陽だまりの少女と祈りの少女
十五歳の春。
それは、王国のすべての少女が「花」として格付けされる残酷な季節だった。
第一王女ソレイアの王立魔法学院への入学を祝う、壮麗な祝宴。本来ならば双子の妹であるルナリアもその門を潜るはずだったが、魔力を持たぬ者に魔法文明の精華たる学院の席は用意されていない。
ルナリアは絢爛豪華な光の渦から逃れるように、会場の隅にある柱の影に佇んでいた。
(私はあそこには行けない……一生、行くことはないのね)
視線の先には、学院の制服を華麗に纏った姉がいる。
ソレイアが笑えば周囲の光属性が共鳴し、空間そのものが黄金色に輝く。その眩い光に引き寄せられるように、王国中の貴公子たちが彼女を囲んでいた。
ルナリアは、いたたまれなさにその場を離れようと歩き出す。だが人混みを避けて壁際を進む最中、ソレイアを囲む候補者たちの輪と、どうしても至近ですれ違わなければならなかった。
「あー……。悪いけどルナリア王女、そこを通られるとなんていうか……ほら、空気が冷めるんだよね」
風属性の公爵嫡男カイゼルが、談笑の腰を折られたことへの隠しきれない疎ましさを孕んだ笑みで、進路を塞ぐように皮肉を投げた。悪意というよりは、純粋に「不純物が視界に入った」と言わんばかりの態度。
その隣に立つ武門のヴァルディスにいたっては、ルナリアの気配を察した瞬間に、汚らわしいものから身を翻すように無言で背を向けた。
「……申し訳ありません」
ルナリアは消え入りそうな声で謝罪し、さらに影の濃い場所へと身を隠した。彼らにとって魔力のない自分は「対等な人間」ですらなく、ただそこに存在するだけの静止した風景に過ぎない。
そんな中レグナード・クローヴィスだけが、ふとルナリアに視線を向けた。冷徹な氷の瞳。彼は、ソレイアの王婿候補の中で最強の魔力を誇る魔導師であり、そして何より、誰の目にも明らかなほどソレイアを特別に慈しんでいる。
(レグナード様……)
ルナリアの胸が、引き裂かれるように疼く。
レグナードがソレイアに向ける、あの甘やかで献身的な眼差し。なぜ彼がソレイアにあれほど執着しているのか、ルナリアには分からない。けれど二人が並び立つ姿はあまりに完璧で、自分のような影が入り込める隙間など、最初からどこにもなかった。
「ルナリア様。無理をしてこの場に留まる必要はないよ。君には、静かな図書室の方がお似合いだ」
レグナードの言葉は、表面的には静かな気遣いだった。けれど、ルナリアにはそれが「君の居場所はここではない」と、優しく宣告されたように感じられた。
「……はい。お気遣い、ありがとうございます」
ルナリアは精一杯の微笑みを浮かべ、彼に会釈した。
レグナードは一瞬、何かを確かめるように彼女を見つめわずかに眉を寄せたが、すぐにソレイアの元へと戻っていった。
「ソレイユ様。僕も学院ではあなたの魔術の研究を支えられるよう、全力を尽くします」
レグナードの「僕」という一人称は、ソレイアへの親愛が混ざり合ったこの上なく優しい響きを持っていた。それを背中で聞きながら、ルナリアは逃げるように回廊へ出た。
背後で重厚な扉が閉まり、祝祭の喧騒が遮断される。
(早く、自室に戻ろう。あそこだけが、私の居場所だから)
自分は無価値な空っぽで、誰の役にも立てない。
そんな暗闇の中、一瞬だけ自分に声をかけてくれた彼の氷の瞳を思い出し、彼女は胸の痛みを誤魔化すように自室の机で待っている古びた日記帳を思い浮かべた。
誰にも見せられない、魔法も使えない自分の惨めで、けれど捨てられない祈りを綴るための場所。
ルナリアは冷えた自分の両肩を抱くようにして、誰もいない暗い回廊へと足早に消えていった。
