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大津島にて。2

ふと視線を動かすと、遺書が並んでいるのが見えた。


「皆さんへ」

一つの遺書の前に立ち止まり、

「奏汰です」

ゆるい書き出しに、涙がこぼれた。

「朝晩の寒さが身に沁みる頃になりましたが、風邪はひいていませんか。

自分は毎日の訓練が忙しく風邪などをひいている暇などありません。


父上、十八年間、厳しく優しく育ててくださってありがとうございました。

この不景気にも関わらず、提琴も買ってくださって、音楽をする環境も十分に整えていただきました。

長男でありながらも、海軍兵学校に入る自分の背中を涙を流しながら、押してくださったあの日のことを俺は忘れません。

奏汰は、胸を貼ることができます。どうか、俺の分まで長く幸せに生きてください。


そして、母上。

暖かく、大切に守ってくださって、感謝の言葉もありません。

やわらかいあなた様の雰囲気にいつも支えていただいていました。

嗚呼、もう一度お母さんのしらす丼が食べたいなあ。

どうか、俺の墓にはしらすをお供えしてください。

そのままにしておくと腐ってしまうのでみんなで一緒に食べましょう。

もしも、茅ヶ崎の海に、ふらふらとした提琴の音がしたらきっとそれは俺です。

これからは俺が母上のことをお守りいたしますよ。


最後に、寿音へ。

お兄ちゃんのことを寿音は覚えていてくれているかな。

君の名前を付けたのはお兄ちゃんなんだよ。

ことねの名前には幸せな音で溢れる一生になりますように、という意味があるんだ。

いつかきっと幸せな時代が来るからね、お兄ちゃんはお先にそちらへ行かせてもらうよ。

お兄ちゃんは、寿音のことをずっと見守っているから、俺が帰ってこなくても、さみしがる必要はないんだよ。

寿音に、何か嫌なことがあったときにすぐに飛んでいくことは出来ないけれど応援しているからね。

父上の強さと、母上の暖かさを見習って素敵な女性になってください。

追伸:お小遣いを少しだけ入れておきました。お菓子でもおもちゃでも何でも好きなものを買ってね


それでは、家族仲良く幸せな毎日をお過ごしください。」


中学生のような字を見て、奏汰さんが背中を丸めながら文字を書く姿が浮かんでくる。愛おしくて、悲しい。

なんて家族思いなのだろう。


ふと隣に目を向けて、さらに私は動けなくなる。


「かなでちゃんへ


突然いなくなってしまってすまなかった。

言い訳がましいが、この作戦に参加することは言ってはいけなかったんだ。


あの海が見える高台で、君がいい匂いといった金木犀の香りが、大津島にもしていて、目をつぶると、君の奏でた花のような音色が蘇ってきます。

だから、俺は死ぬのが怖くありません。

君が未来で笑っていたから、安心することが出来たのです。


明日、俺は出撃します。

君からもらったG弦を握って戦います。


俺は君のことをたくさん泣かせてしまいました。

俺が君に会えたように、いつかかなでちゃんにも、笑顔をくれる相手ができるはずです。

これからも、かなでちゃんの人生は続く。

長い人生を、悔いがないように生きてください。


君の幸せを、祈っています。


いつかまた、会えたらいいですね。


ありがとう。



八木奏汰」


未来にいる私のために、わざと名前を平仮名で書いていてくれたんだ。


私がたったの数分で読み終えたこの手紙を、あの人はいったい何時間かけて書いてくれたのだろう……。



どこまでも奏太さんは優しい。

一番不安なのはきっと彼自身だ。それなのに私を励ましてくれるなんて。


その遺書の隣に、写真が置いてあった。

うさぎを抱きながら六人の男性が笑っている写真。

その中でも私には奏汰さんが浮き上がっているかのようにすぐ見つかる。


相変わらずの柔らかい笑顔と、指先の形だけでもあの人を鮮明に思い出すのには十分すぎるくらいだ。

周りにいる人たちも優しそう。うさぎを抱く腕は、どれも優しくて、生きているものすべてが愛らしい、とでもいいたけだ。


「なんでこんなに優しい人たちが、死ななければならなかったの」

優希葉の涙声が聞こえた。

「こんな優しい人だからこそじゃないかな」

陽菜が答えた。


本当にそのとおりだと思う。いつの時代も、人はきっと優しいんだ。だからこそ、誰かの言葉は必ず誰かの心に届く。


展示台を、じっくりと見て回る。ガラスに張り付いてしまいそうな勢いで。

「一撃必沈」と書かれた鉢巻から、メモ帳まで、回天特攻隊の人たちの私物がたくさんあった。そのなかで私は、あるものを見つけた。

G弦のない、バイオリンだった。

背の高いところから降ってくる爽やかな声も、まっすぐな音も、奏汰さんを彩るすべてが懐かしくて、恋しい。


軽いめまいを起こしながらも、ガラスケースにくっついて、それをよくながめた。

暗い部屋の中で、持ち主をなくしたバイオリンは、さみしげにオレンジ色のライトに照らされている。

もう、あの音色は帰らないのだと実感した。


体中から力が抜けた。

「会いたいよ、奏汰さん」

叶わないと分かってはいるけれど、願ってしまう。

「なにもしらなかった。あなたがこうして亡くなったことも。」

知っていたのは、特攻隊員ということだけ。

「きっと、辛かったのに、私ばっかり助けて貰っちゃってた」

何も知らなかった自分と、その無神経さが悔やまれる。


「……大好きでした」


せめてこれだけでも伝えられたのなら、よかったのに……。




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