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異世界乙女の婚約者破棄《フィアンセデストロイ》

作者: 甘木智彬

URL等からアクセスされた方は、あらすじに一度目を通して頂けますとよりお楽しみ頂けます。

 王国南部――見渡すかぎりの緑の丘陵。


 そこには、王国の食糧事情を支える豊かな穀倉地帯が広がっている。羊雲がぷかぷかと浮かぶ青空と、瑞々しい草花の色が描く見事なコントラスト。しかし今は、長閑で牧歌的な雰囲気とは程遠い。


 鈍色の人の群れが地表を覆い尽くしていた――


 群青色の戦旗を掲げる彼らは、帝国の侵略軍だ。


(どうしてこうなった……)


 その帝国軍からは遠く離れた丘の上。防衛側たる王国軍の本営として設立された天幕にて、戦場全体を見下ろしつつ金髪碧眼の令嬢――ルーミア=エル=ディア=アームストロングは茫然としていた。


 きたる大規模な野戦に備えて大わらわな周囲をよそに、人形のようにぽつねんと立ち尽くす様は、何というか場違い感が半端ない。実際、その姿は人形のようでもあった。ルーミア本人の容姿が、よく金髪碧眼のビスクドールに喩えられる。ともすれば冷たさを感じさせるほど整った顔立ち、大きな青い瞳は苛烈な意志の光を湛えている。戦場には全く似つかわしくない黒のドレスに身を包み、羽根飾りのついた鍔広の帽子を被ったルーミアは、そのままパーティーに出席していても違和感がない格好をしていた。


 故に、今この場にいる違和感がヤバイ。周囲は甲冑を装備したマッチョだらけ。本当にどうしてこうなったと言う他なかった。いつもならこの時間は、屋敷のテラスで御茶を嗜んでいるはずなのに――


 遠い目で、ルーミアは思い返す。


 王命により、王直轄の防衛部隊、その先鋒軍の大将として白羽の矢が立ったのが三日前。王都に向かい、王に謁見して大将の役を正式に拝命したのが昨日。そして王国精鋭の天馬部隊によって前線に送り込まれた――担ぎ込まれたと言うべきか――のが今朝のことであった。


 本当に――あれよあれよと言う間に事が進んでしまった。


(お父様、お母様。ルーミアは今、戦場におります)


 多分欠片も心配なさってないでしょうけど、くすん。と独りごちながら佇むルーミアは、尋常ならざるアウェイ感に加え、朝気合を入れて食べまくったベーコンサンドにカスタードクリームパイが流石にちょっと重すぎたことも相まって若干顔色が悪かった。周囲からすれば、儚げな細身の令嬢が、未曾有の規模の侵略軍を前に王国の未来を憂いている――ように、見えなくもない。


「お嬢様……お加減が優れぬご様子ですが」


 ルーミアの後ろで楚々と控えていた爺や――セバスティアンが声をかけてくる。この場での唯一の救いは、付き合いの長いセバスが世話役として同行してくれていることだった。執事服に銀髪、きっちりと整えられた髭、片眼鏡、胸元には懐中時計の鎖、と堂に入ったスタンダートタイプの王道執事、それがセバスだ。


「……ありがとう。でも大丈夫よ、爺や」


 儚げな雰囲気を醸し出しつつ微笑むルーミアに、セバスはぴくりと眉を動かす。


「お嬢様が担われているであろう重責。このセバス、想像致すだけで胸が締め付けられるような想いにございます。特に今朝は、お嬢様も張り切っておられましたから……」


 何やら神妙な顔で言っているが、遠回しに『やはり朝食が重すぎたのでは?』と指摘してきている。セバスは、ルーミアが幼子の頃からずっと世話を焼いてきた。故に彼女の人間性も知り尽くしている。王国の未来を憂いているわけでも、重圧に押し潰されそうになっているわけでもないことは百も承知だった。……そんな硝子の心臓の持ち主ではありえない。


 従者にアイアンハート認定を受けているなどとは露知らず、沈痛な表情を作ったルーミアは、憂いを湛える目を伏せて呟くように言う。


「……爺や。私は思うの。使命は、己の意志で完遂することにこそ意味があると」

「ほほう。と申されますと?」

「私は、己の意志で『為す』と決めた。ならばその先に何が待ち受けていようと、私に悔いはないわ」


 キリッとした表情で言い切る。『食べたかったから食べた。後悔はしていない』というわけだ。傍でルーミアの言葉を小耳に挟んだ騎士が興味深そうにしていたが、あくまで話題は朝ごはんだった。


「左様にございますか。ルーミアお嬢様らしいお言葉です」


 感心しているのか馬鹿にしているのかわからない様子で(おそらく後者)、セバスは尤もらしくうむうむと頷いてみせた。


「しかしながらお嬢様。諫言とは憚りながらもいつも申し上げていることですが、眼前の障害に果敢に挑まれ、ことごとく制覇しようとなさるのは、場合によっては考えものにございます。無駄を減らそうとなさる努力、そして努力を惜しまれない姿勢には私めも感服致しますが、ほどほどになされませんとお身体に障りますぞ。ご自愛下さいませ」

「ふふっ、またまた、爺やったらそればかりね。でも大丈夫よ、自分のことは自分が一番よくわかっているから」

「一言仰って頂ければ、不肖このセバス、老骨に鞭打ってでもお嬢様のお力となりますものを」

「こればかりは私の問題よ。爺やを頼ることはできないの!」


『勿体ないからと言って全部食べるからこんなことに……いつかお腹壊しますよ』『うっさい、余計なお世話よ』『仰られば私が残りを食べましたのに』『あげないわよ!』といった旨のやり取りを続ける主従。そんな二人を周囲は生温かい目で見守っていた。ともすれば、慣れない環境でも気丈に振る舞う令嬢と、主を思いやる従者――に見えなくもなかった。現実がどうであるかはさておき。


