069.Radiant
白の光刃が黒と相対する様子はヒナトの街中から目撃された。数少ない生存者たちはその光に希望と、自分たちを襲ってきた存在の正体を知り絶望を織り交ぜた恐怖を抱く。
正体不明の黒い何か。それは縦に家を五軒は積み重ねたように高く、山の様に下に向かって広がる体は既に街を飲み込んでいる。
生存者たちはその足元の泥の様な液体を見て、いつ自分もそれに飲み込まれるのか、いつそこから化物が現れるのかと震えることしかできない。
逃げようにも、何処へ行けばいいと言うのか。
「ほらね、呼んであげて正解だったでしょう? 面白いものが見れたわ。伝説が生まれる瞬間よ」
そんな街の中で、瓦礫の上に立つ女が口角を吊り上げて三日月を描く。
「……冗談ではない。アレが間に合わねば余計な仕事が増える所だ」
「でも、これで組織の網を使ったことはチャラよね?」
「結果だけで語るのはお前の悪い癖だ」
「結果の出せるいい女でしょう?」
「戯けが。俺は姿を隠す。お前は計画を続けろ」
「あら、ありがと」
女のすぐ近くに潜んでいた男は、呆れと一緒に大きく息を吐いて、分厚い黒鋼製の身の丈程の剣を振る。周囲を囲もうとにじり寄って来ていた化物共が上下に両断され、静かに黒い泥へと沈んでいく。
亡者が地獄に堕ちるようなその様を女が眺めている間に男はいつの間にか姿を消していた。
「私ももうこの街には用はないけれど、せっかくだから見届けさせて貰おうかしら」
黒の一から計画の許可は降りた。ならば、あとは好きに動いて次の結果を出すだけ。
「次から次へと邪魔なゴミたちね」
女が手に持った鞭を振る。優雅にも見える鞭のその軌道とは正反対に、空気が裂けて悲鳴のように甲高い音が響く。黒の膿から這い出した地獄の亡者共の首が飛ぶ。
この戦場にたった一輪の美しい笑顔は堂々と咲き誇る。
黒の雄鹿の顔を目掛けて、ラグネルは膿に覆われた首を駆け抜けて跳んだ。
「もっと俺を見ろ、俺だけを見ろ。余所見をすれば、その首貰う!」
黒の雄鹿の眼球に向かって突き立てた刃はズブリとなんの抵抗もなくその剣身を根本まで深く貫く。
『天陽の剣……そうか、ここ暫く我らの目を曇らせていたのは貴様であったか』
凄惨の獣はその眼に突き立てられた剣に狼狽えることもなく、口さえも動かすことなく言葉を発する。
それは正しくは言葉ではなく意思。ダンジョンコアがダンジョンマスターと交わすそれとよく似た、下位存在への直接的で冒涜的な意思の強制。
「聖女の剣を知っているのか?」
効果がないと見て剣を引き抜き、雄鹿の鼻筋にラグネルは着地する。雄鹿の眼球からは涙のように黒い膿が溢れ出るばかり。痛みに苦しむ様子もない。ただ、その両眼はラグネルを見据えていた。
『剣などどうでも良い……問題は貴様の資質。成程、そうか"漂流物"ではなく"天視"が再び、我らの縄張りを侵す者であったか』
「何を言っているのかわからないが、長話ならここではなく街の外でしようじゃないか」
『話すことなどない、死ね』
「うおっと」
凄惨の獣……それは万のサリエルクが集い、三万弱の人間と数千の獣の肉体を奪い、魂なき哀れな傀儡として操る飽食と冒涜の獣。その身の何処からでも傀儡は現れ、一つ存在になろうと誘う。
雄鹿の顔中からぼこぼこと姿を現した人と獣の形をした傀儡を白の光刃が切り裂く。その研ぎ澄まされた技術。生まれ持った違い稀なる才能。何度も孤独に剣と向き合い積み上げた技が次々と傀儡を沈めていく。
「キリがないな……それならっ」
