040.絶望
フィニャセラが送り出した冒険者たちは、一定の成果を上げた。先にダンジョンに入った二人の生存は希望なしとされたが、六人は無事に生きており、内部にダンジョンの様子を警戒する者たち、ダンジョンと拠点を行き来し、暗闇のダンジョンに道標となるアイテムを残して安全なルート開拓と情報を持ち帰る者たちに別れ行動を始めた。
これまで明らかにされていなかった洞穴の中の情報が持ち帰られたことにより、あの洞穴がただの天然洞窟ではなくダンジョンだということが確定した。人為的な構造変化、トラップ、モンスターの配置。人間の侵入を阻み殺すことに特化した異質な存在。まさにダンジョンだ。本当にヒナトの街のすぐそばに王国の未来を変えうるものが実在していた。
冒険者の中には緊張が走るも、殆どの者は興奮しているのをフィニャセラも肌で感じた。
ダンジョンとは脅威。しかし、脅威の先には冒険者を、街を、国を豊かにする資源がある。あの洞穴の開いた丘は宝の山である。
フィニャセラからしてみれば、とっくの昔に捨てたものがそこには詰まっていた。富、名声、地位。何もいらない。静かな暮らしを夢見てやってきたこんな田舎の地でまさかこうなるとは……夢にも思わなかった。
「皆さんが無事であれば……私はそれで……」
フィニャセラは祈る。ダンジョンの調査に於いて最優先事項である『ダンジョン発生事実の確認』は済んだ。あとは、ゆっくり時間をかけて安全に構造やモンスターの種類、どのような産出品が存在するのかを調べるだけでいい。
むしろ、それさえももう成果はなくともいいとさえ思っている。ダンジョンは発見された。それ以上のことはギルドと領主がどうにでもすればいい。ヒナトの冒険者よりも、それこそフィニャセラよりも高ランクの冒険者を連れてくるなり、軍を派遣すればいいのだ。
自分たちは応援が来るまで、最低限の調査をして、この場を守っていればいい。
そうして、あの英雄の素質を持った領主の息子に事を投げて帰ればいいのだ。ヒナトの街に戻り、友人たちの結婚式を見て、普段より少し良いものを食べて平和に暮らす。なんと幸せな日々だろうか。
「フィーニャさん。そろそろ暗くなってきたので中の相棒たちと内部の見張りを交代しようと思います」
日も暮れた頃、ダンジョンから戻ってきていた冒険者たちから声を掛けられた。
「そうですね。ダンジョンの中では彼らもゆっくりとは休めないでしょうし、お願いします」
空が暗くなる前に、ダンジョンから鳴り響いていた不気味な声は消えた。あんな騒音の中で耐えていた彼らは疲労を溜めていることだろう。
フィーニャは冒険者の提案に頷き、無事に戻るようにと声を掛けて見送った。
それから数時間が過ぎた。交代で戻ってくるはずの冒険者たちが戻らない。中で仲間と何か話でもしているのか、それとも無理な探索をしているのではないかと不安になる。
内部に入った冒険者たちの話では、ダンジョンの構造は悪辣なものの、遭遇したのはゴブリンとゴブリンメイジのみ。罠さえ気をつければ、戦闘面で不安な要素はないということだった。
そう聞いていたから、フィニャセラは中に入った冒険者が全員既に死ぬか捕虜にされているなどとは思わなかった。
仲間が戻らぬのは気になるが、彼らは連れてきたD級の中でも最精鋭が六人。
こちらはと言えば、天幕が置かれただけで防護柵さえ完成していない場所を拠点とし、周囲を危険な生物が闊歩する森に囲われている。
昏き霧の森の夜の闇は深い。ダンジョンの前は少しだけ開けているが、森の中に一歩踏み入れば空の星さえも見えない漆黒の闇に包まれる。
見張りの順番を決め、各々の天幕の中で交代で身を休める中、フィニャセラは拠点の中央に置かれた会議用の天幕の中で眠らずに過ごしていた。
