歪んだ均衡
王宮の中心部は、今日も眩いほどの活気に満ちていた。
カイゼルは傍らに立つソレイアの横顔を、眩しさを堪えるように見つめていた。十七歳になった彼女は、次期女王としての輝きを増し、その存在は王国の正義そのものだ。その彼女がバルコニーから中庭を見下ろし、不安げに眉を寄せた瞬間カイゼルの胸に鋭い痛みが走った。
「……おかしいわ。レグナード様、今日も学園の研究室に籠もっているの?」
ソレイアの一言に、カイゼルは隣のヴァルディスと一瞬だけ視線を交わした。ヴァルディスの拳が、ミシリと音を立てて握りしめられる。カイゼル達は知っていた。今、学院に行ってもレグナードはいない。最近は研究室にすら顔を出さず、どこか別の影へと消えていくのだ。
「ソレイア様。あいつは最近、魔導の研究に没頭しすぎているんですよ。少し頭を冷やすように、僕からも言っておきますよ」
カイゼルは努めて軽やかな口調で言った。ソレイアを悲しませることなど、あってはならない。彼女は愛されるために生まれてきた存在であり、レグナードはその光を誰よりも近くで守る「連理の枝」でなければならないはずだ。だというのに、今のレグナードはまるで、別の場所にある月光に枝を伸ばそうとしている。
(あいつ、マジで何を考えてるんだ……! ソレイア様を不安にさせるなんて、万死に値するだろ!)
カイゼルの内側で親友への「畏怖」が、ドロドロとした「怒り」へと変質していく。
「……いいえ、いいの。レグナード様がお疲れなら、私から会いに行けばいいだけだわ!」
ソレイアがパッと花が咲くような笑みを浮かべた。その無邪気なまでの全能感。彼女は、自分の愛が拒絶される可能性など、微塵も考えていない。
「サプライズよ。さあ、二人とも今から学園に行きましょう!」
「ソレイア様、それは──!」
ヴァルディスが慌てて声を上げるが、彼女は既にドレスを翻して歩き出している。学院にいないことがバレたら、彼女のあの笑顔が曇ってしまう。カイゼルは冷や汗を拭いながら、最悪の事態を防ぐための嘘を必死に組み立て始めた。
一方、王宮の深い静寂に包まれた図書室。
シリウスは精密な観測術式が展開された星術盤を、食い入るように凝視していた。
「……計算が合わない。あり得ないはずだ」
シリウスの眉間に深い皺が寄る。天体の導きと魔力の流れを完全に把握しているはずの彼の理が、今激しく揺らいでいた。
魔力を持たぬ者が寄り付くことすら稀な、北西の離宮周辺。そこで定期的に、既存の魔導理論では説明のつかない『因果の逆転』が起きている。それは魔力による干渉ではない。シリウスには、その空間は依然として「空虚」な空白地帯にしか見えなかった。だからこそ、その空白地帯で「結果」だけが書き換えられている事実に、彼は言いようのない焦燥を感じていた。
「魔力ではない……、では一体何が……」
シリウスの指先が、星術盤の中央に浮かぶ不自然な静寂の一点を指し示す。その謎を解明しようと彼が古書を捲り、数式を書き連ねていたその時──。
星術盤の針が、今までにない激しさで回転を始めた。
「……ッ、今度は何だ」
針がピタリと止まったのは、王国の南方に位置するカルディア地方の方角だった。シリウスは素早く周囲の書籍を読み漁り、現地の情報を繋ぎ合わせた。判明したのは、ある凄惨な『自然災害』の予兆だった。
「数ヶ月にわたる異常干ばつ……。畑も川も干上がり、このままでは酪農も壊滅する。数週間のうちに、数万の民が飢えに沈むことになる」
シリウスは冷徹に、確信を持って結論を導き出した。
「もはや、通常の水魔術や気象操作では太刀打ちできない。この規模の渇きを癒せるのは、概念そのものを塗り替えるほどの力──」
その時、図書室の扉が音を立てて開き、王宮の伝令が駆け込んできた。
「シリウス様! 南方の非常事態について、至急の王命です。ソレイア様を現地へ派遣することが決定しました。貴方にはその補助と、土地を蘇らせる大規模術式の構築を命じるとのことです!」
シリウスは星術盤を閉じ、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。『王国の太陽ソレイア』──最近になって彼女が身につけたという、万物を癒やし汚れを払う浄化の力。それが国家の危機を救うという、あまりに完璧な舞台装置。
「太陽が民を救い、その威光を盤石にする……。予定通りの英雄譚というわけですか」
シリウスは淡々と準備を始めたが、その胸の奥には先ほど星術盤が示した「北西の空白」が消えぬ染みのように残っていた。ソレイアが南へと旅立てば、カイゼルもヴァルディスもそして自分も王宮を離れることになる。それはレグナードの「綻び」を監視する者が、この王宮から一人もいなくなることを意味していた。
「……レグナード。貴方がその瞳に何を映しているのか、戻った時に答え合わせをさせてもらいましょう」
太陽の出陣という輝かしい光の裏側で、因果の鎖は音もなく外れ始めていた。
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