第八話:王子の末路
かつて栄華を極めた王宮は今、完璧な墓標として静まり返っていた。
ヴィンセントの軍勢は、ジュリアンを殺しはしなかった。玉座というシステムを失い、アリアドネという「生命維持装置」から切り離されたこの男には、もはや剣の錆にするほどの価値すらないと、彼らが極めて論理的に判断したからだ。
命だけは助けられ、無人の王宮に一人置き去りにされたジュリアンは、豪奢な天蓋付きのベッドで目を覚ました。
「……おい。誰か、暖炉に火を入れろ。水を持て」
習慣とは恐ろしいもので、彼はまだ己が「命じれば世界が動く」と思い込んでいる。
しかし、氷室のように冷え切った部屋に響くのは、彼自身の掠れた声だけだ。ベルを何度鳴らしても、足音一つ返ってこない。アリアドネが裏工作を手放したあの日から、この王宮に忠誠心で留まる者など一人もいなかったのだから。
飢えと寒さに耐えかね、ジュリアンはしわくちゃの寝巻きのまま、よろめく足取りで厨房へと向かった。
かつては国中から極上の食材が集まっていたその場所は、今はただの薄暗い石室だった。
戸棚を開けても、彼が優雅に口にしていた白パンも、香りの高い茶葉もない。床には小麦粉の袋が転がっているが、彼はそれをどうすれば「パン」になるのか、その過程を何一つ知らない。
「火だ……とにかく、火を熾せば……」
ジュリアンはかまどに薪を放り込み、見よう見まねで火打ち石を打ち鳴らした。
だが、火はつかない。彼には「火口」となる燃えやすい繊維が必要だという基礎知識すらない。それに、アリアドネが納入業者の管理を止めてから、厨房に残されていたのは湿気を吸った粗悪な薪ばかりだった。
何度石を叩いても、空しい火花が散るだけ。
やがて彼の手から石が滑り落ち、指の皮が破れて血が滲んだ。
「痛っ……あ、ああ……なぜだ、なぜ誰も来ない……ッ」
彼はようやく、厨房の隅の木箱に転がっていた、使用人が逃げ出す前に残していった石のように硬い黒パンの欠片を見つけた。
泥にまみれた床に這いつくばるようにしてそれを拾い上げ、噛み付く。顎が外れそうなほど硬く、唾液をすべて奪っていく不味い塊。喉に詰まらせまいと水差しの水をあおるが、アリアドネが浄水設備の職人への手配を止めていたため、その水はひどく泥臭く、鉄の味がした。
「うっ、ぐずっ……あ、あああ……っ!」
ジュリアンは、冷たく汚れた厨房の床で、惨めに丸まりながら咽び泣いた。
自分がアリアドネに与えた「何もしなくていい」という甘い毒。
それは彼女を鳥籠に閉じ込める愛の鎖などではなかった。彼女の血のにじむような実務と管理という見えない土台がなければ、自分は自力で火を熾すことすら、パン一欠片すらまともに用意できない「究極の無能な人形」であったという、残酷すぎる証明。
彼は自分の手で、自分を生かしていた唯一の蜘蛛の糸を断ち切ったのだ。
王宮という巨大な密室で、ジュリアンは誰にも看取られることなく、飢えと寒さと永遠の自責の念の中で、静かに朽ちていく運命にあった。




