幸せって?
家のドアを開けると、リビングから「おかえり」という声がした。兄だ。
「ただいま。お兄ちゃん今日早かったんだね」
県立高校で教員をやっている十歳年上のこの男はいつも帰りが遅い。
「うん。今日は文化祭の代休だったから部活だけ見て帰ってこれたんだ」
「へ〜。お疲れ様」
ふと、私は思った。
当たり前のように会話をしたけれど、寿音ちゃんは、彼女のお兄ちゃんである奏汰さんとお話できるのは、今日と明日と明後日の朝だけ。
私は毎日のようにこの男から馬鹿にされたり、使いパシリにされていて、正直に言うと、兄が早く帰ってくるのは嫌だ。
しかし、三ヶ月に一回くらいは、仕事帰りに駄菓子を買ってきてくれる。考えてみると、いいことだって少しは思い浮かぶ。
兄妹が普通に一緒にいられる。家族は全員元気。喧嘩をしても仲直りができるーーーー。
こんな、何気なく過ごす日々のサイクルを、「幸せ」と呼ぶのだろう。
「いつもお疲れ様」
小さい頃のように、私は兄にそう伝えた。
彼は驚いたような顔を一瞬だけ浮かべたけれど、
「本当にお疲れって思ってるなら、コンビニでアイス買ってきて」
やっぱりいつも通りだった。
「わかったよ」
今日だけはこいつのいうことを聞いてやろう。
家から歩いて五分ほどのところにあるコンビニエンスストアで、スイカの味のアイスを一本と、兄の一番好きな「ハーゲンダッツ・マカデミアンナッツ味」を一つ購入した。
「またお越しください」
若いアルバイトの挨拶を背に、店から出た。
ちなみにそのアルバイトは、小学校時代の友達のお兄さんだ。
高台にいたときよりも、風が強くなっている。
前髪が崩れないように手で押さえた。
空を見上げると、鈍色の雲がせわしなく動いていて、天気が悪い。
潮くささは相変わらずだし、空気はベタベタしている。
なんだか、あまりいい予感はしない。
とりあえず、早く帰ろう。