041.絶望を超えろ
暗転、漆黒。塗りつぶされた世界が瓦解していく。何も見えない暗闇の中で足元が揺れる。大地が崩れ落ちていく。深い深い闇の底が迫る。落ちた先に死が待っているのを肌で感じる。奈落の淵で、ただ甘んじてその時を待つ——
「——つもりは、ありません」
地に伏したまま、指先に力を込める。仲間を想い祈り続けたその全てを、たったひとつの言葉に乗せる。
「風刃」
不可視の刃が静寂を切り裂く。
鹿の首がゆっくりとずれて落ちる。切り別れた首からどぷりと血を吹き出して、土の上に鹿の体が横倒れる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……この程度の絶望で、私が折れると思わないでください」
フィニャセラは、足元をふらつかせながら立ち上がる。全身に寒気が走っている。指先まで冷えて全身が痺れるように痛む。霞んだ目は、こんな暗闇だ。はっきり見えていようと大差ない。大丈夫、問題ない。戦える。
「ふふっ、百や二百では足りませんか」
フィニャセラの周囲は無数の眼光に囲まれている。昏き森の中から無数の妖しい光に睨みつけられている。
そして、その中から四つの目が揺らめき、血を踏み締める音が近づいてくる。
新たな鹿がもう一体。仲間の亡骸のすぐそばに現れた。
「どんな力を使っているのかはわかりませんが……無敵という訳でもないのでしょう? それならば、この命ある限りお相手しましょう——ウィンドエッジ!」
「————」
放たれた刃は、鹿の発した一声で霧散する。
「終わりませんよ! スタンボルトッ!」
「——」
迸る雷は枝分かれし、鹿に直撃することなく弾かれて地に落ちた枯葉を焦がすに過ぎる。
「まだまだ! ウィンドキャノン!」
「——」
圧縮された激動する風の砲弾は、鹿に届くことなく破裂し、塵を舞わせた。
「どうしました? 魔法を殺せても私を殺すことはできませんか? 周囲の仲間も手を出して来ませんね? さっきの個体よりも……」
『弁えろ、弱者よ』
まただ、脳を直接突き刺すような痛み、全身を襲う喪失感。膝が崩れる。血を吐き、倒れ伏した自分を見下して嘲笑う四つ目の姿が脳裏に浮かぶ。
……けれど、これは現実じゃない。何故なら。
「私は立ち上がる」
余りにも鮮明な痛み、冷たさ。手招きする死の幻影。この光景のように、いずれ本当に自分は死ぬのであろう。だが、まだだ。まだ死ぬことは認められない。受け入れられない。
何もわからず、何も残せず、死んでいった仲間の恨みも晴らせず楽に死ぬつもりはない。
「ウィンド……」
『しつこい。死ね』
魔法よりも速く、世界が鳴いた。再び死が迫る。何もできず、無様に散る未来が視える。これまでか。
「人んちの前で騒いでくれる。しつこいのはお前だ鹿野郎」
誰かが、四つ目の鹿と自分の間に立っていた。フィニャセラが受けるはずだった死の呪いをその身に受けて、平然と。
『何故貴様が此処に居る?』
「それはこっちのセリフだよ。俺たちはアンタの言う通り、森での活動をやめた。こいつらは俺たちが苦労して森の外から引っ張って来た獲物だぞ。それを横取りされて黙っていろとでも?」
その男は鹿と当たり前のように会話をしていた。面識すらあるようだ。いったい何者……いや、そもそもこんな真夜中の昏き霧の森に、人間がいる筈がない。仲間はみんな死んでしまった。ならば、この男は誰だ、何処から来た。
『餌の所有権を主張するために巣から出て来たか……愚かな外来種よ。いまこの場で貴様如きを殺すことが出来ぬとでも思い違いをしたか?』
「思い違いか、思い違い。そうだ、確かにそうだよ。俺はずっと思い違いをしていた。お前が、お前たちが恐ろしくて堪らなかった。どう足掻いても勝ち目のない相手だと思い込んでいた。知らなかったからな。何故あのとき、俺は一度死んだのか。お前らは何なのか、どれだけの数がいるのか、その能力をあと何回使われれば俺は死ぬのか」
男は鹿を相手に馬鹿にするように笑う。いや、どこか自嘲を含むものだったのかも知れない。
「だが! ここに勇者がいた! この森の頂点を相手に、たったひとつの命と、甘ったるい勇気だけでお前の仲間を仕留めた勇者が!」
『不意打ちで子鹿を倒した程度で図に乗ったか』
「ああ、そうさ! そうだよ! 子鹿を盾に隠れてやがるみっともねえ連中。それがお前で、お前らだ。なあ——お前ら、能力が強いだけで本当は雑魚だろ」
『貴様ッ!!』
「————————」
『————————』
これまでにない大音量が森を揺らす。空へと突き抜けるような大合唱。死が踊る。瞬きをする度に違った形で死を迎える姿を幻視する。フィニャセラは遂に限界を迎え、その死の映像のひとつと今の自分の姿が重なって見えた。視てしまった。それは四つ目鹿の攻撃のレジスト失敗を意味する。ただ振り絞った勇気だけで耐えて来たフィニャセラの限界。ただのエルフの限界。
そんなフィニャセラを、熱が包んだ。
「な……に……」
もう目に映るのは死の光景だけだ。現実など見えてはいない。それでも、冷え切った体が誰かに守られていることだけはわかる。
赤子のように、花嫁のように、地獄に落ちた亡者のように熱に抱かれている。
「この女が死ぬ未来はまだお前に視えているか?」
この声は、あの男の声だ。さっきまで自分と鹿の間に立っていた謎の男。今は随分と近くから声が聞こえる。この男が自分を守ってくれたのだろうか。
「視えていないんだろう? 未来なんてあやふやな物に頼っているから、お前らには現実が見えちゃいない。この女は俺のものだ。この場所は俺の狩場だ。まだ頂点を気取りたいのならこの場から去れ。さもなければ、俺たちが頂点を獲りに行く」
暑い。さっきまで冷え切っていた体が今は汗ばんでいる。昏闇が炎に照らされている。揺れる炎の向こう側から無数の悍ましい叫び声がする。
悪霊が、死霊が、獣が、魔が雄叫びを上げている。
「今この場で決着を望むか、エイペックス」
『……後に悔いるが良い、プレデター』
周囲を取り囲んでいた妖しい気配が消えて、騒がしかった暴力的な咆哮が止む。
「なんとか間に合ってよかった」
抱えられた頭の上で呟かれた声に、フィニャセラは顔を上げて、その人物の顔を覗き込む。
王国の者とは異なる異国情緒のある顔立ちをしたその人物、こんな目でなければもっとはっきりとその顔を胸に刻み込めたのにと残念に思う……想うその気持ちは何故、何処から湧いてくるのだろう。
「きみは俺が欲しいものをたくさんくれた。ありがとう」
「……どう、いたしまして?」
男の言葉の意味はわからない。けれど、身を挺して命を救われたのだ。自分のような魔法しか取り柄のないものに何の礼ができるとも思えないけれど、今はこの暖かさに寄りかかっていたい。
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