068.生者の導き
一話に収まり切りませんでした。
——夜が、燃えている。
ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズ。幼年の頃から騎士にも認められた剣の使い手。そして【聖女の剣】と出逢い、王によって名と聖女の剣を持つ資格を与えられた男は、夜の馬上で、遠い空にそれを見た。
王都では無事に国王と公爵との謁見が叶い、フレイズ家にはダンジョン確保のために騎士団及び領軍を用いての本格的なダンジョン攻略が認められた。
返答を持って王城を後にしようとしたところで、ヴァルメルト公爵から公爵領にあるダンジョンに遠征してみないかと声を掛けられたときは断って良いものかと苦悩の果てに、正直に「戦場で戦っている弟と仲間の助けになりたいのです」と断りを入れた。
不興を買うかとも思ったが、ヴァルメルト公爵はそれを笑って受け入れた。
「それでこそラグナロウの名に相応しい」と。
そうして王都を飛び出したラグネルは伯爵家への伝令は王都別邸の者に任せ、自身は領都に立ち寄ることなく、来た時と同じように馬を乗り継ぎひたすらに街道を北上した。
伯爵家に立ち寄っていれば父にまた何を言われるかわからない。また軟禁されてしまうどころか、本当に公爵領のダンジョンで勉強をして来いなどと言われては堪らない。
しかし、ヴァルメルト公爵と直接話せたことで、ヒナト——そしてダンジョンに向かう許可は降りた。
王の目が認めたのだ。言い方は悪いが伯爵如きの機嫌を伺う必要などはない。
真っ直ぐに街道を進み、フレイズ領都の手前の街で白馬を無事に引き取れた。充分に休みを取った伯爵家の白馬は元気が良すぎる程の駿馬である。
軽快に土を蹴り疾った。
そして、ラグネルは夜が燃えるのを見た。
遠目で見たそれは、その目でしかと見ているというのに、何が起こっているのか理解が出来なかった。
時刻はとうに深夜。天陽は姿を完全に隠し、空から落ちた漆黒が世界を塗り潰している。まさに夜の世界。特に北方のこの辺りは田舎と呼ばれる土地であるから、王都のように夜でも多くの明かりが灯されているということはない。
だが、確かに地平は燃えている。
ヒナトの街があるべき場所からいくつもの赤い火と黒い煙が立ち上っている。
黒いのだ。何もかもが。
天地も、天地の境も黒く、炎だけが赤い。
そして赤く照らされて蠢く巨大な何かもまた黒い。
夜が炎の明かりに照らされて、夜を映し出している。
「いったい、何事だ」
これまで進んできた道と時間から、あれは間違いなくヒナトである。
時折り、何か重たく鈍い音の衝撃が腹の内側を揺らす。
揺れる馬の上では大地が揺れているのかはわからない。
しかし、近づくにつれて……いくつもの甲高い音が聞こえてくる。
断末魔。
人から命が零れ落ちる冷たい音。
街中、至る所から響くそれが天地の境で共鳴して耳朶を打っている。
ヒナトに近づけば近づく程、痛々しい惨状が目に入る様になる。崩れ落ちた家屋。崩壊した外壁。雨霰のように何故か空から降ってくる瓦礫と人。いったい何がそれを起こしているのか、近づいてもわからない不安に剣を抜く。
抜き身の剣を擦る。
剣身に描かれた天陽の印に触れると、その剣は白い陽光のような光を放ち輝き出す。
「お前は強いな。俺を街の中まで運んでくれるか?」
白馬の鬣を撫ぜると「ブルル」とわかったと答えるかの様に馬が口を鳴らす。
「頼りにする」
そうして、ラグネル——ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズは今まさに最期の夜を迎えようとしていたヒナトの街に突入した。
外壁は壊れ、門もなく。馬が器用に瓦礫の上を進むと、街の中は真っ黒な液体のようなもので塗りつぶされたかのように黒く染まっていた。
その上を全身を黒い何かに塗れた蝋人形のような幽鬼が徘徊している。見た目は四足の獣のようであったり、二足の人の様であったり、とにかくまとまりのない化物がふらふらと徘徊しているのだ。
「よくやってくれた。ここから先は一人で行く。お前は逃げろ」
「ヒヒン」
白馬から降りてひと撫でしてやると、馬は素直に従って街から離れていく。
白馬もまたこの街の異様さに怯えていたのだろう。
「……ふっ!」
馬を見送ろうと背を向けた途端、黒い人間が背後から襲いかかってきたのを躱して、剣の腹で叩く。黒い人間はべちゃりと地上の黒い液体の上に倒れ込み、溶ける様に消えた。
「形は人だが……人と思わぬ方が良いか」
念の為に切らぬという選択を取ったが、その光景を見れば人間だとは到底思えない。
ならばこれは魔の物と認識しなければ、油断をすればこちらがやられる。
しかし、
「なぜ街中にモンスターが溢れている。街の住民はどうした……?」
ヒナトの街は北方の辺境にあるとは言っても、ミストフォーク地方では唯一の街であり、開拓の拠点でもある。この街には数百人の兵と、三万の民が暮らしている。だというのに、ラグネルは未だ生者に出会っていない。
それにこの凄惨な有様はなんだ。街中を歩いている筈だというのに、まるで険しい岩山の上を歩いているかのように足元がゴツゴツとして歩き難い。原因は察しがつく。瓦礫だ。
先ほどから繰り返し響き渡る破壊音。石の壁が崩れ、頑丈な木の柱が折れる音。