 ちなみに、ルーミアの名誉のために注釈するならば、彼女は決して食い意地が張っているわけではなく、特別にカスタードクリームパイは前世――ルーミアが相澤留美であった時代からの好物なのだ。


 カスタードクリームたっぷりの、甘さとカロリーの暴力。体に悪そうなそれがもう堪らない。チート転生したおかげで、どんなにドカ食いしても摂取したカロリーは全て『エネルギー』となり、余分な脂肪に変換される気配がないのはまさに神に感謝。が、それでも味覚は人並みなので、食べ過ぎると胸焼けが酷いことになってしまうのは前世から変わらない。


 思い出すと、ちょっと胸がムカムカしてきた。


「ふぅ。爺や、お茶をお願い」

「かしこまりました」


 唐突に話をぶった切って、ルーミア。セバスも動じることなく一礼し、何処からともなく折りたたみ式のテーブルと椅子を取り出した。近くの騎士たちがぎょっとするのをよそに、さらに何処からともなく茶器一式を取り出す。


「どうぞ、お嬢様」

「ありがとう爺や」


 ティーポットから湯気を立てて紅茶が注がれ、カップを手に楚々と席についたルーミアは、優雅に午後のティータイムと洒落こんだ。場違い感、ここに極まれり。突然出現したティーセットその他諸々に、周囲の騎士や兵士たちも目を丸くしている。


「時空魔法だ……しかも無詠唱……」

「なんという使い手……」

「惜しいな……」


 周囲の騎士たちが悩ましげに溜息をついた。時空魔法の有用性については改めて説明するまでもない。軍事関係者からすると喉から手が出るほど欲しい人材だ。


 しかしセバスはルーミアの従者であり、辺境貴族とはいえルーミアも一応は子爵家の娘だ。しかも現時点では名目上とはいえ防衛軍の大将。傍から見ている限り二人の仲は非常に良好、その眼前で従者のヘッドハントなど非礼というレベルではないので、結局ただ指を咥えて見ている他ないのだった。


(気持ちはわかるけどね)


 周りから寄せられる羨望の眼差しを感じつつ、カップを手に肩をすくめるルーミア。そもそもこれほどの魔導の使い手が、辺境の田舎貴族の娘の執事をやっていること自体がおかしいのだ。公爵や伯爵クラスでようやく一人か二人召し抱えられるかどうか、という次元の話。はっきり言えば分不相応、何故セバスが我が家に仕えてくれているのかは、ルーミアも詳しいことを知らない。


 だが聞きかじったところによると、先代の当主――ルーミアの祖父と何らかの縁があったらしい。セバスも若い頃は一端の冒険者だったのではないかと、アームストロング家ではまことしやかに語られている。本人は否定も肯定もせず、その辺の事情に通じているはずの父も多くは語らない。


 ルーミア個人としては、割とどうでもよく思っている。セバスの来歴に興味がないわけではないが、彼のことは心から信頼しているし、何よりセバスはセバスだ。ルーミアにとっては、それで十分だった。


 その後しばらく、帝国軍と王国軍がそれぞれ陣形を整えるのを眺めつつ、ひとりだけ優雅に紅茶を味わっていたルーミアだが、ほどなくして幕僚たちから声をかけられた。曰く、士気向上のために閲兵して欲しいとのことだった。


「わかりました、参りましょう」


 前世ならば群衆、それも数千人の屈強な兵士たちの前に出ることなどできなかっただろうが、ルーミアも子爵家に生まれ、十数年の時を過ごしてきた。まだまだ短い人生だが、腐っても貴族、求められた役割をこなすという生き方はしっかりと根付いている。この程度のことでは微塵も動揺しない。


 幕僚に命じられ、若い騎士が一頭の馬を引き連れてきた。随分と気の荒そうな、黒毛のじゃじゃ馬だ。とてもではないが貴族の令嬢を乗せられるような一頭ではない。馬の手綱を握る若い騎士、その兜の奥の瞳が「乗れるものなら乗ってみろ」とでも言わんばかりの挑戦的な光を放っていた。


 辺境貴族の小娘が、突然防衛軍の大将に任命されたことに対して不満を抱いている者は少なくない。この若い騎士もその一人なのだろう。あわよくば不慮の事故で――とでも考えているのか。


 流石に見かねた幕僚の一人が何かを言いかけたが、ルーミアはそれを手で制す。


 ぶるぶると不満げに鼻を鳴らす黒馬、その眼前に仁王立ちする。少しばかり目に圧を込めて睨むと、びくりと震えた黒馬は途端に大人しくなり、ルーミアが騎乗しやすいように自ら身をかがめた。


「いい子ね」


 優しくたてがみを撫でたルーミアは、そのままひらりと黒馬に飛び乗る。


「さて、参りましょう」


 別の騎士に先導され、かっぽかっぽと進み始める騎乗のルーミア。後には、呆気に取られたように立ち尽くす若い騎士と、顔を見合わせて苦笑する幕僚たちが残された。


 王国軍、帝国軍ともに、草原を挟んで睨み合っている。


 互いにしっかりと陣形が整えられていた。本格的な衝突は近い。本陣にもピリピリとした空気が漂っている。


 そんな中、騎士たちに先導されたルーミアは、黒馬の背に揺られ軍団の前を走り抜けていく。まさに顔見せ、といった雰囲気で、特に声をかけたり檄を飛ばしたりすることもない。兵たちは「なんでこんな小娘が」という顔をしているし、本人も無表情ながら「なんで私が」という雰囲気を醸し出していた。


