蘇芳神社のカデ祭り
蘇芳神社のカデ祭り
文芸部の部室のカレンダーを見て、江藤賢二はため息をついた。
明日はついにカデ祭り。四年前に重傷者を出して以来中止になっていた、あの悪夢の祭りが再開してしまう。こればかりは高校三年生の特権「受験生だから」も通用しない。「受験に合格するのも福のうち」とでも言われて参加させられてしまうのがオチだ。
「どうしたんですか?」
中学時代からの後輩である長谷川愛が、賢二に不思議そうな声をかけてきた。
「明日のカデ祭り」
賢二がぶっきらぼうに言うと、愛はしかし、きょとんとしていた。
「かでまつり?」
彼女はカデ祭りを知らないらしい。そう気づいた賢二は、愛に聞いた。
「長谷川の家、どこだったっけ?」
「下平です」
「じゃあ知らないか」
蘇芳町の人間でないのなら、知らなくてもおかしくはない。それに、彼女が賢二の中学に転校して来たのは、彼女が二年生で自分が三年生の年だった。ちょうどカデ祭りが中止になった年である。
「蘇芳神社って分かるか?」
「知ってます」
「あそこで明日の夜、『カデ祭り』っていう変な事やるんだよ」
正確には「神事」と呼ぶべきなのだろうが、内容を考えると「変な事」としか言いようがない。賢二はそう思っていた。
「変な事って、どんな事ですか?」
愛がにわかに、目を輝かせて聞いてきた。その態度に嫌な予感を覚えた賢二は、無意味に好奇心の強い彼女の性格を、できるだけ刺激しないように言った。
「木の札を投げてそれを集める、ってだけ」
「それだけなんですか?」
「それだけ」
不満そうな愛を無視して、賢二は鞄を手に、部室を出た。
雲一つない冬の夜空に満月が輝いている。それを一瞬だけ見上げてから、賢二は白いため息を吐き、とぼとぼと蘇芳神社へ歩き出した。その身には古びた青い法被を着ている。
篝り火を焚いた神社に着くと、そこにはすでに、色とりどりの法被を着た男たちが集まって来ていた。彼らは皆、来ている法被と同じ色の絵具で顔を塗っている。色は全部で四色。賢二もあきらめ半分で、おとなしく顔に青い絵具を塗ってもらった。
境内が色塗りの顔と法被で満たされてきたところで、老神主が社殿の前に現れ、大声を挙げた。
「かぁでぇい!」
カデ祭り開始の合図だ。続けて神主は、大小さまざまの「カデ」と呼ばれる木の札を空高く投げ上げる。それがばらばらと落ちてくるのを見ながら、男たちは走り出した。
法被と顔の色別対抗で、最も多くカデを集めた色の男たちが翌年の「福」、つまり勝ち。それがカデ祭りの、いわばルールである。
かくして境内は、月光の下、四色の法被と顔の色が入り乱れ、男たちが神主のばらまく木の札を奪い合う、異様な狂騒の場と化す。賢二はできるだけそこから離れようとしていたが、偶然なのかどうか、神主は賢二のいる場所を狙っているかのように、次々とカデを投げて来た。賢二が逃げ回るより早く、男たちが突進して来る。賢二はあえなく、その人波に押し潰された。
「江藤先輩、ファイトっ!」
人垣の向こうから聞き慣れた声がした。賢二が思わずそちらに目をやると、ダッフルコート姿の愛がいた。楽しそうに手を振っている。
この姿は長谷川に見られたくなかった。
賢二はまた一つ、もう何度目になるか分からない大きなため息をついた。
来年の「福」は、賢二の青組に決まった。中止の前の年である前回に続いての快挙だったが、賢二は嬉しくも何ともなかった。また来年もこれをやるのかと思うと、今から気持ちが沈んでくる。
「お疲れ様でした」
愛が、まだ温かいココアの缶を差し出してくれた。礼を言ってそれを飲みながら、賢二は言った。
「来なくてよかったのに」
「そんな事ないですよ。面白かったです」
「見てるだけなら、そうかもな。やらされる身にもなってみろよ」
「参加したいんですけど、女人禁制だそうですから」
まじめな顔でそう言うと、愛はメモ帳を取り出した。
「カデ祭りって、カデを集めて福を招くお祭りらしいですね」
「ああ、そうなんだってな」
何の気なしに相づちを打ってから、賢二は気がついた。
「カデ祭りの事、わざわざ調べたのか?」
「はい。お昼のうちに神社に来たら、すごく丁寧に教えてもらえました」
今に始まった事でもないが、つくづく物好きな後輩だと賢二は思った。愛は再びメモ帳に目を落として言う。
「中止になる前の年に来年の『福』をゲットしたのも、江藤先輩の青組だったんですよね」
「ああ、そうだったっけ」
「それで、どうでした? 福を感じるような事、何かありましたか?」
「いや、特に何も」
「――わたしと会ったのって、その中に入れてもらえないんですか?」
少し間をおいてから、愛はそう言って、いたずらっぽく笑った。