ダンジョンの中から誰かが出てくれば迎えてやりたいし、森の中での初めての夜。不測の事態に備えるためにもこの日は元から寝ずに過ごすつもりだった。
普段ならばとうに眠っている時間、空が日を跨いでもフィニャセラは静かに、机の上に置かれた燭台の炎を見つめて祈りを捧げていた。
祈ることは退屈ではない。心に安らぎを与えてくれる。それに、もしかしたら祈りがほんの少しでも仲間の危険を減らしてくれたらと願う。
そんな夜に、絶望は襲う。
「————————」
甲高い、聞いたことの無い音とも声とも判断の付かぬ何かがエルフの特徴である長耳を震わせる。
全身が一瞬で凍てつくように冷えて動かなくなる。
フィニャセラは咄嗟に、目の前の燭台の炎を見つめ、風で炎を撒き散らす。
謎の束縛から解き放たれ、胸を大きく上下させて息を吸う。
「——はぁっ、はぁっ、いったい、何が」
今、この心臓は止まっていたのか。鼓動が止まり熱を奪われ血液が固まり死に至る。そんな自分の姿を幻視した。
「みんな、みんなは無事ですかっ」
手足が動く。再び動かなくなる前に、動き続けなければ、死ぬ。相手が何なのか、何に殺されるのかもわからぬまま、死ぬ。
「……そ、んな」
天幕から飛び出したフィニャセラの目に飛び込んできたのは、見張りをしていた筈の冒険者が口から泡を吹いて倒れている姿だった。
「しっかり、しっかりしてくださいっ……くっ、誰か! 他に動ける者はいませんかっ! 無事な者っ! 誰かっ! 誰、か……」
フィニャセラは拠点として設置された天幕を次々と捲っていく。天幕の入口の布をぺらりと捲れば、死体。次も死体。当然、全て死体。
ダンジョンの外に出ていた仲間全てが、多様で無様な死に様を晒して骸となって転がっていた。
外に出て、思わず膝をつく。胃の中の物が駆け上がってくる。吐き出すのは堪えた。吐き出したところでそんな無様を見ている人もいないというのに、フィニャセラは意味もなく耐えた。
「違う。意味はある。絶望に負ける訳にはいきません……恐怖に怯え、弱さに屈っし、役目を投げ出すことは許されない。私はこの場を任された指揮官だ、冒険者だ、エルフだ! ヒナトの街の冒険者ギルドの代表、フィニャセラだ!!」
フィニャセラの周囲に暴風の嵐が巻き起こる。
「————」
「届かせはしません!」
静かなるフィニャセラの怒りの嵐が、何処からともなく響く音を掻き消した。
「姿を見せなさい。見せないのであれば、この森ごと葬り去ってくれる!」
暴風が勢いを増す。ヒナトに棲家を移してから、これほどの魔力を解き放ったことはない。いや、それより前でもあっただろうか。これ程の怒りを覚えたことが。
「我が意志、我が誇りに誓い、風の刃よ我に仇なす者を斬り刻め。罪を、裏切りを赦さぬ断罪の雷よ、悪しき者を貫く奔流と鳴れ——レイジングサンダーゲイル!!」
闇夜の森を切り裂く暴風の刃がフィニャセラを中心に膨れ上がり、周囲の木々を容易く切断し、尚も荒れ狂う。極太の竜巻のように膨れ上がった風の中では無数の稲妻が迸り轟音を鳴らしながらありとあらゆる物を破壊する。
——静嵐。どんな静かな場所であっても、突如として全てを破壊する嵐を呼び出す超高位魔法。
昏き霧の森に於いて、もはやその被害を微塵も受けぬ場所は台風の目となるフィニャセラの存在するその場だけ。遠く離れた森でさえ、風の残響は木々に悲鳴を上げさせている。その雷光はヒナトにさえ轟くだろう。
そんな嵐の中心に、その鹿は忽然と現れた。
『死を与える』
四つ目の鹿から放たれた音とも声とも知れぬそれの意味がエルフのフィニャセラにも理解できた。
嵐は消え、昏き霧の森に静寂が戻る。