「あんな小娘が総大将とは……陛下もヤキが回ったな」

「もう王国は駄目かもしれんね」

「しっ! 声が大きい! 貴族にでも聴かれたら……」


 一般兵たちの士気はむしろダダ下がりだ。囁くような男たちの会話を、ルーミアの常人離れした聴覚はばっちりと拾い取ってしまう。


(まあそりゃそうなるわよね)


 いくらルーミアが見目麗しくとも、所詮はぽっと出の田舎貴族。聖女や軍神として崇められているわけでもなく、「誰だコイツ」となるのは当然の流れだ。一応、『婚約者殺し』としての勇名は轟いているが、噂に尾ひれがつきまくった結果、眉唾ものあるいは笑い話としか捉えられていない。実物――確かに美人ではあるがか弱いお嬢様然とした姿――を見れば、尚更のこと。そんなルーミアが軍の大将になったところで、一般兵としては不安しかないだろう。酒場での話の種にはなるかもしれないが、それも今日を無事生き延びられればの話――


 加えて、兵士たちの士気が下がる理由は他にもある。むしろ、こちらの方がメインかもしれない。こうして布陣していると一目瞭然だが、彼我の兵力差が段違いなのだ。丘の上に布陣する王国軍が総勢で一万に届かないのに対し、帝国軍は数万に及ぶ。しかも籠城戦であればまだしも、数的不利を誤魔化せない野戦だ。王都周辺には本命の軍勢が集結しつつあるはずだが、少なくともこの場所に援軍がやってくる予定はない。


 つまり、この場の王国軍は足止めで、捨て駒に過ぎないのだ。


 そんな哀れな者たちのために、せめてもの慰めとしてルーミアという麗しの美女が送られてきた、とでも兵士たちは考えているのだろう。『婚約者殺し』の異名を持ち、王国最強と酒場で冗談交じりに語られる、そんな女を旗頭に据えたところで幸運が舞い込んでくるわけがない――


「よし、んじゃ行ってきましょうか」


 ――皆がそう思っていた。この時までは。


「――は? 行く、と申しますと」


 突然、黒馬から飛び降りたルーミアに、騎士の一人が困惑の様子で声をかけた。楚々とした貴族令嬢の顔を取り繕ったルーミアは、にっこりと微笑んでみせる。


「敵軍へ。少々暴れて参りますわ」

「は?」

「軍議に関しては皆様にお任せ致します、わたくしは兵法には通じておりませんから。ただ、これは恐れ多くも国王陛下より直々に賜ったお言葉ですが――『存分に、そして本気で暴れてこい』と。ですので、わたくしはわたくしの務めを果たします」


 は? という顔のまま固まっている騎士たちに背を向け、ルーミアは「セバス!」と声を上げた。


「こちらに、お嬢様」


 しわがれ声に、騎士たちはぎょっとして振り返る。いつの間にか、老齢の執事がそこに立っていた。


「わたくしは帝国の方々に『挨拶』して参りますわ。三十分もあれば片付くでしょう。濃い目のお茶を淹れておいて頂戴」

「かしこまりました」


 それだけを言い残し、スタスタと歩き始めてしまうルーミア。


「おっ、お待ち下さい!」

「――よせ。閣下の邪魔をしてはならん」


 我に返った騎士が呼び止めようとするが、年嵩の騎士がそれを制す。彼は、この場で最高位の、普段から王城にも出入りしている貴族だった。


「しっ、しかし……」

「心配は要らない。きみも幾つか聞いたことがあるだろう、閣下のうわさ話くらいは」

「……件の『婚約者殺し』の話でしょうか? やれ象を持ち上げただとか、百人の男をまとめて打ち倒しただとか、湖を割っただとか……しかし、そんな馬鹿な話が――」

「――本当なんだ」


 疑わしげな騎士の言葉を遮り、年嵩の騎士は疲れたように頭を振った。彼は知っていたのだ。真偽を確かめる調査にも関わっていたことがあるし、何より以前極秘裏に行われた御前試合でのルーミアの戦いぶりを、直に目にしている。


 ドォンッ、という轟音が戦場を揺らした。


 騎士たちが弾かれたように見やれば、今の今までルーミアがいた場所が、地面が、クレーター状に大きく抉り飛ばされている。そしてそこにルーミアの姿はない。ただ遥か前方、帝国軍へ向けて直進する、何か金色に光り輝くものが――


「全部、本当なんだ」


 遠い目をして呟く年嵩の騎士。呆然とする男たちをよそに、ただ、いつもと変わらぬ様子のセバスだけが、「いってらっしゃいませ、お嬢様」と慇懃に頭を下げた。




          †††



 一方、帝国軍も混乱しつつあった。


「なんだあれは!」

「何かが突っ込んでくる!」

「あれは――女か!?」

「しかし金色に光ってるぞ!」


 王国軍の陣地から真っ直ぐに、そして凄まじい速さで突進してくる『何か』。金色に輝いているだけにそれは遠目にも目立ち、特に最前線の歩兵部隊の動揺は著しかった。


「落ち着けィ! 何かは知らんが所詮王国軍の悪あがきだ! 弩兵、前へェ!」


 前線の指揮官の命を受け、クロスボウを構えた兵士たちが射撃体勢を取る。まだまだ距離は離れているが、光っている上に、遮蔽物のない草原を突き進んでくるので狙いはつけやすい。


「放てェ!」


 指揮官の号令一下、数百の弩兵が一斉に引き金を引き絞った。ヴヴヴン、と重みのある弦の音が幾重にも響き渡り、並の鎧ならば一撃で貫通する威力を秘めた矢弾(ボルト)がルーミア目掛けて殺到する。


