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雨色の傘  作者: ハルタ
君色の朝
4/6

4話


 ざわざわと朝の教室は独特のざわめきを内包して登校してくる生徒達を迎える。今朝の空気は昨日夕方から夜通し降った雨のせいでホコリを落とされ、たっぷりと水気を含んで澄みきっていた。青空から降り注ぐ光がきらきらと水たまりに反射する。


「おはよ」


 陽介は今朝の太陽のように爽やかに、自分の前の席に座る親友に声をかけた。メガネをかけて古典単語帳をくっていた陽介の親友、神田はのっそりと顔だけで彼を振り返った。


「おはよタケ」

「…はよ」


 陽介がもう一度神田に挨拶をすれば、いつも通りの短い返事が返って来た。粗雑に自分の鞄を机の脇にかけ、席にどっかりと大股を広げて座り、明るい茶に染めたワックスで無造作に立たせた髪を下から上にかきあげながら「俺小テスト勉強してねーや」と苦い顔をしてみせた。


 普段なら「今からやれば?」といった神田の返事が返ってくる。陽介は当然のごとく、いつも通りの返事が来るだろうと思っていた。だが、帰って来たのは「んー」というなんとも気のない返事。そのまま神田はまたのっそりと前に向き直る。


「『んー』て。なんだよ『んー』て。つか3限目の小テストを今から勉強してんじゃねーこのインテリ野郎」


 陽介は後ろから神田のメガネを器用に奪い取る。神田は古典単語帳を閉じ、またのっそりと身体を横に向けて陽介を振り返った。珍しい。普段から物静かな親友だが、こんな風に静かなのは初めてだ。陽介はことりと首をかしげる。


「なんかあったのか?」

「……あった」


 神田のこの表情をなんと表現すれば良いのだろうか。いろんなことをいっぺんに考えた結果、表情にしようがないので無表情になっている、とでもいうべきか。普段は感情が読み取り辛く、親友と自負している自分でも何を考えているのか全く解らないことが稀にある。だから今日ほどにいろんな感情が表に噴出しているのを目の当たりにして陽介は内心とても驚いていた。正直面白い。冷静沈着を地で行く神田をここまで揺れ動かすなんて一体何があったのか。顔は自然と緩んだ。


「なんだよなんだよ。その感じじゃ別に悪い事って感じじゃねーよな。なにがあったんだよ?」


 ニヤニヤして尋ねれば、微かに神田の眉間に皺がよった。付き合いの浅い者だったら、怒らせたとひやりとするだろうその表情も、そこは中学からの付き合いだ。陽介はそれを一笑に付して冷やかした。


「良いからゲロっちまえよ。なにがあったんだよ?」

「……」

「ターケちゃーん」

「………三戸に…」

「三戸?それってお前の人生かけた片思いの?」

「……なんだそれ。やめろ…つーかここで話したくねぇから中庭行こう」


 カタリと席を立った神田を追うようにして陽介も席を立った。




 中庭へは陽介達の1階の教室をでてすぐにある階段、その脇の出入り口から出て行ける。ぐるりを校舎に囲まれてできている中庭。日があまり差さないので薄暗い印象だが、鬱蒼と木々が植わっているので静かに話をしたい時に生徒に良く利用されている。校舎の壁際に数脚長椅子が設けられており、神田はその一番手前の長椅子に投げやりに腰を下ろした。


 陽介は三戸という名前をたぐり寄せる。神田には想い続けている相手がいる。それが三戸あづさだったはずだ。とは言ってもほとんど話した事もないような相手で、ずっと〝気になる女の子〟程度だったらしい。本気になったのは高校生になって——正確には高校の入学式——からだと記憶している。


 しかし本気になったとは言っても、見かけによらず超がつくほど奥手の神田は、三戸とクラスが違うので接点が無く、アプローチしあぐねたまま入学から早数ヶ月。一学期も終わろうという状態だ。アプローチはおろか話題にすらほとんどしないために、神田が三戸を好きだと言う事そのものを忘れるほどだったが、夏休みを前にしてついに告白したのかと一瞬テンションが急上昇した。