ラグネルは剣を雄鹿の顔に突き立てたまま走り出す。鼻先から頭の頂点目掛けて黒の膿と肉を切り裂き、走り抜けた先に聳え立つ二つの荘厳なる雄鹿の象徴のうちの一つを真っ二つに断ち切らんとして、全力の技を振り絞る。
「砕けろ——っ!」
而して、角を両断した後の動きを思考するも、その刃はラグネルの想定通りに角を両断するには至らず、弾き返される。
反動で蹈鞴を踏む。足場が悪い。
『未熟。今度こそその力、我らのものに』
雄鹿が顔を傾ける。それだけでラグネルは足場を失い宙に放り出され——真っ黒な全身には似つかわしくない黄ばんだ白い歯が並ぶ大口にひと飲みにされる。
「……気色が悪い!」
鹿の口腔の中、うねりべとつく舌に足を取られながらも何とか耐え、剣を上顎へと内側から突き刺す。
「応えてくれ、“天剣光輝"!!」
剣の柄に精一杯の力と願いを込める。粘ついた唾液まみれの英雄の声に剣が光を増す。醜い雄鹿の咽頭から食道まで見えてしまいそうで不愉快極まる。それでも、どれだけ汚れようと……街からこの獣を引き離さなければ。斬らなければ。バルザークたち冒険者が守っていた建物の中に居るのがたった数十人、数人しか居なかったとしても。
命の数で諦める訳にはいかない。
無辜の民を守る者。
天賦の才と聖女の剣に認められた者。
ラグナリアの名を受け継ぐ者としての使命。
「貫け——ソラリス」
どれだけ磨いてきた技も、こんな化物相手では通じない。ラグネルに剣を教えてくれたルイスの技は騎士の剣。冒険者になって多少、型を変えたとしてもラグネルの根は変わらない。
だから、今の己の技で敵わぬというのなら天がこの身に与えし力に全てを託す。
「限界超越……星葬極光刃!!」
聖女の剣が膨張する。実際に握りしめた剣の柄の大きさは変わっていない。
しかし、光の膨張によって剣は剣を超える。
ぐんと膨れ伸び上がった光刃は口腔内から雄鹿の脳天を貫いて、更に高く昇る。
既にラグネル自身が目を開けていられない程の光の奔流。ラグネルに伝わるのは雄鹿の喉奥から声にならぬ悲鳴が今にも暴風のように肺の奥から溢れ出さんとして震えている事実。
巻き込まれる。そう理解してラグネルは斜めに剣を振り下ろす。光の巨剣は雄鹿の頭蓋の左半分を切り落とし、ラグネルの体が宙に投げ出される。
「ギィィアァァァァ————ッッ!!」
悲鳴と共に吹き荒ぶ爆風にラグネルの体が弾き飛ばされる。凄惨の獣によって破壊し尽くされたヒナトの街にはそれを受け止められる壁はなく、その体は数百メートルという距離を飛んで地上に叩きつけられた。
「へへっ……はじめて動物みたいな声を上げたな化物め」
街の外れまで飛ばされたラグネルは黒い膿の底に広がる瓦礫に身体中を打ち付けられて、全身にどす黒い内出血の痣と無数の切創を作り、膿と唾液に塗れた——とても貴族の子弟とは思えぬ酷い有様で立ち上がる。立って、剣を構える。
「こっちだ! 俺に向かって来い!」
まだ戦いは終わってはいない。
確かに今の一撃に手応えはあった。ソラリスの力はあの怪物に効果がある。
それでもあの怪物はまだ動いている。
悲鳴を上げて息をしている。生きている。
丁度いいことにラグネルは街のはずれへと吹き飛ばされた。あの獣は理由は知らないがこの剣……天賦の力に思うところがあるようだ。ならばいい、囮になろう。生存者から引き離す。
「街はこんな有様だけど……二人なら生き残ってるはずだよな」
セレナとミエレ。この街で出会った大切な仲間。こんな怪しい男の言うことを信じてパーティを組んでくれた、かけがえのない宝物。
二人のためなら……何度だって命を懸けよう。