 が。


「おォりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃ――ッッ!」


 この時ばかりは流石に猫の皮もおしとやかさもかなぐり捨てたルーミアが、金色の光をまとった両手を目にも留まらぬ速さで振るう。唸りを上げて迫るボルトの群れを打ち払い、はたき落とし、挙句空中で掴み取ってそのまま握り潰す。数百の兵が放った必殺のボルトは、ルーミアはおろかそのドレスにさえかすり傷ひとつつけられなかった。


「馬鹿なァ!」


 前線を指揮するだけに視力も良かった指揮官は、その様を事細かに見届けてしまい、驚愕のあまり目を剥いた。ボルトを撃ち切った弩兵たちが「どうすんだよコレ」と指示を求めて注目しているが、それにさえ気づけずただただ愕然としている。


「チッ……役に立ちませんね」


 状況を見守っていた魔術兵団の指揮官が、見切りをつけて魔術師たちに合図を送る。


「炎撃呪文用意! 目標、前方の光体! 三、ニ、一、詠唱! 詠唱! 詠唱!」


 ローブに身を包んだ魔術兵たちが、ぼそぼそと一斉に詠唱を開始した。数百人単位での魔術の行使に大気中の魔力が渦を巻き、空が不気味に鳴動する。そしてそれに伴い、魔術師たちの手元で膨れ上がっていく赤い炎。


「ククク……塵ひとつ残さずに燃え尽きるがいい……! 喰らえ!」


 膨大なエネルギーを秘めた炎撃呪文が、一斉に解き放たれた。数百の火球がゆったりとした放物線を描きながら、しかしその実、回避困難な怒涛の勢いでルーミアに迫る。


 が。


「おォりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃ――ッッ!」


 ルーミアの対処は変わらない。愚直に、そして神速で光をまとった両手を振るう。着弾すれば即爆発するはずの火球が、なぜか、崩壊することなく素手で払われ、弾かれ、軌道を逸らされる。ルーミアの周囲で爆炎の花が真っ赤に咲き狂っては散っていく。灼熱の業火が吹き荒れる中で、しかし光をまとった漆黒の令嬢は――無傷。


「んなあああぁぁァァァッ!?」


 理論的にありえない光景に直面した魔術兵団の指揮官は、眼球が飛び出さんばかりに目を見開いて思考停止した。兵団の魔術師たちも同様、火球を放つため手を突き出した格好のまま石像のように固まり立ち尽くしている。


「クソッ、これだから飛び道具は! 口だけの無駄飯食いどもめ!」


 全く役立たずの後方支援部隊に、歩兵部隊の隊長は口汚く罵った。弩も魔術も無効化してしまう化物に対し、近接武器がどれほど有効かは甚だ疑問ではあったが、それはさておき、まず目の前の敵に対処せねばならないのが彼の悲しいところだった。


「槍兵――ェ、構えェ――!」


 隊長の叫びにあわせ、長槍兵たちがザザッと槍を構えた。隊列を維持し、石突を地面に食い込ませて一方向へ穂先を向ける陣形は、本来ならば集団戦で用いられるもの。それを、単騎で突っ込んでくるルーミアへと向ける。ドォンッ、ドォンッとハイヒールが草原の土を抉る轟音、ぐんぐんと視界に大きく映る金色の光、徐々に迫る激突の瞬間に、誰かがごくりと生唾を飲んだ。帝国の信奉する戦神、その加護と祝福を受けた槍の穂先が、陽光を受けてきらりと煌めく――


「突け――ェ!」


 目と鼻の先まで肉薄したルーミアへ、数十の槍が同時に突き込まれた。


「ふんぬッ!」


 それに対し、ルーミアはただ一歩、力強く大地を踏みしめた。ズンッという一際大きな音とともに地面がひび割れグラグラと揺れ、それだけで数人の兵士が体勢を崩し槍を取り落としてしまう。どうにか突き込まれた槍も狙いがぶれ、ルーミアのまとう金色の覇気にことごとく阻まれ逸らされていく。


 ただ一本、たまたま光の壁の芯を捉えて直進する槍もあったが、ルーミアは全く危なげなく、むんずと槍を引っ掴み、逆にグイッと無造作に引っ張った。


「のわ~~~~~!」


 手を放しそこねた槍の持ち主が凄まじい勢いで引きずられ、情けない悲鳴を上げてすっ飛んでいく。


「まったく危ないわね! こんなものを人に向けて!」


 ぷんすかと怒りながら槍の穂先をメキョリともぎ取ってしまうルーミア。もはやただの長い棒と化したそれを、おもむろに構える。


 構え、といっても堂に入ったものではなく、ただ可憐な令嬢が物干し竿を持ってみました、という感じの微笑ましいものだ。しかし周囲の兵士たちは、ルーミアのまとう金色の光が、棒にもまとわりついていくのを見て嫌な予感しかしなかった。


「おりゃぁ――ッ!」


 ブォンブォンと竜巻のような唸りを上げながら、棒を振り回すルーミアが兵士たちに躍りかかる。


 それはまさに金色の嵐。ガギンゴギンと鎧を凹ませながら、まるで冗談のように兵士たちが吹き飛ばされていく。誰も止めようがない、そして止まらない。近づけはしないが向こうは構わずに近寄ってくる。人の身ではもはや抗いようがない暴力の化身。幾人かは槍で突こうと試みたが、側面はおろか背後からの一撃さえも金色の光に防がれ、棒を振り回す余波に巻き込まれ逆に弾き飛ばされる始末だった。