そう、この街に入ってから人間どころか、無事な建物さえまだ見ていない。
「知っている建物がない。それだけでここが何処かわからなくなるなんて、情けない」
今、ギルドにおいてラグネルという存在がどういう扱いかは知らないが、ラグネル当人からしてみればこの街は冒険者ラグネルのホームタウンである。
だというのに、知った建築物も知人の店も見当たらず現在地を掴めない。
「てぇあ!」
ただ、出会い頭に黒い物に出会せば切って進む。最も声がする方へ。最も人が死んでいるであろう方向へ。断末魔が生者の居場所へ導いてくれる。
街に入ってから数十分が経ち、何百人もの黒い人間を切り倒して進んだ先で、ラグネルはようやく生きた人間を発見する。
「バルザーク!」
「……っ! てめぇラグネルか!?」
「そうだ! 何が起こっている! 俺は何を倒せばいい!?」
まだ崩壊していない建物を背後に守る様に、天賦の力で要塞を生み出しモンスターの群れと戦うギルドマスター、バルザーク。
バルザークの創り出した岩を盾にして数人の冒険者も戦っているが……全員顔色は蒼白。恐らくは、天賦の反動。肉体と精神の消耗。
よく見れば、武器を握ったまま事切れた冒険者らしき者たちが大勢地面や瓦礫の上に横たわっている。
「てめえにはあの黒いのが見えてねぇのかよ! あれだ、あれを切りやがれ!」
バルザークの叫びに周囲を見渡すが……黒なんて街中を覆っている。泥の様な液体に、天陽を隠す夜。どこかの家の火が燃え移ったであろう火災の炎以外、全てが黒だ。
「上をよく見やがれ! その黒いのが全部ひとつの鹿だ!」
「鹿……?」
ラグネルは襲いかかってくるモンスターを切り捨てながら、空を見上げる。
黒い空、空から落ちる黒。
じっと目を凝らす。黒が蠢動する。天に届くほど高く伸びた黒から、小さな物がぽつりぽつりと降ってくる。その正体に気づいて、目を見開き、思わず剣を強く握り締めた。
「こいつ……人を喰っているのか?」
「あぁそうだ! 人どころじゃねえ、馬も牛も犬も猫も何もかも喰っててめぇの肉として産み落としてやがる。何度殺しても下の泥に飲み込まれたら復活する。このデカブツを殺さなけりゃ全部お終いだ! 街も! 人も! 国もなぁ!」
バルザークが吠えて、戦鎚を叩きつける。衝撃がモンスターの波を弾き返すが、それらはやがて泥に飲み込まれる。
岩が壊される度にバルザークが新たな岩の盾のを創り出しているが、あの様子では長くは持たないだろう。
どれだけの時間をこのモンスターと戦ってきたのか、その結果……守れた命の数は果たして——
「……理解した。本体らしきものを惹きつける——天賦覚醒"天剣光輝"!! ありったけを持っていけ、今ここにある命のために! 全ての力を……!!」
両の手に確りと握り込まれた剣が白く輝く。あまりにも強い輝きは剣の輪郭を歪め錯誤させる。
それまで、何の変哲もない剣に見えていたそれは、いつのまにか美しい白刃となり、尚輝きを増す。剣に装飾など要らぬ。聖女の剣はその力にて真の美を現す。
「ふぅー……」
深く息を吸って
「はあっ!」
全身の力ごと吐き出す。天剣光輝によって底上げされた身体能力でラグネルは人の速度を超え、バルザークでさえ目で追えぬ速度の身のこなし。
一度振るわれたと思った剣筋から、五つ刻まれる傷。
「戻りが遅ぇと思ったら、修行でもしてたってのか? おい! テメェら! 我らがギルドのスタープレイヤー! 光刃のラグネルが戻ったぞ! 気合い入れ直しやがれ! これ以上あのクソ鹿に誰も殺させんじゃねえ!!」
バルザークはわずか数日前に見た時とは見違える動きのラグネルに驚きつつも、冷静にその名声を活用して冒険者たちに喝を入れる。
とはいえ、今生き残っている冒険者の殆どは領都の冒険者だ。ヒナトの冒険者は既にもう、バルザーク一人。部下も後輩も黒い雄鹿に虫けらの様に踏み躙られて死んで取り込まれた。
しかも取り込まれた仲間たちはモンスターと化して敵対する。こんな悪夢、こんな地獄——過った言葉を飲み込み、戦鎚をモンスターの頭目掛けて振り抜いた。
まだだ、まだ言葉にする訳にはいかない。
殺してやりたいほど憎いこの感情をぶつける相手を間違ってはいけない。バルザークは、天賦によって不安定な血の巡りと低下した体温を誤魔化す様に、胸の内に秘めた炎に薪を焚べた。
一方のラグネルは、対峙している存在が何かも分からぬまま剣でその身を切り裂き、その切れ目に躊躇なく手足を突き込んでその巨体を駆け上がっていった。
そうして街を守っていた外壁よりも二倍、三倍と高いところまで登ってようやく、これが全身を漆黒の体毛と体液で覆った四つ足の化物なのだと知る。
千切れかけた首——いや、千切れた首に別の頭を縫い付けたような大きさの合わない不気味な頭部と、そこから伸びる二本角。
傷口に手を差し込み化物の首にしがみ付いて見上げると、それと目があった。
『————』
「……」
黒い雄鹿が口を開けて短く鳴いた。なんの意味があったのかはわからない。
「だが、俺を認識したな? 今からその目を抉り取ってやるから待っていろ化物」
ラグネルは再び剣で雄鹿の肉を切り裂きながら突き進む。時折り、切り口から黒い人間が溢れ出して掴み掛かろうとしてくる。地獄へ共に堕ちようと誘うそれら全てを白刃は切り捨てる。




