045.フレイズ伯爵家
深夜。ヒナトの街をギルドから借りた馬に跨りラグネル——ヴィシャン・ラグナロウ・フレイズ——は街道を南に下った。目指すはフレイズ伯爵家が治める領都である。
朝には道中の小さな町のギルドに金を払い馬を変えて休むことなく走り、その日の晩にラグネルは領都へと到着した。
領都に入るのに門で止められたがフレイズの名と証を見せて強引に抜け、領主邸へと馬で乗り付ける。そんな強引な方法のせいか、門前には多くの兵が集まり騎士までが出迎え剣を突きつけられた。騎士はラグネルの顔を見て青い顔にさせてしまった。申し訳ないことをしたと騎士の肩を叩き謝罪をしてから屋敷に上がり込む。
門と庭先で揉めたせいか、目的の人物たちは夜中だというのに起きていてくれた。こちらに関しては起こす手間が省けて有難いと思い、ラグネルは案内された応接室で屋敷の住人を待つ。使用人には何度も風呂と着替えを勧められたが固辞した。そんなものは話が済んでからでいい。
そうして待たされること一時間程、ラグネルはようやく使用人に案内されて目的の人物の元へと案内された。
案内されたのは食堂、二人の見知った顔が席に着いていた。
「どこかで見た顔だな。領地経営など合わぬと言って出て行った愚息にそっくりだ。そう思わないか? ロニー」
「父上……せっかく兄上が戻られたのですよ」
「なんだロニー、お前にはその薄汚れた男が兄に見えるのか?」
不機嫌を隠さず顔に出している壮年の男の名はレガート・フレイズ伯爵。伯爵家当主である。
ロニーと呼ばれたのはラグネルの二つ下の弟、ロニエールト。家を出た長男に代わり次期当主としてフレイズ家を支えている。
「父上、ロニー、突然のことで騒がせて申し訳ないと思っている」
「やめてくれないか、それでは私が夜中に馬で領主邸に押し入ってきた乱暴者を育てた親のように聞こえる」
「……フレイズ伯爵。これでよろしいか?」
「息子でもない粗暴者だと認めるのなら、お前は監獄行きだ。おい、誰かこいつを檻にでもぶち込んでおけ」
「時間がなかったんだ。今もこんな無駄話をしている暇はない。それ以上の侮辱はやめて頂きたい」
「父上! それに兄上も! 何を熱くなっているのです! そこのお前、父上の命令は無しだ、下がれ。捕まえなくていい。そこにいるのは僕の兄のヴィシャン・ラグナロウ・フレイズだ」
食堂の壁際でフレイズ伯爵の命令に従い動き出した騎士をロニエールトが慌てて止める。
「ヴィシャン? 久しぶりに聞いた名だ。とっくに死んだものと思っていたがな」
「生きております。今は北のミストフォーク、ヒナトの街で冒険者をしています。良き師、良き友、良き仲間に恵まれて」
「ほう、ではその良き友人や仲間は何処にいる? 私には草臥れた男が一人だけのように見えるが」
「……仲間のことは今はいいでしょう。そろそろ本題に入らせてください。伯爵家の今後に大きく関係する問題です」
伯爵家を一度捨てたラグネルを快く思わぬ父のことを理解できぬ訳でもない。それでも今のラグネルには仲間のことを聞かれて感情を抑えるのは難しい。ヒナトの街で名を捨てた。セレナとミエレとはもうパーティではいられない。傷ついた仲間を残して、独り街を抜けてきた。
ダンジョンが誕生した以上、問題はただの冒険者ラグネルには解決できない。唯一、解決できるチャンスは無様に敗走することになった。
それから、ヒナトの街を走り、街道を走り、領都を走り、今は屋敷で父親と口論をしている。戦いから離れ、まるで魔王に負けたあの瞬間からずっと逃げ回っているような不快感と焦燥感で苛立ちが募る。
言い合いをするつもりはなかった。さっさと話を伝えてヒナトの街に戻りたい。それだけだというのに——
