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観測者の介入

シリウス・アストレイドという男にとって、世界はすべて数式と観測データで説明がつくべきものだった。

だからこそ、王宮の北西──あの「魔力ゼロ」の第二王女が隠れ住む場所から放たれる『静寂』は、彼にとって耐え難いノイズとなっていた。


「……不可解ですね。あそこには、何も存在しないはずなのに」


シリウスは独り、王宮の端に位置する『忘れられた温室』へと足を踏み入れた。そこはかつて珍しい薬草が育てられていた場所だが、今では魔導師たちに管理を放棄され、腐敗と乾燥が支配する植物の墓場だ。だがシリウスの手にある星術盤の針は、狂ったように温室の奥を指して震えている。


「おや、これは……」


シリウスの視線が、一箇所の土壌に釘付けになった。

周囲の植物がすべて灰色に枯れ果てている中でそこだけが、不自然なほどに瑞々しい緑を湛えている。最近まで死んでいたはずの「月の光草」が、まるで誇らしげに胸を張るように咲き誇っていた。シリウスは手袋をはめた指でその花に触れ、冷徹に分析する。


(魔力の残香はない。呪文の形跡も。しかし、命の帳尻が合っていない。死んだものを呼び戻すには、それ相応の『代償』が必要なはず……)


シリウスの脳裏に、古き禁忌の術式が浮かぶ。

──黒魔術。

魔力を持たぬ者が悪魔と血の契約を結び、己の寿命や魂を削って振るう、呪われた力。


(ルナリア様。貴女はこの静かな絶望の中で、ついに『外側』のものと手を組んだのですか?)


そう思わなければ、この事象に説明がつかない。彼女は毎日、人のいない図書室やこの墓場のような温室に通っている。それは、悪魔への供物を捧げるための密会なのではないか。


「……そこで何をしていらっしゃるのですか?」


背後から鈴の音のような怯えを含んだ声が響いた。振り返るとそこには、ショールを羽織ったルナリアが侍女のソフィアを連れて立っていた。


「おや、ルナリア様。奇遇ですね。こんな死に絶えた場所で、一体何を?」


シリウスは慇懃に一礼する。その瞳は笑っていない。

ルナリアはシリウスの冷徹な視線に射すくめられ、思わず一歩後退りした。


「私はただ……ここが静かなので。お花に……挨拶をしていただけですわ」


「挨拶、ですか……貴女が触れると、死んだはずの花が生き返る。それはこの国の理では『奇跡』とは呼びません。『契約の成果』と呼ぶのですよ」


シリウスは一歩、また一歩と距離を詰める。

ルナリアは何を言われているのか分からず、困惑に瞳を揺らした。


「け、契約……? 何のことでしょうか……」


「白々しいですね。魔力を持たぬ者が、これほどの生命エネルギーを動かす。その代償に、貴女は何を差し出したのですか? その身に流れる血ですか? それとも、貴女の残り少ない未来ですか?」


シリウスの手が、ルナリアの細い手首を掴もうとした瞬間──ルナリアを庇うように、ソフィアが前に飛び出した。


「おやめください、アストレイド様! ルナリア様は何も……何も悪いことなんてなさっていません!」


「……どいてください。これは観測者としての義務です。王国に仇なす禁忌の芽は、早めに摘んでおかねばなりませんからね」


シリウスの周囲に、天文学的な幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。彼は本気だった。この『静寂』が黒魔術による汚染であるならば、たとえ王女であっても拘束し、その魂を暴かねばならない。