「うわ――ッ!」

「ぎゃ――ッ!」

「ぐえ――ッ!」


 数百、数千といた前線の兵士たち。しかし今やその隊列はごっそりと食い破られ大穴が開けられていた。長槍兵は槍をへし折られ、弩兵は弦を巻き上げる前に弩ごと吹き飛ばされ、魔術師たちはルーミアが放つ異様な覇気にあてられて次々に気絶していく。ルーミアの周囲はまさに死屍累々、奇跡的に死者は出ていない(出していない)が身動きの取れない怪我人たちが折り重なるように倒れ伏し、苦痛の呻き声を上げている。


 しかし、流石のルーミアといえども、無双状態はそう長くは続かなかった。十人近い兵士をまとめて薙ぎ払ったところで、酷使に耐えかねた長棒が粉々に砕け散ったのだ。


「あ、壊れた」


 一瞬、ほんの一瞬だが戦場が静かになった。もはや烏合の衆と化して逃げ惑っていた兵士たちも、ルーミアの得物が失われたことで「これはいけるのでは?」という微かな希望を取り戻す。


 が。


「仕方ないわね」


 棒の破片を放り捨てたルーミアは、静かに両手の拳を握りしめた。ズンッ、とその存在感がいや増し、全身を覆っていた金色の覇気が一回り大きくなった。


「なら素手で行くわ」


 言うが早いか一息の跳躍。空中へと跳び上がったルーミアはドレスの裾をはためかせて、両手を広げながら猛禽のように急降下。


 兵士たちの真っ只中へ突っ込む。ズドンッという爆音とともに土煙が舞い上がった。


「おォ――りゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃ――ッッ!」


 無手だろうが何だろうが何の関係もなかった。戦いは新たなるステージへ。まとめて薙ぎ払う一対多のそれから、単体を超高速で捌く一対一の連戦へと移行。無造作に掴む投げる掴む投げる掴む投げる、これを秒間数回という目にも留まらぬ速さで実行しひたすらに突き進む。


 隊列を大雑把にただ引き裂いていたルーミアの進撃は、今度は針のように鋭く、より苛烈な一点突破へと切り替わった。千切っては投げ千切っては投げ、大の男たちが泣き喚きながらルーミアから離れようと押し合いへし合いする光景はまさに地獄絵図。


「えぇいッ、何たる醜態! 者ども、そこをどけェ!」


 と、天を割るような野太い声が響き渡り、兵士たちを押しのけて巨漢が姿を現した。


 ルーミアもぴたりと歩みを止める。この男、これまでの有象無象とは違う――直感がそう囁いた。


「帝国神聖騎士団が団長、バルドゥール=ガルシア=グランドルファー、見参ッ!」


 ルーミアの前に立ちはだかったのは、これまで目にしてきた中でもトップクラスにムサくて暑苦しいゴリメンだった。筋肉ダルマのような身体をやたらと荘厳な雰囲気を漂わせる金属鎧で包み、装飾過多な剣と盾で武装している。騎士といえばかくあるべしといった姿だ。太眉、傷だらけの相貌、剛毛の黒ひげが顔の下半分を覆い尽くしているというルーミアが苦手とするタイプの男。


 そして神聖騎士団といえば、帝国内、いや周辺国家を含めた中でも最強の名をほしいままにする精鋭戦闘集団だ。その団長ともなればいかほどの実力者なのか。現に、その巨体から漲る威圧感は尋常ではない。ルーミアをして油断できないと思わせるほどに。


「わたくしは、王国臨時防衛軍大将、ルーミア=エル=ディア=アームストロング」


 油断なく視線を向けながらも、優雅にスカートを摘んで淑女らしく一礼してみせる。ルーミアの名乗りに、バルドゥールは「ほう?」と感心したような声を上げた。


「なるほど、なるほど……お主がかの有名な『婚約者殺し』か。噂に違えぬ、いや、それ以上の美貌よ!」

「……噂は存じ上げませんが、お褒めに預かり光栄ですわ」


 くすりと、穏やかな、しかしそれでいて威圧的な笑みを返すルーミア。同じく獰猛に笑ったバルドゥールは、「美しい!」と今一度感嘆の声を上げた。


「何たる武勇、何たる美貌! それでいて敵の只中で微塵の動揺も見せぬその胆力! 素晴らしい、まっこと素晴らしい……ぜひ我が花嫁として迎えたい!」


 両腕を広げたバルドゥールはぎらぎらとした視線をルーミアに向ける。


「どうだ、我と結婚してくれまいか!」


 突然のプロポーズに周囲の兵たちがどよめいた。帝国随一の騎士団の長ともなれば、当然この軍の指揮官クラス。それに対してルーミアも名目上とはいえ王国軍の旗頭だ。そんな二人が戦場で相まみえ、しかも片方が片方へ求婚するとは、英雄譚でもなかなか見ない劇的な展開。


 尤も、一般兵たちの場合、「こんな化物を嫁にすんのか」という、そういう方向性の驚愕も多分に含まれていたが――


「お断りいたしますわ。もう少し男前に生まれ変わってから出直してくださいまし」


 ルーミアの返事はにべもない。男前、のくだりで少しムッとした様子のバルドゥールだったが、「くっはっは」とこみ上げるような不穏な笑い声を上げた。


「……気に入った。ますます嫁に迎えたくなったぞ」


 バルドゥールが、両手にそれぞれ握っていた装飾過多な剣と盾を放り捨てる。


「であれば、力づくで屈服させるまでのことよ……!」


 無手の構え。まさか手加減でもするつもりなのだろうか?


