065.小さな正義
領都フレイズを発ったラグネル——ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズ——は三日三晩を馬の背の上で過ごした。
本来ならば王都まで七日はかかる道程を途中の街で馬を買い換え、夜には体を紐で鞍に括り付けて気休め程度の睡眠を取って走り抜けたのだ。
王都に到着してすぐに、ラグネルはフレイズ伯爵家の王都別邸へと向かった。
使用人たちは、報せもなく現れたラグネルに驚くも、邸宅を預けていた家令に対してラグネルはただ部屋と礼装の準備だけを言伝、数年振りの王都別邸のベッドで眠りについた。
明けて早朝、ラグネルは使用人に王都に到着した旨をしたためた手紙を伯爵家に送るように指示を出す。
前日のうちに家令に頼んでいた礼装が届き確認すると、見覚えのないものだった。家令が言うには父レガートの物らしい。ラグネルが最後に王都に訪れたのは数年前。背が伸びたラグネルに着られる物が無かったという。
新たに仕立てるかという問いには不要だと答える。王都に長居をするつもりはない。
特に客人を招く予定もパーティを開く予定も無いため、食事も使用人たちと同じ物で構わないと告げて、ラグネルは礼装に愛剣を佩いて早々に邸宅を後にした。
向かう先は王城である。父の礼装を纏い、馬に乗って王都の中心へと向かう。
領都の数倍はある大都市の中央に聳え立つ荘厳な白亜の城。
たとえこの都市が戦争に飲まれようと最後まで国と王を守る砦であり、政治の中枢でもある。
街を進みながらも、景色を懐かしむことはない。本来ならば、この街にはもう訪れることはないだろうとさえ思っていた。
ラグネルという名を選んだと同時に、ここでの暮らしは過去に置いてきたはずだった。
だというのに、戦場には弟のロニエールトが向かい、自分が貴族街を馬で進み王城に向かっているという事実がいまだにラグネルの内心に何かしらの突っ掛かりを覚える。
程なくして王城に到着したラグネルは馬を預け、門を守る騎士に身分を明かし、フレイズ伯爵家からの書状を預ける。
「中身は何があっても王と王の目——ヴァルメルト公爵以外には見せるな。中身を検めることも許さん。フレイズ伯爵家の封蝋を解くことなく、必ず王かヴァルメルト公爵に直接渡すんだ。連絡はフレイズ伯爵家の邸宅へ、ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズ宛にしてくれ。よろしく頼む」
書状の内容は最高機密である。新たなダンジョンの発見。若く、ふらふらとダンジョンマスターがゴブリンとともに出歩く程の気の抜けたダンジョン。それは、王都南方の大迷宮とは異なり、支配下として手に入れることの容易さの証。
無関係な貴族に知られて面倒なことになる前に、さっさと王と公爵に決断と命令を下して貰う必要がある。
その答えを領都へと持ち帰ることが今の使命なのだから。
王都の邸宅に戻る。使用人に馬を任せ、自室で着替えを済ませて裏庭に向かう。
「随分と体を動かしていなかったからな」
退屈は体を衰えさせる。時間があるのならば剣を振るわねば。馬の上で過ごした時間で硬くなった関節や筋肉を動かし、整える。
そして剣を振るう。
最初はただ普通に、型をなぞる。
幼い頃からルイス・エメルに習った型だ。ルイスは本職は槍使いだというのに剣も弓も腕が立つ理想の騎士であった。
幼い頃には騎士の道にも憧れた。世界は平和には程遠い。王国も西側の隣国とは何度も戦争を行っているし、ラグネルが生まれる少し前には王国東部では裏ギルドとの内乱もあった。
伯爵家の跡取りとして様々なことを学べば学ぶだけ、正義の在り方というものに興味を抱いた。
騎士や兵は国民を守る。しかし同時に、国民では無いものの命を奪いもする。財産や土地も奪い、その土地の上に新たな法と秩序を強いていく。
剣を振るう。
この街、この家のせいか、それとも長旅のせいか、剣筋が鈍い。
