071.epilogue.2 Dawn, Without You
——夜が明けた。
人も家も、その殆どを失ったヒナトの空はゆっくりと上る天陽の光に照らされる。普段ならば、家屋の石壁や窓ガラスに照り返す光もなく、天陽はただ染み渡る様にその光で終焉を照らした。
「おい、動ける奴ぁいるか?」
蒼白な顔で座り込むバルザークの声に数名の冒険者が呻き声で返事をする。どうやら精も根も尽き果てた連中ばかりらしい。責められまい。バルザーク自身がそうなのだから。
「街を守れなかった俺なんざの言うことを聞くのは癪かもしれねぇがよ。誰か、生き残ったお前たちで他に生きてる連中や食い物を探してきちゃくれねぇか。せっかく生き残ったんだ。何もせず死ぬつもりはないだろう? 失くしたものに心まで奪われるな。今ある命を繋いでくれやしないか」
遂にバルザークはこれまで自分が守ってきた民間人たちに向けて頼みをすることにした。本来ならば、民間人の依頼を真っ先に受けて即応してみせるのが冒険者。これでは立場が逆である。
「お、俺は近いところから探してみるよ! そうだ、アンタは確か昔医者のとこで働いてたよな? 冒険者さんたちの手当てはできないか? なあ、みんな! 手分けをしよう! 冒険者さんの言う通りだ! このままただ何もしないでいたら本当に死んじまう。俺たちだけは、絶対に死んじまったらいけないだろう? ヒナトに残ったのは俺たちだけなんだから!」
三十前後だろうか、体は大きくはない、顔も平凡。身分もたいしたものではないだろう。そんなただのヒナトの労働者階級の男が生存者たちの中で真っ先に声を上げた。
「こんな状況で何ができる」と不満を口にするものもいた。
「こんな状況だから何かするんだ」と誰かが言った。
誰の言うことが正しいも間違いもない。人の心にも力にも違いがある。だから、これでも十分だろうと、バルザークは重い腰を上げた。
「どうか頼む。ヒナトを救ってくれ」
冒険者ギルドのマスターが住民たちに頭を下げる。こんな死に損ないの頭で何かが良くなるのなら、幾らでも頭を下げて腰を折ろう。
そうして、食糧を探す者、生き残りを探す者、その場に残り怪我人を看る者、看取る者。それぞれができることを始めたのを見て、バルザークは既に力の抜けた腕では持てなくなった大楯を捨て、戦鎚を引きずり一人その場を離れた。
探し物の在処はなんとなくわかっている。ひときわ派手に光っていたあの場所だ。世界を割るのではないかという程の光の剣が天から振り下ろされ、黒い魔だけを吹き飛ばした。
その剣が光った場所に向かえば……必ずいる筈だ。
指先が震え、土塊に触れる。引き剥がされた石畳の裏から露出した土が指の爪の隙間に入り込む。
男は震える手で、土に指を立てて引っ掻いた。土を集めようとしたのではない。はじめに動いたのが指先だった。そこから意識を体の中心に向けようとして無意識に動いていた。
男は朦朧とした頭で手をつき、立ちあがろうと踠いていた。
何度か土を掻き、ようやく指先ではなく手のひらをついて体を支えることを思い出して力を込める。立つことはままならず、裏返っていた体が天を仰いだ。
「朝か……」
鮮やかな金色の髪を泥だらけにして、顔にも身体中にも土に塗れて薄汚れた男の、唯一まだ美しい紫水晶の瞳が黎明を見上げ涙を溢れさせる。
死んだと思った。何故生きているのだろう。
嗚呼、でもこれで仲間たちと再会ができる。
どれだけ遅れてしまったのだろう。
どれだけ救えなかったのだろう。
この命の代わりに、救われなかった者はいないだろうか。
差し出した筈の命が胸を打っている。心臓から頭へ、手足へ、指先へ。失った筈の柔らかな熱が流れている。
ふと、なんとなしに横を見た。見えるのは瓦礫と、無惨な破壊された街の姿だけ。
何故か、本当ならそこには——自分の隣には白い何かが横たわっていた気がしたのだが、気のせいか。一度意識を失って夢でも見たのだろう。
深く考えるのはやめにして、それよりも早く生き残ったみんなの元に向かおう——
「——おう、ここに居やがったかよ。ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズ」
「バ……ザ……ク」
立ちあがろうと上を向いて、そこに立つバルザーク・ベルモンドに気がついた。名前を呼ぼうにも、まだ肺の調子が良くないらしい。声がうまく出てこない。
「てめぇはこれから英雄になる。伯爵領を滅ぼしたかもしれねえ未知の化物を討伐した功績でな」
「そ……な……」
