加害者と被害者
奏汰さんと離れてから、しばらく経った。
いつの間にか金木犀は香らなくなっていて、教室の窓から見えるメタセコイアは紅葉を始めていた。
暖かい日差しが午後のふわふわな空気に溶けていく。
金曜日の六時間目の社会。
先生は、大嫌いな担任の西山だけど、眠らないで聞いていた。
配られたプリントの端に、八木奏汰、と書いてしまって、急いで消す。
シャーペンの芯でできた凹みが目立たないように、さらにそこを塗りつぶした。
今日の授業は、『第二次世界大戦の終結』というタイトルだ。
「一九四五年八月十五日に日本はポツダム宣言を受諾して、戦争が終わりました」
カリカリと板書を写す音が教室に響く。
「この戦争で、アジアで約二千万人の人がなくなりましたが、そのうちの千万人は中国人です。
日本は原爆が落とされたこともあって、被害者意識が多いですが、実は約三百十万人しか死んでないんですね。
私たちはもう少し加害者意識を持つべきだと思います」
三百十万人"しか"死んでない? 加害者意識? なにそれ。
「しかも特攻とかは美化されてるけど、あれだって単なる人殺しだからね?」
単なる人殺し。
その言葉を聞いた瞬間、私は西山を思い切り睨みつけてしまった。
そして、黙っていることも、出来なかった。
「その言い方はひどいと思います」
クラス中の視線が集まる。そんなことは、気にならない。
「そもそも戦争に被害者だの加害者だの言うのもおかしいと思うし、三百十万人"しか"亡くなってないって、人の命をどれだけ甘く見てるんですか」
奏汰さんはもう生きられないと決まっていたのに、生きようとしていた。
そんな人たちのことを悪く言われてしまっては腹が立つ。
「それに、特攻はただの人殺しなんて、そういう風にしか感じられないんですか?
特攻隊の人がどんな思いで覚悟を決めたのか知らないくせに偉そうに言わないで!」
最後の方は、叫んでいたかもしれない。
だって、くやしい。
「藤井さんみたいに思っている人なんてあんまりいないからそういう考え方はやめた方がいいよ」
西山が言った言葉は、私の心にさらに油を注いだ。
「たくさんの人が思ってることしか言っちゃいけないんですか?
そんなのっておかしいと思います」
社会教師は一瞬だまり、無視して授業を始めた。
奏汰さんは、「未来と日本国民を守りたい」と言っていたのに、こんな言われ方はあんまりだ。
「おい、花奏」
隣の席の山内が声をかけてきた。
「んー?」
「お前、意外と戦争のこととかちゃんと考えてるんだな」
「意外って何よ、意外って」
「あはは。でも、俺、お前の言ってたこと正しいと思うよ」
「あ……。ありがとう」
奏汰さんの思いを認めてもらえたような気がして、すごく嬉しかった。




