060.愛の幕開け
拡張され五階層に移されたコアルームの中、スクリーンに映し出される映像と喧騒以外、聞こえるのはグレイスの髪から滴るひたひたとした水滴の落ちる音だけ。
「え、ユニークモンスターどこ? 俺の小悪魔メイド爆乳シスターは?」
「属性が対立しすぎて失敗したのかしら」
「えぇ……嘘だろ」
コアちゃんに教えて貰った詠唱は間違いなく成功したはず。コアちゃんもDP全部持ってかれたって言ってたし。
それなのに、ユニークモンスターどころかグレイスを喚び出した時の門さえ出現しなかった。
変化といえば、風呂に飽きたのかグレイスが一瞬とんでもない顔をして首に噛みついてきたので、急いで風呂から上がって体を拭いてやっていることだけ。隣の部屋にでも肉を出してやって追い払おう。
「ほーらグレイスー、お肉はあっちの部屋よー」
「がうがう」
気の利くコアちゃんのお陰でやっとグレイスが首から離れてくれたので、俺も服を着る。
「本当に失敗したのかな?」
「失敗は冗談よ。なんとなくだけど、離れたところに繋がりは感じるわ。あと、見た目はわからないけどどんな種族かはなんとなくわかるかな?」
「そうなの? どっか違うところに出ちゃったってこと?」
「他の階層をチェックしてみるね……うーん、いないっぽい。どこ行っちゃったんだろう?」
コアちゃんカメラがダンジョン内を探してくれたけど新しいモンスターの姿は無いらしい。それでも、ダンジョンコアが存在を感じるというのならユニークモンスターは産まれてきたのだろうけど……うーん、シャイなのかな?
「ちなみに種族名ってのは?」
「"世這"ネクロフェルワイアム」
「夜這いネクロフェラ……なんだって?」
「ネトリスルランダム」
「無差別に手を出すのはよくないよ。あと、さっきと絶対言ってること違うでしょ」
「しょうがないじゃない、長くて覚えにくいし言い難いんだから」
「確かに。じゃあフェラでいいか」
「そこは多分フェルよ」
そういう訳で、会ったこともない新たなユニークモンスターの名前はフェルに決まった。いったいどんな女の子なのだろう。夜這いとか寝取りとかちょっと不吉な響きが気になるが……まあ、今の俺は性欲強めだ。処女膜には拘らない。愛の幕は上がったばかりだ。
とはいえ、見つからないものを探しても仕方がない。愛とは見えないものだから。とかいう訳でもなく、優先順位としてそれより上がある。探すのは後でいいだろう。
「外はもう大分暗くなってきたな。魔法で火を起こしたか。しかし、それでも退かないのは何故だろう」
森の中というのはどうしても日照時間が短い。森の外はまだ夕陽が出ているのかも知れないが、すでにダンジョン周辺は桔梗よりも深い闇に包まれている。人間たちが灯した炎は以前にも見たことがある。燃え盛り魔を照らす篝火。
別に戦いが長引いているという訳でもない——実際、終わる気配はないが——森の獣たちの襲撃が始まったのは昼前、それからダンジョン内の敵の排除後に魔法でダンジョンを封鎖したのが四時間くらいらしい。人間たちが現れたのはそれよりも更に後。
そもそも人間たちが参戦してくるのが遅かったのだ。事情はあったのだろうし、こちらとしては役に立っているので有難いが……正直言って馬鹿なことをしていると思う。
「来るのも遅けりゃ撤退もしない。こりゃとんでもなく間抜けな指揮官でもいるんだろうな、気の毒だ」
「ダンジョンの代わりに戦ってくれてるのにそんな可哀想なこと言っちゃうなんて、シノミヤ成長したわね!」
コアちゃんはケラケラと楽しそうに笑っているが、そもそもなんで人間たちはダンジョンを守っているのだろうか。
ラグネルには鹿をなんとかしろとけしかけはしたが、獣どもの襲撃なんて想定していないし、そもそもあの群に鹿はいない。
「なーんか気持ち悪いなぁ。落ち着いて考えてみると楽観してていいのか疑問に思えてくる」
「そーぉ? 私は全然いいと思うけど! 邪魔なのやっつけた後にダンジョンのお客さんになってくれるなら大歓迎よ!」
「もう少し数を減らしてくれたらね。ちょっと今は団体客はお断りだよ」
客は欲しい。けれど、ダンジョンを本気で攻略されては困るのだ。適切な人数で出入りしてたまに死んでくれたらいい。
実際に、どんどん湧いてくる獣どもの数に押されて人間側は少しずつその数を削られている。
戦鎚持ちや槍持ちとは別に数人の凄腕はいるが、それ以外はなんというか……違いがわからない。
ゴブリンの見分けがつかないのと同じ、人間の見分けがつかない。強さの違いがわからない。
整い過ぎていて、勝てない相手には必ず負ける。状況が好転しない。さっきまでニワトリ相手に奮戦して斬り倒した人間が、不意に飛んできたハチドリに穴を開けられて倒れ、狼に喉を噛みちぎられて死ぬ。
絶対的にどの相手にも上を取れる者が不足している。俺みたいな素人でもわかる勝ち目の無さ。
「あそこにいる人間たちだけじゃ鹿を引き摺り出す前に全滅だなぁ」
人間の勝利も、その後の安定したダンジョン運営も叶わぬ夢。
鹿の排除どころか、増やした戦力で人間が全滅したあとにまたあの獣の集団と戦わなければならない。
なにもうまくいかない。いつも通りと言えばそう。間違いなくいつも通り。
俺とコアちゃんがどんなに足掻いても、現実はあっさりと俺たちの努力を踏み躙る。
それを黙って享受するだけの生活を、ここで終わらせようと決めたはずなのに。
「仕方ない。コアちゃん、DPが入り次第にモンスターの補充をお願いしていい?」
「どのモンスターを増やしたい? 途中だったしスケルトンにする? あれ……待って」
「どしたの?」
「ストックしてたはずの骨が無いわ。お肉も大分減ってる」
「え、それヤバいじゃん」
何がヤバいって死体がないとグレイスが言うことを聞かない。あと、スケルトンの召喚に必要なDPが割引されない。
「でも、でもでも……何十人分も、何百匹分もあったはずの素材が消えるなんて……」
「私がミスしちゃったの!?」とパニックになるコアちゃん。
え、何百匹分って……人間だけじゃなくて森の獣たちの素材が含まれてる?
『————————ィギィ』
スクリーン越しに再生されたその不快な音は、不思議なことに頭を割るような痛みも、知らずのうちに膝をついてしまう程の圧力もなく。
「何が起こってる?」
スクリーンに映ったのは、土煙を上げながらまるで悲鳴のような鳴き声を響かせて戦場に雪崩れ込む、無数の四つ目鹿の群れと、それを追う見たこともない巨大でグロテスクな竜の姿だった。