そんなものには興味がない。今はただ、この街に出来ることを……
「見事なもんだぜ、未来の伯爵様よ。テメェ……ダンジョンと四つ目鹿が繋がってることを黙っていやがったな? このクソッタレが!!」
「ぶっ……ごふっ」
ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズの上に馬乗りになったバルザークの拳がその頬を力一杯に殴りつける。
「思えば最初っからテメェの報告は曖昧なところがあった。管理の邪魔の排除? そりゃあテメェ俺たち冒険者のことか? あぁ? サリエルクのことをなんで黙ってやがった!」
右の拳で殴られ、次に左の拳が叩きつけられる。口を開く隙もない。
「テメェが隠し事をしたせいで何百人死んだと思ってる! 冒険者だけでだ! 全部で三百か四百か! ダンジョンとサリエルクの罠に掛かって皆殺しだ! 俺たちはまんまと嵌められた。テメェの弟だって今頃ダンジョンの中で殺されてるだろうよ、そんでテメェは栄誉を与り伯爵家の後継に復帰か!? テメェなんかと組んだせいでセレナは何処かへ消えた! 一人で飛び出してダンジョンにでも向かったんだろうよっ! ミエレは限界を超えた詠唱で壊れた! イアンの弟子もフィニャセラの弟子ももう居ねえ! テメェが、テメェが戻らなかったせいで! 俺の仲間は……ダチは……この街は……クソがぁ——!!」
何度も、何度も、バルザークはその両手に握った拳をヴィシャン・ラグナロウ・フレイズの頬へと叩きつけた。加減などしていない。
ずっと、戦闘中に過ったこの苛立ちを抑え続けてきた。冷静に、一人でも多くの命を守るために。
小さな戦場で与えられた小さな勲章で英雄に仕立て上げられただけの自分には何も抗えなかった地獄に、この男が居れば……お前が居れば、もっと多勢を生かせたはずだというのに。
もっと早く戻っていればセレナは姿を消さず、ミエレはロニエールトに見初められることもなく……そんな、この男の都合など何一つ考慮に入れていない憤りの感情が、憎しみが止まらない。
守りたかった。
英雄なんて柄でなくとも、救いたかった。
実際にできたことは、ただ逃げて、見殺しにして、自殺紛いの防衛にヒナトと領都の冒険者を巻き込んで死なせただけのカス野郎。
「クソォ! クソッ! クソ——!!」
バルザークの慟哭、溢れた大粒の涙がヴィシャン・ラグナロウ・フレイズの顔に落ちる。
これだけ殴られても、痛みを感じなかった。バルザークの手には人を傷つけられるような力は残されていなかった。
だからこれは、バルザークの心が殴りつけてきたのだろう。顔を殴られたと言うのに、腹の底に毒を溜め込んだかのように痛くて、苦しい。
「知らなかった……何も知らなかったんだ……」
ダンジョンマスターが鹿と対立していたと聞かされていた。手を組んでいたなんて知らなかった。それに、鹿というのがそんなに危険な生き物だなんて知らなかった。ただの獣だと思っていた。冒険者ならば負けないと……冒険者?
「セレナとミエレは……」
それにロニエールトがダンジョンの中に居る?
「ぐっうぐっ、くっ……そ、わっからねぇよ! セレナが居なくなったのはもう何日も前だ。ミエレは動けず森に置いてきた。走れる奴だけで、あの黒い化物を追っかけてたんだ」
「バルザーク……」
重い。生きていると信じていた仲間が全員消息不明。弟はダンジョン。いったい、何が……まだ、知らないことが多すぎる。
自分の犯した過ちのその大きさも。
「バルザーク、教えてくれ。何があった。俺はダンジョンに向かう」
未だ腹の上に馬乗りになったままに青白かった顔を赤く染めながら顰め面で泣き続ける男の腕を掴む。
ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズにはまだ、涙を流して感情に負けていられる暇はない。過ちも痛みも背負って戦う。どうしてか拾ったこの命……大切なものを取り返すためにもう一度燃やし尽くそう。
昔、とあるバレーボールが言っていました
Q.鹿に勝つ方法は?
A.「現状なし。アレを倒すなら全ての未来で死ぬこと……つまり、完全に自分が消滅する覚悟で戦うか、死んでも困らない駒を山のように集めて物量で押し切るか、かな?」
支払人が別だっただけでしたね。
鹿周りについては詳細に描写しすぎると本線から脱線しまくるので最低限しか説明回を入れていませんが、本編に絡む部分は第二部で触れられます。
あとは時々活動報告で本編に書かなかった部分に触れているのでそのうち書かれるかもしれません。




