金色の五線譜
放課後はバイオリンのレッスンだった。
今までに他にもいろいろな習い事をさせてもらったけれど、どれもすぐにやめてしまった。
しかし、バイオリンだけは四歳の頃から続けて、気がつけば今年で十一年目だ。
実際、小学校高学年になって一度はプロを志した。しかし、コンクールで結果は出ないし、勉強が中心の中高一貫校に入ってしまったことを理由にして諦めた。
「もっと流れるように!
テクニックだけを考えないで心を込めて!」
先生にこのようなことを言われたのは今日だけで三回目。
当たり前だ。
コンクール一か月前のレッスンだというのに、不思議なくらい集中出来なかったのだから。
「弾きたいときに弾きたいだけ弾けばいい」
そんな先生のモットーにより、今日は家に早く帰された。
防災無線のチャイムが海沿いの田舎町に午後五時を告げる。思わず私はその音色に合わせて口ずさんだ。
「夕焼け小焼けの赤とんぼ
負われてみたのはいつの日か」
この曲を聴くとどんな時でもほっとする。
バイオリンケースを片手に、夕暮れの喧騒から少し離れた一車線の道をゆっくり歩く。
同じ景色を見ているはずなのに、行きと帰りでは感じ方が全く違うなんて、人間は面白いなあ。
風が吹いて、すぐそこに見える相模湾の水面が揺れたとき、思わず足を止めた。どこからか、マスネ作曲の『タイスの瞑想曲』が聞こえてきたからだ。
優しいバイオリンの音色が茜空に音符を並べて楽譜を描く。その金色の五線譜に促され、自然と体が動いた。
振り返ってすぐの錆びた階段を駆け上ってたどり着いた高台の、その向こう。
どんな人が弾いているのだろう。
何を思って弾いているのだろう。
音が大きくなるにつれて、胸の鼓動は早まるばかり。
満開の金木犀の中にひとり。
激しく、されど華のように弓を操る演奏家がいた。