01
心地よい風が頬を掠める穏やかな日、クリアな耳障りがよい声が緊迫感の漂う中で空気を震わす。
石で出来た家の壁に両腕を組んだ状態で預けたまま、上半身だけで振り向いた声の主は、光の角度によっては金色にも見えるとろりとした琥珀色の瞳を油断なく眇めた。
振り返った先には言葉の終わりと同時に息を潜めてぴたりと動きを止めた人影…その数は二桁近い。
麗らかな日差しに似合わぬ真剣な表情、呼吸すら止めよとばかりに緊張感を出した彼らは、合図の言葉から開放される時をじっと待った。
しかし───。
「う、うわっ」
「ピートっ、堪えろ!」
「頑張れピート君!」
甲高い声援がいくつも送られるも、片足立ちで何とかバランスを取っていた人影───未だ十を超えてないだろう年齢の少年は、堪えきれずに肩膝をついてしゃがんでしまう。
その瞬間、我が意を得たりとばかりに琥珀色の瞳を悪戯な猫のように細めた女は、にいと口角を持ち上げた。ぽてりとした桜色の唇を綻ばせピートと呼ばれた少年を指差し、よく通る声で少年に止めを刺すべく声を出す。
「ピート君、動いた」
「───だぁああ!!あとちょっとで切れたのにー!」
「ふふん、この私の眼力から逃げようなんて甘いのよ」
チッチッチと細く長い指を振りつつ子供相手に些か大人気ないまでに笑った女性は、ふふんと機嫌よくハニーベージュの髪を掻きあげた。
妙齢の男性であれば思わず見惚れてしまうだろう仕草だが、負けを宣告されたばかりの子供からすれば悔しさを書き立てる材料でしかないらしい。
マリエッタ・カヴァン。当年とって二十一歳の、いわゆる大人に分別されるはずの彼女は、十以上年下の子供相手との遊びでも手加減なんてものはせず、むしろその整ったスタイルを強調するように自慢気に腰に手を当てて胸を逸らす。
ただでさえ人並み以上の大きさの胸がより存在感を増したが、破廉恥な思考を持つには未だ幼い子供たち相手なので、名前を呼ばれた少年が悔しげに地団太を踏むに留まった。
「くっそー!今度こそマリー姉ちゃんをぎゃふんと言わせれると思ったのに!」
「あーあ、これで残るはラチェットとミリーちゃんとトッド君だけかぁ」
「マリーちゃん、大人の癖に大人気ないよ」
「なんとでもいいなさい、勝負の世界は過酷なのよ」
瞬くたびに音を立てそうなくらい長い睫毛に、筆で描いたようなしゅっと整った眉、唇はぽてりと程よい厚みを持ち、少し垂れ目がちな瞳は黒目の部分が大きく視線がひきつけられる。
きめ細かくこの大陸では珍しい抜けるような白い肌を持ち、健康的に淡く染まった頬に掛かる色素の薄いふわふわと柔らかな腰まで届く長さの髪は、水色のシュシュで左側で緩くまとめられていた。
すべてのパーツが絶妙的に配置され、また見られることに慣れているのか、容姿だけではなく背筋を伸ばした立ち姿すら凛として美しい。
身体を包む服装も異国風の装いで派手な身体に沿った作りの着る相手を選びそうな服装も、彼女はしっかりと着こなしていた。
黙っていれば清楚にも見える際立った美貌を持ちながらも、口を開けば割と庶民的。
親しみを篭めて『残念な美人』と呼ばれることも多々あるが、マリエッタ的には特に気にならない評価だった。
「あらあら、みんな楽しそうねぇ」
「あ、リフィルさん。お仕事お疲れ様です」
「ふふ、マリーちゃんこそ、お勤めご苦労様」
ひょこりと、先ほどまでマリエッタが顔を向けていた壁の傍にある、裏戸から出てきたふくよかな女性がにこりと笑顔を向ける。
その彼女に頭を下げて微笑み返したマリエッタは、彼女が両手に持っていた器を受け取ると、子供たち相手に向き直り視線を合わせるために腰を屈めた。
雇い主の一人であるリフィルが菓子を持って現れたなら、自分の仕事は終了だ。
ここ二週間ほどの通例どおりに集まった子供たち一人一人に、芳醇な香りを漂わせる菓子を配り、皿をリフィルに返した後に子供たちを家に送り届ける。
