第六話:庭園のざまぁ
轟音と共に、内庭を隔てる精緻な彫刻が施された木扉が、内側から無残に砕け散った。
舞い上がる木端と土埃の中、ついにジュリアンは現実という名の刃を喉元に突きつけられた。
彼の足はガタガタと震え、王太子としての威厳などとうの昔に剥がれ落ちている。彼はパニックに陥り、隣に立つアリアドネの細い腕を力任せに掴んだ。
「あ、アリアドネ! 逃げるぞ、なぜ敵がここまで……ッ! 早く、奥の隠し通路へ!」
彼はまだ、信じて疑っていない。
自分が彼女の手を引き、守ってやらねばならないのだと。彼女はただ、恐怖で立ちすくんでいるだけなのだと。
だが、アリアドネは一歩も動かなかった。
「……アリアドネ? どうした、早く!」
ジュリアンが焦燥に駆られて彼女の腕を引こうとしたその瞬間。
アリアドネは、怯えてすがりつく乙女のように、ジュリアンの胸元へ深く身を沈めた。そして、彼の腰と背中に両腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。
「おお……恐ろしいのだろう、無理もない。だが私がついている、さあ歩くんだ!」
ジュリアンは愛する婚約者の健気な振る舞いに、一瞬だけ庇護欲を満たされ、彼女を抱き抱えるようにして共に逃げようとした。
――しかし、彼の足は石畳から一歩も動かなかった。
アリアドネが、彼に抱きついたまま、自らのドレスの重さと全身の体重を完全に「真下」へと落とし込んでいたからだ。
ヒールの踵を石畳の隙間に正確に食い込ませ、ジュリアンの重心の真下にぶら下がるようにして、完全な『死重』と化している。
人を一人、しかも脱力してしがみついてくる人間を引きずって走ることなど、日頃から剣すらまともに振ったことのないジュリアンにできるはずがない。
「ア、アリアドネ……? 重い、離れ……っ、歩けない、敵が来るんだぞ!」
ジュリアンは焦り、必死に彼女を引き剥がそうとする。
しかし、彼女の腕は、かつて彼が「もう何もしなくていい」と囁き、この特大のダイヤモンドの指輪を嵌めたあの夜から、この瞬間のためだけに力を蓄えていたかのように、万力のような力で彼の背骨を締め上げていた。
「どうしたんだ、離してくれ! 殺される!」
悲鳴に近い懇願。
だが、彼にしがみつくアリアドネの顔には、恐怖の欠片も浮かんでいない。
ジュリアンの胸に顔を埋めながら、彼女の冷たく透き通るような瞳は、砕け散った扉の向こうから現れた「影」を真っ直ぐに捉えていた。
「――逃げられるわけがありませんわ、殿下」
アリアドネの唇が、ジュリアンの耳元で、甘く、そして絶対零度の声で囁く。
「私がこの三週間、貴方が逃げ出さないように、どれほど丁寧に退路を塞いできたとお思いですか?」
その言葉の意味をジュリアンが理解するより早く。
もうもうと立ち込める土埃を裂いて、重く、規則正しい足音が内庭に響き渡った。
硝煙と、むせ返るような濃密な血の匂い。
足音の主は、アリアドネの三歩前でピタリと止まった。
ジュリアンは、自らの腰にしがみつくアリアドネの背中越しに、その男を見た。
かつて自分が人質として見下し、塔の最上階に繋いでおいたはずの隣国の王子、ヴィンセント・オルディウス。
その手には、王宮の兵たちの血をたっぷりと吸い、赤黒く染まった長剣が握られている。
ジュリアンは、アリアドネの腕という物理的な檻の中で、完全に縫い止められたまま、自らの死神と正面から対峙させられたのだ。彼を愛し、彼を守るはずだった「世界で一番安全な盾」が、実は彼を処刑台に固定するための「最も残酷な拘束具」であったという絶望的な事実と共に。