「伯爵家に関係する大問題か。そうだな、アポイントも取らずにやってきた不審者を門番も騎士も捕らえず屋敷に上げてしまったのは大問題だ」
——だから耐えていたけれど、もうラグネルは限界だった。
「そういうグチグチと無駄口ばかり叩いて、必要とする人間の言葉に耳を傾けない。何もしない。そんな他人を慮れないような人間……貴族になんかなりたくないから家を出たんだよ! いいから少しは黙って人の話を聞け!!」
ラグネルは怒声を上げながら食卓ににじり寄り、両手を食卓に叩きつけた。
「北方、ヒナトのすぐそばの森の中にダンジョンが産まれた。ダンジョンマスターは自ら配下を率いてダンジョンの外で人間を襲っていた。俺は仲間と交戦したが、仲間が一人瀕死、一人は片手を潰されて戦闘不能。俺の剣は配下の化け物に全く刃が立たなかった。今はフレイズ家の名で極秘依頼としてヒナトのギルドにダンジョンの調査依頼を出しているが、何が起こるかわからない状態だ。ダンジョンマスターが外で暴れるなんて聞いたことがない! しかもダンジョンの周囲は危険生物だらけの昏き霧の森と呼ばれるダンジョンマスターさえ恐れる化け物の棲家ときた! アンタの領内で起きた問題だ! さあ、どうする? 次はまともな言葉を返してくれると有難い!」
ラグネルの剣幕に最初はラグネルを宥めようと騎士たちが寄っていこうとしたが、ダンジョンという言葉が出た途端、食堂の空気が変わる。
「ダンジョンと言ったか、ラグナ」
「そう言った」
「間違いないか?」
「ダンジョンマスター本人がそう名乗った。配下の異常な強さから考えて普通の存在ではない。ダンジョンの場所は行方不明になったイアンという冒険者が発見したそうだ。ダンジョンマスターは捕らえていると言っていたそうだが……恐らくはもう手遅れだろう」
「それでは兄上、ダンジョン自体は確認できていないので?」
「イアンが森に印を残したそうだ。ヒナトのギルドが高ランク冒険者を調査に向かわせている。時期にダンジョンの正確な位置はわかるはずだ」
ようやくラグネルの言葉に真剣に耳を貸すようになった伯爵だが、顎に手を当てて眉間に皺を寄せる。何かに悩んでいるようにも見える。
「独断でフレイズの名を使ったことはあとでいくらでも謝罪しましょう。しかし、今は少しでも早く領都から応援を出して頂きたい。ヒナトの街には騎士がいません。兵も少なく、冒険者もダンジョン攻略の経験がない。再びダンジョンが外に攻勢に出ればどれだけ被害が出ましょうか!」
ラグネルは父の顔を見て、食卓の上に綺麗に敷かれた白いクロスを握りしめ、クロスが渦を巻き苦しそうにする。
「まず……お前の話だけでは動けん」
「フレイズ伯爵!!」
「落ち着け、ラグナ。確実な情報が必要だ。ダンジョンが存在するならば所在地を含め情報を集め王都へと報告をしなければならん。ギルドが動いているのならどれだけ秘密裏に動こうと王の目——ヴァルメルト公爵にも情報は渡る。公爵は王都のギルド本部の目付でもあるからな……できればヴァルメルト公爵への報告とダンジョンの保護に向けた動きのタイミングは合わせたい」
フレイズ伯爵は王国がどれだけダンジョンを欲しているかを理解している。そしてその利権を求める伯爵家よりも強大な力を持つ存在も。フレイズ伯爵家は領内のダンジョンを管理下におければ、それだけでダンジョンに集まる者たちから儲けられる。しかし、富を独占すれば奪おうと画策するものもまた現れる。後ろ盾が必要だ。そして、後ろ盾に認められるには"使える駒"でなければならない。
「ロニー、すぐに動かせる騎士の人数と、市民向けの行軍理由を用意できるか?」
「それならば、父上。たしかミストフォーク地方では少し前に凶悪な盗賊団が出没していくつかの村で犠牲者が出たとのことです。領主の息子である僕がミストフォークまで開拓村の慰問に向かう。その護衛として百名の騎士を引き連れ街道の治安維持も行うと発表しましょう」