 だが、このすこぶる頭の回転が速い親友が、テスト前なんていうややこしい時期にそんな事するだろうかと不思議に思う。神田の態度からしてもそこまでの大事件ではないだろうと踏んだ。陽介は長椅子に腰を下ろすと同時に胸元に指でハートマークをつくって首を傾げてみせた。


「告ってねーけど三戸とヤッフー!ラブハプニング?的な?」

「…俺、お前が親友で心底よかったと思ったわ」

「おい。バカにしてんのかコラ」

「察してくれてありがとうって言ってんだよ」

「どういたしまして」


 陽介が深々と頭を下げると同じように頭を下げる神田。こういうところのノリはいい。


「で?ただのラブハプなら機嫌いいだけのはずなのに複雑な心境になるその理由はなんだ」

「…鋭すぎるのも考えモンだな……」


 ぼそりとつぶやかれた内容はあえて突っ込まずに話を進める事にしよう。何も言わず、わざとニヤニヤと笑ってみせれば、神田はまた渋い顔をしたままやっと重い口を開いた。


 聞けば雨で立ち往生をしてた想い人である三戸を学校の最寄り駅どころか——神田は高校に上がる時に高校のそばに引っ越している——三戸の地元の駅まで送り届けたという。


 * * *


 三戸あづさと別れてから、神田はガラガラの電車の中、ひとり悶絶していた。


――やっちまった


 思い出されるのはついさきほどのやりとり。思い出せば思い出す程今すぐ電車を飛び降りて叫びながら深く深く穴を掘ってそこに入りたかった。


――いくら舞い上がってたからって!あれはねぇだろ……!


 電車内にほとんど人がいないのをいいことに神田は頭を抱えて、膝の間に頭を埋めるほど身体を曲げて、熱の引かない顔を隠した。許されるなら叫びたかった。


 15年だ。保育園の頃から15年。ずっとずっと気になっていた女の子。進級し新しいクラスになるたびに、一番最初に気付く女の子だった。いないことに気付くのも他の誰よりも一番最初だった。高校進学のときにこれでもう会えなくなるのだと思った時に、ぽっかりと心に穴が空いた気がした。そこでようやく自分の本当の気持ちに気がついたのだ。


 だが、もう遅い。きっと縁がなかったのだと諦めた。それなのに、入学式の時に三戸の姿を見つけたのだ。その時の感動は今でも鮮明に覚えている。興奮のあまり陽介を揺さぶって「三戸がいる!」と叫んだくらいだ。そのおかげで、三戸への想いを陽介に洗いざらい吐かされたのだが。


 これまでの人生ずっと気にし続けていた女の子が雨で立ち往生していた。最初は誰かを待っているのだろうと、その横を通り過ぎた。帰り際に彼女の姿を見れて良かった。その程度にしか思っていなかった。だがふと校内の様子を思い出し、もしかして、と思った。もしかして。その一縷の期待を胸に引き返してみれば、その期待は裏切られなかった。半ば強引に三戸を雨の中に連れ出した。


 緊張した。ずっと思い続けていた女の子が隣にいる。舞い上がった。濡れるからと言ってもっと引き寄せたかった。しかし、神田と三戸はそこまで親しくない。ぐっと我慢したと同時に唐突に不安になった。


 三戸は自分のことを覚えているのだろうか?名前は覚えてくれていた、でも存在は?ずっと君を見ていたことを君は知らないだろう。でもずっと同じクラスだったことすら知らないなんて、そんなこと、あるのだろうか?


 不安に駆られてその疑問をぶつけてみれば、それは杞憂に終わった。三戸も、ちゃんと神田のことを覚えていた。そこからは夢にまで見た時間だった。三戸が笑って話をしている。嬉しくて、楽しくて、


 欲が出た。


 もっとずっと一緒にいたい。この気持ちを伝えたい。その一心で最後まで黙っているつもりだった自分の家が学校のそばだという事実を明かした。だが意外な程三戸はその理由が解らなかったようだった。かけらも意識してもらえていないことにすこしばかり腹が立って、誤摩化してその場を去ることにした。


