043.勇者の雷鳴
フレイズ領北端、ミストフォーク地方。その亜高山帯に存在する昏き霧の森と呼ばれる針葉樹の森。
その森は背の高い木々や、季節を問わず発生する霧に、特殊な生態系の動植物によって人間が暮らすには過酷な環境である。
その日の晩、昏き霧の森で発生した大嵐、それによって引き起こされた異常な数の雷の光と轟音はミストフォーク地方全域にまで轟いたという。
ある冒険者たちは半日前まで自分たちが作業をしていた場所から煌めく雷光を見て『討伐クエスト』が始まったのだと、帰り着いたヒナトの街で語り合った。
ある男はそれをギルドの一室の窓から眺め、強く奥歯を噛み締めた。
またある男は、ミストフォークよりも南の街の屋敷の自室から、遠くの空が薄ぼんやりと光るのを見て自己嫌悪に陥った。
その光を見た者は、その音を聴いた者は多い。街の守衛も、一般市民も、開拓村の人々も。
そして、片手に未だ完全には癒えぬ傷を負った女もまた、その光を見て……天賦の力を使い街から飛び出した。
「あんな魔法を使えるのはフィーニャさんだけだ。でも……でもなんで、ダンジョンの外で戦ってるんだよッ!」
その女は、その異常性に気づいていた。何故ならば、このG級冒険者セレナはダンジョンの存在も、ゴブリン討伐隊の面々が何のために街を出たのかも知っていたからだ。
苦い敗戦のあと、動かぬ片手の治療と、殆ど目を覚まさず寝たきりの仲間の看病をしながら過ごしていた。
仲間の魔法の師が冒険者を率いて街を出たのを知って、何が起こっているのかはすぐに察した。
ラグネルが動いたのだ。ならば、自分にも何かできることがきっとあるはずだ、とギルドに乗り込み、名を伝えた時に返ってきた言葉は今でも頭から離れず、腑が煮え繰り返る思いだ。
「セレナさん、でしたか? ああ、解散されたラグネル様の元パーティの」
そんなことを宣った職員の胸ぐらに掴みかかってしまい、ギルドから叩き出された。
「ラグネル、いったいどうしてだよ……」
俯き、街の石畳の汚れを眺めている間にたどり着いたのはミエレを預けた診療所。医者の男に顔色が悪いと心配されたが、無視をしてミエレの手を握りしめた。
「あいつが特別なのはわかってたさ。セレナやミエレとはどう考えても違う。どっかの貴族、王子様だって言われても驚きはしない。あんな変装で本気でごまかせるなんて本人だって思ってやがったのか……それでも、仲間だから。言えないことの一つや二つって思ってたのによ……」
ラグネルのあまりにも整いすぎた顔も、髪も、剣の技もカリスマ性も。妙にギルドの上層部だけでなく、高ランク冒険者も街の守衛も、ラグネルを見れば態度を変える。
何かを抱えていることをわかっていて、それでもラグネルはきっと、セレナの知らない誰かとしてではなくて、駆け出し冒険者ラグネルとして、自分たちとパーティを組んで好き勝手に生きることを選んでくれていたのだと思っていた。だから、踏み込まなかった。
「その結果がこれかよ、ハハッ! バカみてぇ」
友人が目を覚まさないのを良いことに、布団に染みがつくのも知ったことかと涙を溢した。
そんなささくれだった心の隙間に、呪いはするりと入り込む。
——「なあ、お前。完全に蚊帳の外だな。ラグネルってやつはよっぽどお前の時より、あのミエレって女のときのほうが本気で頑張ってるよ」
——「……まずはミエレを解放してくれ」
魔王の言葉が、かけがえのない仲間で、親友だと思っていたラグネルの言葉が、ぐるぐると脳を掻き乱す。
ミエレは、ラグネルのことをどのくらい知っていたのだろうか。自分の知らないラグネルを知っていたのだろうか。だからラグネルはミエレを守って——違う。ラグネルはセレナのことだって助けてくれた。あの時「行け」と言ったのは自分だ。診療所の前で見送ったのも自分。
「行かないでなんて、言える訳ねーだろうがよぉ」
友人が寝るベッドのシーツに皺が寄る。いつの間にか握りしめていたらしい。
「ダメだ、出よう」
そうして宛てもなく街を彷徨い、日が沈み夜が孤独を深めていく。
そんなセレナが空を見たのは偶然だった。
北の空が光を放っている。雷が縦にも横にも幾つも迸り、遅れて体を揺さぶるような音が鳴り響く。
ぼうっと眺めていると、街の外から戻ってきたであろう冒険者の集団と出会した。
「どうやら夜襲をかけたみたいだな」
「あんな大魔法を使ったらゴブリンなんてひとたまりもないだろ。拠点までのルート開拓なんて必要だったのかね?」
「こりゃ今晩だけで依頼は終わりだろうな。物資を運んで邪魔な木を切るだけでいい稼ぎになる仕事だったってのによ」
「明日からはまた面倒な依頼を受けるしかないな」
「俺はあんな危険な森に近づきたくはないから正直ありがたいよ」
「お前はビビリだな」
冒険者たちは軽口を叩き合っては笑い、呑気にギルドに向かって歩いて行く。
「森、ゴブリン、開拓……雷を呼ぶほどの風の大魔法……フィニャセラ?」
セレナの中で冒険者たちの言葉の断片が繋がっていく。あの冒険者たちは雑用に連れていかれた連中なのだろう。そしてフィニャセラは恐らくはダンジョン調査隊の指揮官として選ばれたのだと思う。ヒナトの街の最高戦力、ダンジョン攻略経験者。
繋がって、分かったからこそ理解ができない。
ゴブリンは存在する。だが、ゴブリンが暮らしているのは巣ではなくダンジョンだ。
だというのに、嵐はこうして街からでも見えるほど明確に野外で放たれている。何かがあったのだ。ダンジョンマスターとの戦闘か、それともダンジョンマスターが言っていた凶暴なモンスターとやらが現れたのか。
考えがまとまらない。当たり前だ、ここからでは現場で何があったかなんてわかりっこない。
「ラグネル……あんたが戻らないっていうのなら、もうセレナのことなんて忘れてしまったのなら……」
ううん。違う。
そうじゃないだろ、セレナ。
そんな女々しい考えをしているから、置いていかれてしまうんだ。
行け、走れ、独りでも。
イアン師匠はたった一人でも走り出したはずだ。
「男なんて関係ない。相手だって関係ない。魔王だろうと、凶暴なモンスターが相手だろうと」
走って、この目で確かめるんだ。
僅かな違和感を、異変を見逃すな。それが冒険者の先頭を進む斥候のあるべき姿。
「ラグネルが居なけりゃなんだ。セレナは元からこの街で生まれ育った生粋の冒険者だ。街に危険が迫っているのなら、必ず突き止める」
勇者の雷鳴に導かれし者が、闇夜を駆ける。




