赤ずきん
むかしむかし、ある村に小さな女の子がいました。その女の子はいつもお気に入りの赤いずきんを被っていたので、赤ずきんと呼ばれていました。
赤ずきんは透き通るような白い肌と美しい金の髪を持っていたので、村のみんなからも森の動物たちからもたいそうかわいがられていました。
赤ずきん自身、自分が他の子供たちよりもかわいいことはわかっていました。同時に、その自覚を表に出さないほうがよいだろうということも承知していました。
*
「こんにちは、赤ずきん。今日もかわいいねえ」
赤ずきんが森の中を歩いているとオオカミが声をかけてきました。このオオカミは赤ずきんのことが大好きです。彼女がおばあさんの家に向かう森の中の道を通るとき、いつも待ち伏せして声をかけるのです。
赤ずきんはうっとうしそうに髪を耳にかけてから、すぐに表情を取り繕いました。
「ありがとう、オオカミさん。でも、ワタシなんてそんなにかわいくはないわ」
にこりと笑う顔にはほんの少しの自信の影。しかし、そんなものは惚れているオオカミには見えません。
「なんてこの子は謙虚で清らかなんだろう!」
心の中で叫んでいました。
「ワタシ、おばあさんの家に行かなくちゃ」
立ち去ろうとする赤ずきんをオオカミは慌ててひきとめました。
「ちょっと待っておくれよ。今日は大事な話があるんだ」
「なあに?」
オオカミは恥ずかしがって斜め下を見ながらにやにやと笑ってはしばらく言いよどんで、枯れ葉をつま先でぐりぐり潰しました。そんな情けない姿に赤ずきんがうんざりして立ち去ろうとすると、やっと口を開きました。
「オ、オレはね、とても強いよ、強いんだ。この鋭い爪と牙がありゃどんな動物もいちころさ。かっこいいだろう? 勇ましいだろう? そ、それにね、オレはね、赤ずきん、君のことを本気で愛しているのさ」
「どういう意味?」
また恥ずかしそうに、にやにや笑いました。
「オレと結婚しよう。赤ずきん。きっと幸せにするよ。ほ、ほんとさ」
赤ずきんは呆れてものも言えません。
「このウスノロは何を言っているんだろう。バカバカしい。ワタシがこんなヤツと結婚? ふざけるのにも限度というものがあるわ」
そう言ってしまいそうになるのを喉元で押さえ込んで大きく一つ深呼吸しました。かわいい赤ずきんは悪口を言わないのです。オオカミにはその動作が、心の準備をしているように見えて、思わずごくりと唾を飲み込みました。
赤ずきんは適当にごまかしてしまおうと思いました。しかし、ふとある考えが浮かんできました。力試しのようなことをしようと考えたのです。
「ごめんなさい、オオカミさん。あなたと結婚はできないわ」
オオカミはまさか断られることはないと思っていましたからびっくりしてしまいました。
「なぜ? なにか理由があるのかい?」
「ワタシもアナタと結婚したいわ。こんなにたくましい人と結婚できたら何てうれしいことでしょう。きっと毎日安心して、ゆったりとした幸せを感じれるに違いないわ」
ますますオオカミは混乱してしまいました。
「でも、ワタシには年をとったおばあさんがいるの。おばあさんは村のハズレに住んでいて、絶対にワタシたちの村の近くに引っ越そうとはしないわ。だけど、もう体が弱くて自分のことを自分ではできないから、ワタシが世話をしないといけないの。だから結婚をする余裕なんてないの。ごめんなさい」
赤ずきんは時々、声をつまらせながらそう言うと下を向いてしまいました。口の端が釣り上がるのを抑えられなくなったのです。オオカミはうつむく赤ずきんを見て思いました。
「かわいそうな子だ! 健気で純真で。ああ、何て、何てかわいいんだろうか! 必ずお嫁にしてやろう」
オオカミは事情はすべてわかったと言うような顔をしました。
「わかったよ、赤ずきん。お前も大変なんだね」
「ええ、そうなの」
「それじゃあ、せめてこの森のキレイな花がいっぱい咲いている道を教えてあげるよ。そっちの道を歩いておばあさんの家に行くといい」
「ありがとう、オオカミさん」
オオカミは遠回りな道を教えました。赤ずきんがその道を歩いていって姿が見えなくなると全速力で、赤ずきんのおばあさんが住む家へ駆け出しました。
「赤ずきん、待っていておくれ。オレがあの老いぼれババアを殺してあげるからね」
*
赤ずきんは自分の歩いている道が遠回りだとわかっていました。
「あのオオカミはおばあさんをワタシのために殺すつもりね」
そう思うと赤ずきんは嬉しくなってしまいました。
自分が願うだけで人を殺せる。しかも自分の美しさによって。それは赤ずきんにとっては途方もなく甘美な響きでした。
「おばあさんが本当に死んだら次はどうしましょう。そうだ、意地悪なあの子がいいわ。次はあの子とあの子。しまいには村のみんなオオカミの腹の中かしら」
自然と鼻歌がもれ、スキップをしていました。金髪が森に射し込む太陽の陽をきらきらと反射しました。そんな美しい姿を見て森の動物たちはみんなにっこりと笑いました。
「アハハ。なんて愉快。でもきっとワタシの力は期限付き。使えるときに使わなきゃ」