この身この血に流れる王国貴族の誇りと法が、道を逸れた己を揺るがしている。
フレイズ家もまた、北方民族の暮らす土地を軍と騎士によって拓き、高貴なる法による庇護下に置いた。
王国の植民政策——他国も同様だが——ありふれた同化政策によって王国移民と北方民族は世代を経て混ざり合う。
王国は北方を発展させ、経済と文明化を進め資源を得る。傍目には両者に損などありはしない。
そこに心情を鑑みなければ。
故に二十年前、裏ギルドは剣を手に取り反旗を翻したのだろう。
支配者層に冒険者ギルドが民間武装組織と揶揄されるのも、冒険者ギルドの成り立ちが植民地の現地住民が不当な暴力や詐欺から身を守るために結成された組織であるからだ。
当然のことながら、そこには王国の意思も介在している。原住民を原住民に取り締らせることによる二分化。
彼らは同族を守る盾であり、同族からは王国に帰順した矛となったのだ。
同族同士の疑心暗鬼、軋轢。それは王国民への反逆心から目を逸らさせるのには有効だ。
人は自分より大いなる者や社会に敵意を向けるより、隣人を憎む方が気が楽なのだ。
高貴なる者は、そこに手を差し伸べるだけでいい。耳元でそっと「助けになろう」と囁くだけでいい。
あとは時が流れるのを待てばいい。
憎しみを持った者たちは寿命を迎え、若者は時代に飲まれ流されていく。
受け入れてしまえば、争いはなくなる。
民間武装組織は、いつしか冒険者ギルドと名を変えた。
自分の意思で脅威に立ち向かう者たちが集う場所。
軍や騎士とは異なり、依頼があれば即応する。
剣を振るう。
何が本当の正義か。何が本当に人の役に立つのだろうか。救いとはなんなのだろうか。
わからないまま、剣を振るう。
ただ己は、騎士や軍人よりも……少しでも早く困っている人の元に駆けつけられる人間でありたいと願った。
願いを込めて剣を振るった。
その剣はいつしか輝きを放つようになる。
光り輝く剣は切れ味を増し、村を荒らす獣を一振りで断ち切った。
野生化したモンスターの魔法を払い、粉砕した。
光輝の剣は、鉄の剣も人の力を超えた魔法さえも容易く切り裂く。
成長し、技術を磨くほどに才能は開花し、伯爵家の騎士ではルイス以外に負けなくなった。
「それだけやっても、あの怪物には勝てなかった」
名前も知らぬ貪食の怪物。ダンジョンマスターと共に現れ、仲間を殺しかけた忌まわしき敵。
王国はダンジョンを欲している。馬鹿げた話だ。人間は古来よりダンジョンと敵対してきたというのに。
他所の国がダンジョンの資源活用化に成功したからといって、今では競うように多くの国がそれに倣っている。
「あの怪物を支配する? 誰がどれだけ殺された先でそれが成る」
少なくとも、あの時の自分にはそれは叶わなかった。
しかし同時に、これまで経験したことのない脅威との邂逅は、才能に驕っていた弱さを教えてくれた。
「"天剣光輝"にはまだ先がある」
辿り着かなければならない。
もう一段、それよりも遥か上へ。
限界など定めてはいけない。
王城から返答が来るまでに、王城に呼び出されるまでにどれだけの時間と日を要するだろうか。
呼び出されれば、登城し長い時間を取られるだろう。
そして再びヒナトに戻ることが叶うのは果たして何日後になることか。
「セレナ、ミエレ、イアン、フィニャセラ、バルザーク」
傷ついた仲間の顔が……生きていることを願うことも叶わなくなった師たちが。「戻って来い」と言ったギルドマスターの言葉が。
今すぐにでもこんな場所を飛び出してヒナトに戻れと胸を騒つかせる。
「ロニエールト、ルイス」
敗北に急く己を宥め、騎士を引き連れ領都を出た弟と、一番長く世話になった師が焦るなとこの身をこの場に引き留める。
「王よ、決断を急いでくれ」
王都邸宅の裏庭で、英雄は独り剣を振るう。
あの場所に戻り、ただ一人の戦士として民を守るための刃となるために。
やがて夜になっても、光刃の輝きは幾度も空を斬る。