それが今、マリエッタがギルドから受けている依頼で、子供との仁義なき『だるまさんがころんだ』も仕事の一環だった。
「マリー姉ちゃん、明日は何して遊ぶんだ?」
「おれ、はないちもんめがいい!」
「あれじゃ勝負がつかないだろ。鬼ごっことかどうだ?」
「鬼ごっこだとマリー姉ちゃん猛烈な勢いで追いかけてくるじゃん。もっとさ、なんか俺たちが勝てる勝負にしようぜ」
「色鬼とか?」
「───あの子たち、本当にマリーちゃんに懐いてるわね。助かるわぁ」
「私も楽しく働かせて頂いて、本当にありがたいです」
「ふふ、繁忙期だから子供の相手が出来なくて毎年困ってたの。今年はマリーちゃんが来てくれて助かったわ」
「恐縮です」
口いっぱいに菓子を頬張りつつ作戦会議をする子供たちを見て、宿屋の女経営者のリフィルは嬉しそうに瞳を細める。
彼女を含めて仕事で忙しい女性連からギルドに出された変則の護衛の依頼、簡単に言うと『子守』は、冒険者たちに人気がなく中々受けてくれる相手がいなかっただけに、もうすぐ祭りが始まるが故に繁忙期で子供の相手が出来なかった母親たちにマリエッタは感謝されていた。
祭りが近いので人が多く暇がないのだが、子供を家に閉じ込めっぱなしにするのは可哀想だし、だからと言ってまだ幼い子供だけで外で遊ばせるにも心配。
しかし近所の友人や知人も商売をしてれば自分のところと内情は変わらず、それならいっそと子供がいる母親たちで賃金を出し合ってギルドに正式に依頼を出したのだ。
だがギルドが基本どんな依頼でも受け入れるとはいえ、引き受けられるかどうかは別問題というのも知っていた母親たちは、半ば運にかけているような状態だった。
冒険者は魔物討伐や護衛や採取の依頼を好んで受けるので、いくら護衛と銘打っていても、マリエッタみたいに受ける方が本来なら珍しい。
「それに冒険者ギルドに依頼を出したからには、ちょっと強面の男の人が来るとか、そういうのも覚悟してたの。その点でも、本職のマリーちゃんが受けてくれて助かったわ」
「あはは・・・私もちょうど相棒がソロの仕事を請けて暫く一人だったんで、ちょうどよかったです。子供たちは可愛いですし、楽しいですし」
少しばかりマリエッタの本職を勘違いして覚えてそうなリフィルに苦笑しつつ、本心も交えた返事をする。
長年の相棒が指名の仕事を請けたのが二週間とちょっと前。そろそろ依頼を終えて戻ってくる頃合だ。
折角の祭りなのにと思わなくもないが、お陰で仕事とはいえ随分と楽しい依頼を受けれたのでよしとしよう。
この依頼もあと三日。夕方5つまでの仕事なので、昼の祭りに参加できなくとも、開催期間中に相棒が戻ってきたなら夜の祭りに参加するくらいは出来るだろう。
「マリー姉ちゃん、明日は何して遊ぶー?」
「ふふ、本当に『遊び人』の方に仕事を請けてもらって、私たち運がいいわ」
頬に手を当てて首を傾げる仕草をしたリフィルは、おっとりとした雰囲気と似合ってとても可愛らしい。
あはははと若干乾いた声で笑いつつ、思わず眉尻が下がるのは仕方ないと思う。
マリエッタ・カヴァン。当年とって二十一歳。花の独身、恋人なし。
冒険者登録している冒険者であり、職業『遊び人』。
ついでのおまけでインパクトを付け加えるなら、何の役にも立たないけど前世の記憶もちの転生者。
名前も覚えていない前世の兄の影響でRPGに嵌っていた自身も、当時は『遊び人』なんて縛りプレイの一環の職業、程度にしか考えていなかった。
だから今生きている現実世界で、冒険者でマイナーすぎる職業『遊び人』についているマリエッタを、『遊び上手な人』、もしくは『遊び好きな人』、または『常に遊んでる人』と様々な解釈をされているのもわからなくもない。
───わからなくもないが、声を大にして叫びたくなる瞬間がある。
(私は確かに遊び人だけど、『遊び人』の意味が違うっ!!)