人の名前には相応しくない意味の言葉です」
「そう……フィーアは凄いわね。古語にまで詳しいなんて。でも名前を付けた人は古語の意味を知らなかったのかもしれないわ。私も今日初めて聞いたし」
「エレナ様はさらっとですが歴史の先生に習っていましたけどね。私が覚えたのはエレナ様に付いていたおかげですから」
「そ、そうなの?」
サリアの歴史や各言語の教育はカーナ家の屋敷で一通り受けたけれど、あまりに退屈だったから殆ど記憶に残っていない。けれど、フィーアが言うならその通りなんだろう。
「私はともかく名付た人は知らなかったのよ。きっと」
サリアの大貴族の娘で有るエレナが受けた教育と、一般の家庭とでは教育内容が違うはずだ。
「それは考えられません。カヤの名を持つ女性は皆、カーナ家で重要な役割を担っていました。詳しい出自は不明ですが一般人とは思えません。多分サリアの貴族、それもカーナ家に縁の有る家の人間でしょう。そんな家に生まれた人間が適当な名前を与えられるとは思いませんけど」
「でも、実際居たんでしょ?」
少し縁起の悪い名前だって言うだけで、なぜフィーアがここ迄気にするのか分からない。この話は置いておいて、アレスの気にしていた“人を操る術”について話したいのだけど。
「ねえ、その事は後で考えるとしてアレス様の言った事を確かめたいの。確かにフィーアの言う通りカヤって人達の両親がうっかり名前を付けたとは思わないけど……あれ?」
自分の言葉に違和感を持ち、エレナは首を傾げた。
「どうしたのですか?」
「ねえ、フィーアはカヤの名前を持つ女性は皆って言ってたわよね。同じ名前の女性が何人も居たの?」
フィーアはようやく気付いたか、といった表情で頷いた。
「そうです。ここ二百年年の間に三人ものカヤが存在します。それからセーラ様の侍女のカヤを入れると四人になります」
「四人も?」
それだけの人数になると、流石に偶然とは片付けられない気がする。
「ねえ、他の名前の人も一人ではないの? デイルとか、メーガンだっけ?」
「そうですね。一番多いのは“カヤ”ですが」
「……どういう事なの?」
「分かりません」
フィーアはあっさりと言い、再び手元の紙に視線を落とした。
「でもこの四つの名の人物達の特徴は、はっきりしています。国王陛下の代替わりの時に現れ、カーナ家にとって重要な働きをしているのです」
「国王陛下の代替わり……つまり国王陛下が亡くなった時って事?」
「そうとは言い切れませんが、とにかく当時の国王陛下がその地位を追われた時です」
「ねえ。その人達はカーナ家に縁の有る家の人って言ってたけど、詳しい事は分からないの?」
何だか嫌な感じがする。不安で落ち着かなく胸がざわざわとする様な。
「分かりません。ですがカーナ家内での地位やその役割を考えると身内に近い存在だとしか思えません。そもそもカーナ家の歴史に名が残っているのは時の権力者とカーナ家の一族の人間ですから」
「カーナ家の一族……」
アレスが疑っている人を操る術について分からなかった代わりに、知ってはいけなかった事を知ってしまった様な気がした。黒い靄に取り付かれてしまった様な重苦しさを感じる。
「何か……嫌な気持ちになるわ」
思わず呟くと、フィーアも同じ気持ちなのか頷きながら言った。
「真相は分かりませんでしたけど、カーナ家には何か秘密が有りそうです。しばらく近付かない方が良いかもしれません」
「私の生まれた家なのに?」
「エレナ様がまた行きたいと言うなら私は従います。ただ今日書庫で何かを調べていたと言う事はカーナ家の皆に知られているはずです」
「そうよね、セーラ姫に会ってしまったんだから」
そしてカヤにも。
「どうしますか?」
フィーアがエレナをじっと見つめながら言う。エレナの決断を待っている様だ。
(私はまだどうしていいのか分からない)
カーナ家の事も分からない。ただ漠然とした不安が有るだけだ。
だからその言葉を発したのは無意識だった。
「セーラ姫の侍女カヤの事を調べられる?」
「はい」
フィーアはエレナの答えに少し驚きながらも、静かに頭を下げた。