 いや、違う。ルーミアは即座に見抜く。バルドゥールが捨てた剣と盾は、それぞれ見栄えだけを重視した『飾り』に過ぎない。


 この男も、ルーミアとある意味『同類』なのだ。


 ぬらりと――バルドゥールの全身から、銀色の覇気が滲み出る。


 ルーミアと同様。


 身体に対して、あまりにも武器が脆すぎる――


「…………」


 戦場を不気味な沈黙が支配した。もはや、双方に言葉は必要ない。戦いは既に始まっている。陽炎のような金色の覇気を揺らめかせながら、だらりと両手を下げ自然体のルーミア。ぬらりとした銀色の覇気をまとい、両の拳に、そして全身に力を漲らせるバルドゥール。


 ジリッ、ジリッとすり足で円を描くように、互いの間合いと呼吸を測る。



 風が、止んだ。



 瞬間、バンッと弾ける空気。


 金と銀の影が激突する。


 破城槌が城門に叩きつけられるような重低音。耳を聾するそれが連続して響き渡る。


 バルドゥールの一撃を裏拳で弾いたルーミアがほぼ同時に反撃の突きを放ち、それを蹴りでいなしたバルドゥールが組み伏せようと掴みかかる。地を蹴り間合いを取ろうとするルーミア、それをよしとせず追い縋るバルドゥール、再び双方が打撃を放ち、せめぎ合う覇気と覇気、火花が盛大に散り轟音が蒼空を震わせる。


 二人の攻防は常人に比してあまりに速く、動きを目で追うことすらままならない。地面が無惨に抉り取られていく。土煙が舞っては吹き散らされていく。拳撃が打ち鳴らされる音だけがただ置き去りにされ、吹き荒れる余波が周囲の凡人たちを弄ぶ。


 無限に続くかと思われた神速の戦いだったが、バァンッという一際激しい音が響き、双方が再び距離を取った。


 互いに怪我らしい怪我はしていないが、両者とも、額に薄く汗を浮かべ、荒く肩で息をしている。


「……凄まじい、凄まじいまでの強さよ。女だてらに、軽んじていたわけではないが、まさかここまでとは……世界広しといえど、お主ほどの使い手はそうおるまい」


 心からの賛辞を含んだバルドゥールの言葉に、ルーミアは答えない。


「しかし……お主も察したであろう。戦いの年季が違う。我とこのまま戦えば、お主が先に力尽きる」

「…………」

「美しく咲き誇る花を、無理に手折るような真似は我も望まぬ。……婚約の件を今すぐ答えよとも言わぬ。故に、この場は投降してくれぬか、ルーミア=エル=ディア=アームストロングよ」


 労りの情さえ見せるバルドゥール――しかしルーミアは、


「……ふふっ」


 笑った。


 俯いていたルーミアが、顔を上げる。


 ――そこには、晴れやかな笑顔があった。


「ここまで力を使って戦ったのは、初めてですわ。流石に疲れました」


 しかし。言葉の割に、微塵も疲労を窺わせぬ張りのある声。バルドゥールが表情を険しくする。ルーミアはそんな彼に構うことなく、言葉を続けた。


「貴方はお強い。本当に、今まで戦った誰よりも。――だから、先に謝っておきます。御免なさい」


 ゆらり。


 ルーミアのまとう光が、不気味に揺らめいた。


 バルドゥールは瞠目する。


 一見、先ほどと何も変わらないように見える。だが――密度が、違う。今までとは比較にならないほどに、ルーミアの全身に力が漲っていく。


「お恥ずかしながら、わたくし、今まで本気というものを出したことがありませんの」


 穏やかな笑みを湛えたルーミアの言葉は、しかし毒のようにバルドゥールの心に染み渡り、蝕む。


「でも、貴方のおかげで、今の戦いで、思い出しましたわ。国王陛下の言葉を、そしてわたくしに委ねられた務めを――」



『――存分に、そして本気で暴れてこい』



「今から、本気で、貴方を殴ります」


 右拳を、ゆっくりと、ぎりぎりと、握りしめるルーミア。


 臨界。


 その言葉を、連想せざるを得ない。限界まで高められた、純然たる力――


「なので、その……お亡くなりにならないでくださいね」


 いつの間にか、滝のように冷や汗を流していたバルドゥールは、


「待っ――」


 ルーミアが、にっこりと笑う。


「参ります」














 世界から、音が消えた。












 


 オオォォォォッ――と、全てが裏返るような感覚があった。


 瞬きにも見たぬ刹那、気がつけば、バルドゥールの眼前にルーミアの姿。


 その右拳が――流星の如き力を秘めた拳が凄まじい速さで、それでいてバルドゥールの知覚の中でやけにゆっくりと、空気を圧縮し燃焼し捻じ曲げ渦巻きながら、迫る。


 間に合え――と念じるように思った。


 それは果たして、攻撃をかわそうとしたのか、防ごうとしたのか。


 もはやどうでもいいことだった。


 白き閃光は全てを薙ぎ払う。




 大地を割り砕くほどの、爆音。




 ルーミアの光り輝く拳がバルドゥールの胸に突き刺さった。


 聖騎士団長任命に際し、皇帝より下賜された、火龍のブレスを受けても焦げ目ひとつつかず、土龍が踏んでも壊れないとまで謳われる世界最高の強度を持つ国宝級の特異霊装、守護の祈りと呪文が幾重にも封じ込められた聖鎧『ゲンゲロゲウス』が、悲鳴のような金属音を上げ。



 木っ端微塵に砕け散った。



 拳を防ぐことさえかなわず、どころか、隅々まで行き渡らせていた守護の魔力を逆にルーミアの覇気に侵食され、存在そのものが虚無へと返される。ほぼ丸裸となったバルドゥールの胸に、容赦なくめり込む右拳。