 だが、改めて、こんなチャンスはもう来ないかも知れないと、踏切を渡りきり、そう考えたら勝手にこの口はあんなことを口走っていた。


 テストで三戸が勝ったら、神田が三戸を地元まで送った理由を言う。つまり、告白するのだ。三戸のことが、ずっと、ずっと——好きだったのだ、と。


 もったいぶったやりかただ。キザったらしいことこの上ない。これでテストで自分が勝ったら一体どうする気なんだ。あああああああ。


 でも、と、思う。ああ言った。それに三戸は喰いついた。それはテスト明け、また三戸と話す確約が出来たということだ。今までの15年を考えればとんでもない進歩じゃないか。


——よくやった


 密かにガッツポーズを決めた時、電車は目的の駅に到着し、神田は堂々と電車を降りた。幾分かましになったとは言え相変わらず雨脚は強い。全ての音を遮断するかのような雨の音を聞いていると、自然と三戸との会話が思い出され胸が温かくなった。そして件の問答をまた思い出す。


「〜〜ッ!!」


 神田は堪らず傘もささずに、一目散に家に向かって走り出した。


 * * *


「珍しく青春したなー」

「…言うな……。いますぐ腹かっ捌きたくなる……」


 気持ちは解らなくもない、と陽介は苦笑する。まったくこの男は。バカ正直というか不器用というか。今風のくせに妙に古風というか。だがそこが神田の美点でもある。くくっとまた苦笑して、ふと顔を上げると、渡り廊下を三戸が友人と談笑しながら歩いているのが目に入った。


 渡り廊下を行く三戸。眉毛の上で綺麗に切りそろえた真っ黒の前髪。肩より少し長い後ろ髪はきちんとふたつに分けて結わえられていてとても清潔感がある。改造もしなければ着崩されてもない制服は着用見本の用で味気ないが、しかし三戸にはそれがよく似合っていた。相変わらず地味で大人しい印象だが、中学の頃から比べるとまるで三戸に興味のない陽介の目から見ても格段に綺麗になったように思われた。


——早くしないと他の野郎に取られちまうぞ、タケちゃんよ。


 盗み見るように神田を見れば膝に肘をつき、合掌するような形で鼻と口を隠したうえに目も閉じて眉間に深い皺を寄せていた。その親友の様子に陽介はただただ苦笑する。


「なぁ、タケちゃんよ」

「……おう」

「とりあえず今回のテスト、死ぬ程頑張って三戸に負けんな」

「……その心は?」

「玉砕よりもお友達から」

「…なるほど」


 三戸に負ければ、イコールそれは告白しなければならないということだ。いづれ告白するにしても、やっと三戸の眼中に入る事が出来た今の状況では、いくら人気者の神田と言えど時期尚早だろう。むしろ、男慣れしていなさそうな三戸が相手なら、モテる神田だからこそお断りされそうな気がする。それなら今回勝つ事でその真意を伝える事を先送りし、それを口実に三戸との距離を縮めれば良い。


「一理ある」


 顔を上げた神田の表情はすっきりとしていてまるで憑き物が落ちたようだ。なんて単純な。そう思ったがそれは心に留めておく。


——これもある意味、恋は盲目っつーのかな。


 端から見ていれば呆れるようなその気持ちの揺れ。ほんの些細な事で一喜一憂出来る相手がいるというのは、バカみたいだが、でも、やはりどこか羨ましい。「結構好きかも」などと言って簡単に付き合ってしまう周りと比べれば、親友のこの真剣さはとても尊いものに思えた。


 陽介はバシンと神田の背中を思いっきり叩いた。


「陽介痛ぇ…」

「整理は出来たか?」

「……おう」


 んじゃ教室帰るか、と立ち上がって伸びをする。丁度校舎に入ろうとしたそのとき、後ろからびゅっと風が背中を押しふたりはたまらずたたらを踏んだ。


「っと」


 神田が一歩前にでた。同時に女子生徒の小さな声が耳に届く。


「…あ」


 神田がそう呟いて固まった。後ろに続いていた陽介はどうしたのかとその視線の先を辿って、ただ、苦笑した。そこにあったのは、少し頬を染めた三戸が足早に教室に入って行く姿。


——頑張れタケ


 期末テスト終了まで、あと10日。


 結果やいかに。


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