無辜の民を守るだなんて良いことばかり言っておいて、結局仲間は特別扱いしてしまうのだから笑えてしまう。
それでいいではないか。仲間を特別扱いして何が悪い。笑えばいい。こんな苦境だからこそ——
『殺す。殺す殺す殺す殺す。我らの宿命を果たす為に、貴様は必ず殺してやるぞ人間ッッ!!』
黒く広がる膿の泥の中を巨大な雄鹿の四つ脚が駆ける。一歩一歩に、街の歴史と命が踏み躙られていく。ぽろぽろと、踏み躙られた命が傀儡となって落ちていく。ヒナトの街を、人の営みを破壊する悪の化身。
「バルザーク、堪えてくれているよな……」
ラグネルにはバルザークを信じるしかない。"破壊要塞"の力ならば、きっとあの暴力の波を耐えてくれる。
「俺は、あいつを真っ二つにする——応えろよ、ソラリス。もう一度、ステラノヴァブレード!」
光が膨張する。
「もっと、さっきよりも強く持って行け」
体の内側で血が暴れている。体温が上がり、意識が遠のく。体がふらつく。確かめてはいないが、また皮下出血が広がっているだろう。全身を怠さが襲う。この状況で、怠いだなどと情けないことが過った弱い心臓に鞭を打つ。早鐘が鳴る。これまで生きてきた中で最大の反動が待っているのが分かる。構うものか。
「セレナ、ミエレ。今助ける」
光輝の剣を振り下ろす最後の瞬間、ラグネルは無意識にそう呟いていた。
『この身が滅びようとも、貴様は殺す!!』
黒の雄鹿が迫る。山のような巨体に、光の刃はまだ足りない。
故にラグネルは命を賭けることをやめた。
「命なんざくれてやる。俺とともに死ね」
稲妻が地から天へと遡るかのように、轟と光の柱が天を衝く。ラグネルの命を使い果たし、初めて届いたひとつの頂き。
振り下ろされた白い刃は黒い雄鹿の巨体を両断し、凄惨と呼ばれた黒の膿も夜さえも切り裂いて輝いた。
ヒナトの街を襲った正体不明の魔は天より与えられし剣の輝きによって滅される。
人の世に新たな伝説が誕生した。
黒い死が去り、夜の廃墟。
既に街とは呼べぬその土地に生き残ったのは百人にも満たない。
そのたった数十人を守る為に死んだ冒険者の数は二百人を超えた。
生き残ったその中にラグネルの名は存在しない。
バルザークの守護の元、なんとか地獄を生き残った者たちは、封じられていた建物から続々と姿を現し涙を堪えきれなかった。
生まれ育った街は面影はなく、そこかしこに人の死体が転がっている。
最期まで戦い敗北した者、力を尽くして天賦の反動により命を落とした者。冒険者たちの遺体である。
全てを無くした。歴史を失くし、人を喪くし、未来も見えない。
激しい輝きのあとに戻ってきた夜の闇と静寂は現実をありありと突きつけてくる。
その涙を止められる者は誰もいない。
それぞれがただ、その傷を受け入れるしかない。
ぽくぽくと、人気のない街はずれの瓦礫の上を歩む鹿が居た。
その鹿の名は"天視偽"。凄惨の選別を経て新たに誕生した四つ目鹿の王である。
白の雄鹿は滅んだ街の中を目的の物へと向かって長閑に進み少しして、身体中の血を撒き散らして地に伏せる人間の男を見つけ出す。
『我が命と引き換えに、再誕せよ。祝福の時が来た』
白い雄鹿は生を識り運命を手繰る。それは黒い雄鹿が与えた死さえも覆す。
たった一度の死では生温い。
『呪いの中で生きるが良い』
どさり、と魂が抜けたように倒れた鹿と入れ違うように……地に伏した男の指先が震えた。
この話にて第一部が終わりになります。
一生懸命心を込めて執筆しておりますので
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