「ぐわああああああああああああ――ッッ!!!」


 巨人のハンマーのフルスイングでも受けたかのように、バルドゥールは吹っ飛んでいった。それこそ、流星のように。


 後には右拳を振り抜いた姿で、やけに清々しい表情をしたルーミアだけが残される。


「……ふぅ。すっきりした」


 遥か彼方へ放物線を描いて姿を消したバルドゥールだが、おそらく死んではいまい。そして万が一まだ意識があったとしても、到底戦える精神状態ではないだろう。ルーミアの手には肋骨を何本かへし折った手応えがある。そしておそらく、その心も。


 今まで幾度となく結婚志望者(チャレンジャー)をノしてきたルーミアにとって、その感触は実に手に馴染んだものだった。


「……さて、」


 羽根飾りのついた鍔広の帽子をかぶり直しながら、周囲を見回すルーミア。随分と大立ち回りを演じてしまったせいで、方角がわからなくなってしまった。かなり遠巻きにこちらの様子を窺っていた帝国軍の兵士たちが、びくりと体を震わせる。


「……そこの貴方」

「はっ、はひぃ!」


 手近、といっても大分距離があるが、適当な一人に声をかける。不運な兵士は、ルーミアの蒼い瞳に見据えられ今にも気絶せんばかりだった。


「帝国軍の本陣は、どちら?」

「あ、あっちです」


 にこやかに尋ねられ、思わず正直に答えてしまった彼を、誰が責められようか――


「ありがとう」


 くすりと微笑んだルーミアは、兵士に教えてもらった方へ、帝国軍の本陣目掛けて歩き出す。


 のしのしと進むルーミアを邪魔する者は、もはや誰ひとりとして現れなかった。 




          †††




 ほどなくして王国軍により、帝国軍は完全に無力化された。


 最終的にルーミア率いる王国軍対バルドゥール指揮下の帝国軍の戦いは、双方ともに死者ゼロ、帝国軍に多数の負傷者、そして五万に及ぶ帝国将兵が全て捕虜になるという形で決着がついた。


 言うまでもなく、後世に語り継がれるレベルの歴史的な大勝利、あるいは大敗北だ。帝国の侵攻により突如始まった戦争は、ルーミアの活躍でこれまた唐突に、しかも戦力比1:5という状態からの王国の逆転勝ちで幕を下ろした。


 周辺国、そして当事者たる帝国にもたらされた衝撃たるや、生半可なものではない。この一戦を契機に、長らく隆盛を極めていた帝国が斜陽の道を突き進むことになるのだが、それはまた別の話。


 ルーミアはというと、生ける伝説となった。


 幸か不幸か王国軍は見晴らしの良い丘の上に布陣しており、必然的に、ルーミアの突撃はあますところなく全軍に見届けられることとなったのだ。一般兵たちは英雄譚のような現実離れした光景に大興奮し、ルーミアを疎んじていた騎士たちは魂を抜き取られたようになり、ある程度ルーミアの実力を知っていた一部幕僚や高位の貴族たちでさえ、「本気出したらああなんのか……」と戦慄を禁じ得なかった。


 いずれにせよルーミアの活躍が人外じみていたのは事実であり、生き証人と化した兵士たちが行く先々で事の顛末を語るのは、もはや止めようのない流れだった。


『婚約者殺し』ルーミアが、『金色の暴風』に変わったのもこの頃からだ。


 ちなみに余談だが、帝国軍は本当に文字通り『全員』が捕虜となった。数的に劣る王国軍が無力化を完了するまでかなり時間に猶予があったが、それでも逃げ出したものはひとりとしていない。


 捕虜たちの話によると、帝国軍本陣から高位の貴族や幕僚たちをまとめて連れて行く際、ルーミアが「逃げないで待っててくださいね」と言い残していったらしい。


 それは、呟きのような小さな声であったにもかかわらず、戦場の隅々まで響き渡り、帝国兵を一人残らず震え上がらせたという――



 さて、勝利の報せとともに王都へ凱旋したルーミアは、当然のことながら、王国史に残るレベルの大歓待を受けた。



 特に、戦勝報告の謁見においては、国王が玉座から立ち上がりルーミアの手を取って直に感謝の言葉をかけるという、過去に例のない最高の扱いがなされた。ルーミアの勇名は王国中に響き渡り、正真正銘最強の戦女神として崇められるようになった――


 が。


 戦勝記念のパーティーや晩餐会、様々な催し物において、今後確実に王国で重用されるであろうルーミアに『利』の匂いを嗅ぎつけて群がってくる利己的な貴族たちに嫌気がさしたルーミアは、『体調不良』を盾にして早々に王都を脱出し、実家の辺境に舞い戻っていた。


 アームストロング家の屋敷のテラスでお茶を飲みながら、「ああ……」とルーミアは感慨深げに溜息をつく。


「やっぱり実家はいいわぁ~」


 ティーカップを置き、屋敷の料理人が作ったカスタードクリームパイに手をつける。


「ん~! 美味しい!」


 口いっぱいにクリームを頬張り、幸せというものを噛みしめるルーミア。やはり、実家の料理人が作るパイがルーミアにとっては一番美味しいのだった。


 いつも通りの日常を思う存分に満喫するルーミアであったが――


「ルーミアお嬢様! 大変です!」


 そんな日々は長くは続かない。


「どうしたの、爺や」


 大慌てで駆けてくるセバスに、何とも言えない渋い顔を向けるルーミア。


「殿下が! 皇太子殿下が……!」

「!! 殿下に何かあったの!?」


 しかし尋常ならざるセバスの様子に、国内でも屈指の爽やかイケメン、第一王子の顔を思い描きながら身を乗り出す。


「はい! 殿下が近く、現状の婚約を解消なされ――改めてルーミアお嬢様に婚約及びそのための決闘を申し込むとの報せが!」

「ホァッ!?」


 カスタードクリームパイを手にしたまま飛び上がるルーミア。


「現状の婚約を、解消!? じゃああの伯爵家のモヤシ女は……!?」


 ルーミアが思い描くのは、美人だがクッソ厭味ったらしい伯爵家の長女だ。自身の血筋と美貌にかなりの自信を持つ彼女は、以前「王国の美女といえば」という話題で辺境貴族に過ぎないルーミアと併せて名を挙げられたのが非常に癪に障ったらしく、それ以来何かと嫌がらせやら何やらをルーミアに仕掛けてくるようになったのだ。