*
おばあさんがベッドで眠っていると、誰かがドアを叩きました。
「あら、私のかわいい赤ずきんね」
いつもおばあさんの家に来るのは赤ずきんだけですから、おばあさんはまさかオオカミだとは思いません。
「かんぬきは外してあるよ、赤ずきん。入っておいで」
ドアの向こうで爪をむきだしにしていたオオカミは、大きな音を立てながら勢いよくドアを開け放ち、そのままおばあさんに飛びかかりました。おばあさんは声を出す暇もなく頭から食べられてしまいました。
おばあさんの体は骨、皮、あと泥のような血しかなかったので、まったくおいしくありませんでした。オオカミは眉間にしわを寄せながらもどうにかこうにか、食べきりました。
「ああ、ひどい味だ。でも、これでオレと赤ずきんの間の障害は消えた!」
オオカミは赤ずきんが帰ってくるのを待つことにしました。おばあさんは自分が殺してあげたということを早く知らせたかったのです。しばらく手持ちぶさたで部屋の中をうろうろしていましたが、いいことを思いつきました。赤ずきんを驚かせてやろうと考えたのです。
オオカミはクローゼットからおばあさんが着ていた服を引っ張りだして着て、おばあさん愛用だった帽子を被ってベットにもぐり込みました。掛け布団を口と鼻を隠すために、引き上げながら、赤ずきんが驚くところを想像してニヤニヤしました。
「驚いたあとに喜ぶに違いないぞ。勢いあまって抱きつかれたらどうしようか」
その瞬間を考えると、とろとろに煮込まれたような幸せな気分になるのでした。
ドアをノックする音が聞こえました。オオカミの心臓は口から飛び出るほど跳ね上がりました。
「おばあさん、赤ずきんよ」
「ああ、赤ずきんかい。入っておいで。かんぬきは外してあるよ」
オオカミの汚い声はおばあさんと全く似ていませんでしたから、赤ずきんにはすぐにその声がオオカミだと気づきました。オオカミがおばあさんのマネをしているのを不思議に思いながらもドアを開けました。
中に入ってみてもオオカミの姿はどこにも見えません。
ベッドに向かうとおばあさんの格好をしたオオカミが寝ていました。その顔をのぞき込みながら勘のいい赤ずきんはすぐにオオカミの考えていることを察しました。
「ワタシを驚かせようとしているのね。きっとおばあさんを殺してくれたのだろうし、付き合ってあげる!」
赤ずきんは口元に微笑をたたえながらオオカミに問いかけました。
「どうしておばあさんの耳はそんなに大きいの?」
「それはね、お前の声がよく聞こえるようにさ」
オオカミは赤ずきんの顔が近いことにドキドキしながらもどうにか答えました。
「どうしておばあさんの目はそんなに大きいの?」
「お前がよく見えるようにだよ」
オオカミは赤ずきんが自分がオオカミだと気づいているのか気づいていないのかわかりませんでした。なんだか段々と自分が間違ったことをしたのではないかという気がしてきました。
「もしかしたら赤ずきんはおばあさんに死んでほしいなんてこれっぽっちも思っていなかったのかもしれない。もしそうならばどうしよう。いや、そうに違いないじゃないか。赤ずきんはやさしい純粋な女の子だ。人を殺してほしいなんて願っているはずがない。ああ、取り返しのつかないことをした。見ろ、赤ずきんの顔を。不思議そうにしながらも少し笑っているじゃないか。オレがオオカミだって気づいているんだ。きっと、オレとババアが協力して赤ずきんを驚かせてやろうとしているくらいに考えているんだろう。オレが真実を知らせてしまえばこの子はどんな顔をするだろう。考えるだけで胸が張り裂けるようだ! 人を信じることができなくなるかもしれない。それは大変だ!」
オオカミはひとりぐるぐるぐるぐる悩みました。赤ずきんが人を信じられなくなって純粋でなくなることは何よりも嫌なのでした。
「赤ずきんが何が起こったのかわかる前に食べてしまおうか。そうしたらこの子はずっと純粋なままだ」
そんな考えがぽんと浮かんできました。
「ダメだ。そんなことはしちゃあいけない」
頭のすみに考えを追いやろうとしますが、うまくいきません。
赤ずきんの雪のような肌を見て、その中身を想像するとヨダレが止まらなくなりました。
純粋なままでいてほしいなんていうのは実際は言い訳にすぎませんでした。もうオオカミは耐えられません。
「どうしておばあさんの口はそんなに大きいの?」
「それはお前を食べるためさ」
オオカミは赤ずきんに飛びかかって頭からかぶりつきました。やわらかくて、みずみずしくて、それはそれはおいしい肉でした。赤ずきんは何が起こったのかもわからないまま、頭をつぶされ、首をおられ、オオカミの腹の中におさまってしまいました。
*
オオカミはパンパンになった腹をさすりながらこれでよかったのだと思いました。赤ずきんは純粋なまま汚れを知らずにこの世から消え、自分はとてもおいしい赤ずきんを食べることができたのですから。しかし、満足感に浸りながらもなにかを間違えてしまったような気がして、胸の奥がずっとすうすうするのでした。