「やめて……っ、私は、ただ……!」


ルナリアが顔を覆い、強く目を閉じた。

その瞬間、温室全体の空気が凍りついた。

シリウスが展開した魔法陣が、まるで水面に投げられた石の波紋のように、一瞬でかき消されたのだ。


「……何……!?」


膝をついたシリウスの視線の先。硝子の天井から差し込む光を遮るように、一人の男が立っていた。


「……レグナード。なぜ、お前がここにいる」


シリウスの問いに対し、レグナードはいつもの飄々とした余裕を消し、氷のような冷徹な声で答えた。


「お前は、自分が何をしようとしたか理解している?」


「ええ、もちろん。禁忌の芽を早めに摘むのも、理を司る私の役目ですからね。貴方こそ、余計な干渉をしないでください、レグナード」


「禁忌? それはまた、笑えない冗談だね。全部お前の勘違いじゃないか」


レグナードはゆっくりと、ルナリアを庇うようにソフィアの前に立った。

シリウスは顔を歪め、背後のルナリアを指差す。


「ですが、この異常な生命力は! 黒魔術の介入なしに、魔力ゼロの彼女にこんな真似ができるはずがない!」


「……シリウス。彼女から闇の力は感じられない。それどころか、魔力の残穢(ざんえ)も一切ないよ」


レグナードの言葉に、シリウスが息を呑む。

彼は王国内でも随一の闇属性の適正を持ち、禁忌の魔術や呪いの痕跡を見抜くことに関しては右に出る者はいない。その彼が「感じられない」と断じることは、理論として絶対の重みを持っていた。


「……()が感じられないって言っているんだ。この意味が分からないわけじゃないだろう?」


圧倒的な威圧感。シリウスは、レグナードの内に眠る底知れない魔力が、自分を明確に「敵」と認識していることに戦慄した。

 

「……では、この花はどう説明するんですか。管理もされず、枯れ果てていたこの花が!」


シリウスが食い下がろうとしたその時、ソフィアが震える声で、けれど鋭く言葉を挟んだ。


「……この温室には、ソレイア様もお見えになっております」


その一言に場が凍りついた。ソフィアはルナリアの手を強く握りしめ、レグナードとシリウスを交互に見据える。


「ソレイア様が、勉学の一環だと言って……ここで時折、魔法を試していらっしゃいます。ルナリア様は、その後に残ったお花を眺めていらしただけです」


「ソレイア様が……?」


シリウスが沈黙した。

確かにソレイアは、ルナリアへの「慈悲」として彼女の好む温室に足を運ぶことがあり、その有り余る光の魔力で無意識に植物を活性化させる可能性は十分に考えられる。

シリウスはチラリと、瑞々しく咲く月の光草を見た。そこにあるのは確かに「生」のエネルギーだ。けれど、それがソレイアの眩い光によるものなのか、それとも、今にも消えてしまいそうな隣の少女によるものなのか。


「……聞いたか。お前の観測不足だよ、シリウス。ソレイア様の慈愛が、お前の計算外の奇跡を起こした。それだけのことだ」


「……失礼しました。どうやら、私の計算に『太陽の気まぐれ』を入れ忘れていたようですね」


シリウスは屈辱を隠すように慇懃に一礼し、踵を返して去っていった。

静寂が戻った温室で、レグナードはゆっくりとルナリアを振り返った。怯えたように肩を震わせる彼女と、その手を守るように握る侍女。レグナードの瞳から刺々しい熱が消え、元の掴みどころのない霧のような色が戻る。


「……ルナリア様。あまり、一人でこういう場所に来ない方がいいよ。君はもっと、安全なところにいるべきだ」


その声はシリウスに向けた時とは違う、どこかやり場のない切なさを孕んでいた。レグナードはそれ以上何も言わず、自分の胸の奥で騒ぎ続ける「直感」を押し殺すように、足早に温室を後にした。

レグナードが去った後、ソフィアは耐えきれずその場に座り込み涙をこぼした。


「ルナリア様……。お守りできて、よかったです……」


「ソフィア、ありがとう……。でも、どうしてお姉様のことを……?」


「……嘘ではありません。あの方は確かに、一度だけここへいらっしゃいましたから」


ソフィアはそれ以上語らなかった。

ルナリアはソフィアを抱きしめながらも、先程レグナードが自分を庇った背中の熱と、一度だけ響いた低い「俺」という声をいつまでも忘れられずにいた。

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