「ふむ。多少派手になるが……返って噂にでもなったほうが市民の話題を逸らすにはちょうど良いか。騎士団長には私から話を伝える」
「はい、父上。ギルドの方にも僕から話を通します。ギルドマスターとは顔見知りですし、どうせ明日には屋敷にやってくるでしょう」
フレイズ伯爵とロニエールトは先ほどまでとは打って変わって冷静に素早く話を纏めていく。そうなれば今度は置いていかれるのはラグネルの方だ。
「ちょっと待ってくれ。さっきは動けないと言ったじゃないか。それになんでロニーが行く必要がある? ヒナトには俺が行く。ヒナトは俺を待ってるんだ、必ず帰ると約束をした。それに土地勘もあるし、俺はダンジョンマスターを知っている」
「それが問題なんだよ。兄上はヒナトじゃ顔が売れてるんでしょ? 兄上が無茶苦茶なことをしでかす度に領都のギルドマスターが毒を飲まされた狸みたいな顔で謝罪しに来るんだ。それで色々聞いて仲良くなった。英雄と呼ばれた冒険者が騎士団と帰還? 目立ちすぎる。ダンジョンのことはまだ一般には隠すんだから。それに、土地勘なら心配しなくても領都のギルドにもミストフォーク生まれは居るし、現地とも連携を取るから安心して任せてよ」
ロニエールトは努めて冷静に説明をするが、ここで貴族としての人生を放棄していたラグネルとの意識の齟齬があることに気づいていない。
「冗談だろう? さっきは動かないと言って、今度は何故かロニーが動くなんて言い出す。しまいには、俺は目立つから連れていかない? 騎士団を動かすんだ、別にもう隠す必要もないだろう? どうせダンジョンのことはいずれ知れ渡る。俺がいて何の問題がある? それに、さっきのダンジョンの保護ってのはなんの冗談だ?」
「冗談ではない。ロニーと騎士団の作戦行動の準備は、さっきロニーが言った通り慰安と治安維持を目的としたものとして公表する。人員と物資が揃うまでの間にギルドからダンジョン発見の報せが来るようならすぐに騎士団を送る。騎士団は途中でロニーの護衛とダンジョンに部隊を分ける。ダンジョン部隊は領都のギルド、ヒナトのギルドの冒険者と合流次第、ダンジョンの保護に当たらせる。ダンジョンが有るとなれば王国が動く。その前にダンジョンを失う訳にはいかない」
どうせダンジョンを見つけるまでに時間が掛かるのなら、その間に騎士の選定もする。ベテランに、遠征経験のない若手も混ぜて訓練にもなる。などと伯爵は語る。
「すぐには動かないということか」
「騎士も兵も呼べばすぐに集まると思ったか? 民間武装組織と正規軍は違う。規律がある」
「俺たちには規律がないと?」
「少なくとも私の知る基準には足りないな」
「はっ、もういい。話は済んだ。何と言おうとアンタらは今すぐにでも街のために動こうという気はないようだ。しかも、ダンジョンを守る? 守る相手は近隣の住民だろう! 俺はもう出ていく」
「それを止めろ」
この時、はじめてフレイズ伯爵が声を荒げた。今度は騎士たちは迷うことなく扉を塞ぎ、ラグネルの前に立ちはだかる。
「なんのつもりだ?」
「ラグナ、いや……ラグネルと呼ばれたいのならそう呼ぼう。ラグネル、今のお前は人を守ることはできない」
「俺が一度負けたからとバカにしているのか?」
「違う。民を守るとはどういうことか、お前はわかっていない。お前が守りたいのは数ヶ月遊んで飲んだ友人とかいう連中のことだろう。私とロニエールトは違う。それがお前を行かせぬ理由だ。お前には王都へ行って貰う」
そうしてラグネルは反論も虚しく、騎士たちに連れられて屋敷の自室に軟禁されることになる。
遠くの空が瞬いたのを見たのは数日後の夜のことだった。