 自分ではダンベルひとつ持ちあげられないくせに、とルーミアも彼女を馬鹿にしていたが、(あまりに格が違うと知りつつも)密かに狙っていた第一王子が、その娘と婚約を結んだと聞いた時は悔し泣きに泣いたものだったが――


「表向き、伯爵家令嬢側の『原因不明の体調不良』という理由で、婚約を解消されるとのことです。しかしながら、件の伯爵家令嬢が体調を崩したという事実はない模様でして。お嬢様の活躍を踏まえ、伯爵家の血や家格の差よりも、お嬢様を王室に取り込むべきと国王陛下が判断されたのでしょうなぁ」


 強ければ強いほど(男が)モテるこの世界において、『強さ』というのはかなり重要なステータスだ。国家の君主においても、知性と併せてそれなりの武勇を求められる。現国王も最盛期はお世辞を抜きにして王国屈指の戦士だったという。つまり、王家は強い血を求める――そして今回、それは今まで優秀な戦士を輩出してきた伯爵家ではなく、ルーミアであると判断が下されたわけだ。


 ちなみに、件のイケメンこと第一王子もかなりの使い手だ。魔法、武技、軍略、全てにおいて国内でトップクラスの実力を誇るという。驚くべきことに、顔だけではなく心もイケメンというおまけつきだ。ある程度の邪心なら見抜いてしまうルーミアの心眼をもってしても、『黒さ』が見当たらないのだから相当なものだ。チート転生したルーミアなどよりも、天然物という点でよほど稀な人材といえる。


 それが!!


 その王子が!!


「わたしと、婚、約……!?」


 思い出す。初めて王城に訪れたとき、右も左もわからずオロオロしていたところを、見かねた王子が優しく声をかけてきてくれたのだ。辺境の田舎貴族だからといって馬鹿にするでもなく、いや、貴族だとか何だとか、そういう色眼鏡を抜きにして、彼はルーミアという一人の女性を見つめてくれていた――思えば、ルーミアはあの時から――


「おめでとうございます、お嬢様」


 回想モードに入りつつあったルーミアに、含み笑いをするセバスが慇懃に頭を下げてみせる。ハッと我に返るルーミア。


「でっ、でもでも……いくら王家でも、ほとんど確定していた婚姻を、あからさまな圧力で取り消すなんて横暴の謗りは免れないわ!」

「お嬢様、ガッツポーズされながら仰っても説得力がありませんぞ」


 現状ルーミアは「自分より強い男じゃないとヤダ」と表明しており、王子がルーミアと婚約するには、まず彼がルーミアを武力で制圧する必要がある。セバス曰く、決闘に際してはスポーツ的なルールが導入され、王子も国宝級のえげつない武器や霊装を遠慮なく使ってくるだろうとのことだった。


 あの普段は優しく爽やかイケメンな彼が、真剣な顔で、そして本気でルーミアを落としに来るのだとしたら――


「あ゛あ――ッ! 勝てる気がしない――ッ!」

「お嬢様、涎が垂れておりますぞ」


 それはさておくとしても、メンツ丸潰れの伯爵家及び令嬢からも何かしら妨害や嫌がらせがあると見ていいだろう。特に、あの嫉妬とプライドの塊のような伯爵家令嬢が何もせずにいられるとは思わない。血涙を流しながら「キィ――ッ!」とハンカチを噛みしめる令嬢の顔が目に浮かぶようだ。


 幸いなことにルーミアには毒が効かないので、毒殺を恐れる必要はない。呪いの類に至っては無効化するどころか二倍にして跳ね返してしまうので、こちらも全く心配無用。だが、ルーミアに被害がなくとも、アームストロング家や周囲の人々を狙ってくる可能性もある。


 いずれにせよ警戒は必要だが、それらは線香花火が燃え尽きる寸前の一瞬の輝きと思っていい。なぜなら婚約が成立すればルーミアは将来のお后様だ、いくらルーミアが辺境の子爵家出身だとしても、そしていくら伯爵家に力があったとしても、おいそれと手を出せなくなる。


「つまり、それまでが勝負ね」

「向こうもそのつもりで来るでしょうからな。このセバス、お嬢様のためなら粉骨砕身する覚悟にございますぞ」


 何処からともなく禍々しいデザインのナイフをいくつも取り出してジャグリングし始めるセバスに、ルーミアは思わず笑ってしまった。


 ティーカップを手に取りながら、平和な空気の漂う屋敷の庭を見やる。


 ルーミアの苦難の日々は、多分、きっと。



 これからも、しばらく続く――







ルーミアが無事結婚できると信じて――!

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[一言] 本文読む前に、キーワードの「婚約破棄」の次が「婚約者も破棄」に爆笑しました。
[気になる点] あらすじを読まなければ内容に入れないのなら、それはもう「あらすじ」といわないのでは? [一言] 令嬢殺すに武力はいらぬ。 イケメン王子の笑みさえあれば。
[良い点] 痛快なり。 なんとしても続編が読みたくなる作品でありました。 [気になる点] 「それは今まで優秀な戦士を排出してきた伯爵家ではなく、ルーミアであると判断が下されたわけだ。」 誤字発見。「排…
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