ただ一人、星術を司るシリウス・アストレイドだけがルナリアが去った後の誰もいない空間を、射抜くような眼差しで見つめていた。
そのことにルナリアは気づいていない。
彼が手にした星術盤の針が、震えるように「ルナリアが去った方向」を指して止まっていることも。
◆
自室に戻ったルナリアは重い扉を閉めると同時に、深く長い溜息をついた。
ルナリアは机に向かい、引き出しの奥から一冊の古びた日記帳を取り出す。それは彼女にとって、自分の存在を許せる唯一の聖域だった。
『十五歳の春。お姉様は明日から、光り輝く学院へと進みます。レグナード様も、お姉様の隣で歩んでいかれるのでしょう。図書室が似合うと言ってくださった彼の瞳は、とても冷たく綺麗でした。私には何もない……本当に、何一つ持っていないけれど。せめて彼らの歩む道に、不幸の影が落ちませんように』
ペンを置いた時、背後で微かな衣擦れの音がした。
「……ルナリア様。お着替えの準備が整っております」
静かな声の主は、侍女のソフィア・ベルフォード。
没落貴族の出身で、魔力が低いという理由で虐げられていた彼女を、数年前ルナリアが拾い上げたのだ。
『第二王女に侍女なんて必要ないでしょう』
周囲の冷笑を浴びながらルナリアは、静かにソフィアの手を取って「私には必要です」と言った。あの日、行き場を失っていたソフィアを救ったのは、他でもないルナリアの、魔力などではない温もりだった。
「ありがとう、ソフィア。今夜は、少し疲れちゃったわ」
「……はい。存じております」
ソフィアはルナリアの背後に回り、手際よくドレスの編み上げを解いていく。
ソフィアは知っている。
ルナリアが毎夜、この日記にどれほど切ない想いを綴っているかを。レグナードという、決して手の届かない魔導師への一途で悲しい恋心を。
そして、ソフィアだけが気づいている。
ルナリアが去った後の部屋に、なぜか微かに月光のような透き通った気配が残ることを。
「ルナリア様。明日は……庭園の『忘れられた温室』へ行かれますか?」
「ええ。あそこなら、お姉様たちを見送らなくて済むものね」
翌朝。
ソレイアと候補者たちが華々しく学院へ出発する喧騒を避け、ルナリアはソフィアを連れて城の北西にある古い温室を訪れた。そこは魔術師たちが管理を放棄した、枯れ果てた植物の墓場のような場所だった。
ルナリアは、足元に倒れていた一輪の「月の光草」に目を留める。魔力による温度管理が途絶え、茎は黒ずみ、今にも塵になりそうなほど干からびていた。
「ごめんね。私が魔法を使えたら、あなたを助けてあげられたのに。せめて安らかに……あなたはよく頑張ったわ」
ルナリアは誰にも見られないように、枯れた花をそっと両手で包み込んだ。それは彼女にとっての「祈り」ですらなく、魔法を使えない自分による、無力な弔いに過ぎない。
ルナリアが「寂しいわね、ソフィア」と呟いて温室を去った、その直後。
背後でソフィアが足を止めた。
彼女は見た。
ルナリアが触れたはずの黒い茎が、まるで時間を巻き戻したかのように瑞々しい緑を取り戻していくのを。一滴の魔力の揺らぎも呪文の残香もない。
ただそこにあるのが当然であるかのように、真っ白な花が誇らしげに咲き誇ったのだ。
「……あ……」
ソフィアは溢れそうになる涙を堪えて、ルナリアの背中を追った。
ルナリアは、何も気づいていない。
自分がどれほど強大な、そして慈悲深い奇跡をその手に宿しているのかを。周囲から「無価値だ」と虐げられ続けたせいで、自分の価値にこれっぽっちも気づいていないのだ。
(ルナリア様……、私は知っています。あなたのその手が、世界で一番温かいことを)
自分だけはこの方の「真実」を、誰にも言わずに守り抜こうとソフィアは心に誓った。




