035. Abyssal Infinite Overlap Spell
意識が朦朧とする。さすがにストレスを抱え込みすぎたかもしれない。モチベーションの低下とともに激しい頭痛がしてきて、目の前もなんだか霞んできた気がする。
「コアちゃん、俺もうダメかも」
「そりゃ、そんなに葉巻吸ってたらそうなるでしょ」
「ぽえ?」
何を言ってるんだろうと思って口元に意識を向ければ……あら不思議、いつの間にか左腕として一体化したローパーのたくさんの触手に火がついた葉巻。それが一口ずつ丁寧に俺の口元へと運ばれてくる。
「そんなにたくさん同時に火をつけても一回に吸えるのは一本でしょー、なにやってんのもー」
コアちゃんには呆れられるし、グレイスは……泉のほうまで逃げている。
「あえ? 俺いつの間に?」
特にローパーに命令を出した記憶もない。なんなら、このダンジョンにはライターもマッチもない。葉巻に火を点けるのはいつも自分のイグナイトである……イグナイト?
「やべえ、イグナイト漏れそう」
「ちょっと何言ってるかわかんないわ。ごめん、シノミヤの気持ち理解ってあげられなくて」
「いや、そういうことじゃ——」
ぽぽぽぽぽっと火が灯る。
それは初めて魔法を発動したあとに、旧コアルームで魔法の練習をしたときのように、小さな炎が俺の周囲に生まれていく。
虚無から炎へ。
「あ、これマジでダメなやつ」
酷くなっていく倦怠感。自分の意思ではもうどうにもならない混沌。
「ニュルッ」
「あっ! ちょっ、シノミヤ!? どこ行くつもり!?」
気がついたら俺はコアルームを飛び出していた。左腕から伸びた触手がまるでジップラインワイヤーのように伸びては縮み、俺の体を運んでいく。わあ、蜘蛛になったみたい。
「ニュルッニュルッ」
全身を触手に包まれてローパージップラインに揺られて階段を降りる。俺の後ろを灯火が追いかけて——追い抜かれた。
ぼっぼっぼっ、と次々と生まれる炎が暗闇の迷宮を松明のように照らす。
俺はただそれに揺られながら、腹の中が上下に揺さぶられる感覚に今更ながら「やっぱ内臓あるじゃん」と思い、じゃあやっぱりコアちゃんの能無し発言はタチの悪いジョークなんだと思い至る。傷ついた。過去はいつだって不意を狙って刺してくる。嫌な思い出は消えず、拭えず、付き纏う。美しく敷き詰められた綺麗事の裏側の黴。
ダンジョンと、ダンジョンを攻略しようと試みる冒険者。素晴らしい様式美。これぞ異世界、ファンタジー。
そして様式美通りに追い詰められつつあるこの俺の状態の原因。
その答え——
「な、なんだ!? 急に迷宮が明るくっ!? あ、あの奥からやってくる化け物はなんだ!?」
何処かで聞いたことのある声が思考を遮る。第三を超えて迷宮の通路の角を曲がり第二トラップゾーンに差し掛かり、無数の蠢く触手に埋もれながら天井に吊され登場した俺に、第二トラップゾーンの向こう側の短剣二刀流が叫ぶ。
「なんだお前らか」
あまりの気持ち悪さと痛さと不快感、自己嫌悪の真っ最中。他人に構っている暇はない。
「ゴブリン、全員退け」
低く、小さな俺の呟きに、ゴブリンメイジもゴブリンたちも道を開ける。だから、堂々と俺は天井をぶら下りながら最前線に至る。
「だめだ・もう・限界・出る——イグナイト」
腹の中の異物を、頭の中で暴れ回る根源を、口から吐き出す。
かれこれ数時間に渡ってループされてきたオリジナルソング。その詠唱分、全てを吐き出した。
数百を超えるイグナイトがトラップの対岸で炸裂する。それぞれの炎は小さく、一瞬のうちに消えてしまう程の儚い威力のそれは、目の前のダンジョンの通路全てを飲み込んだ。
「行け、ゴブリン」
「ゴブーッ!」
炎はすぐに消える。あちらにも魔法使いが居た。それに三人とも手練。恐らくは生き残る。だから、飛べ。
「ごぶっ!」
「ヌルッ」
「ゲキャ!」
「ニュル」
ペニーを筆頭にトラップの底に落ちる恐怖も厭わずゴブリンたちが飛ぶ。
トラップを越えるための逆円錐形の石柱とは無関係に、無闇に、身を投げる。天井から伸びた石柱に擬態したローパーの触手がゴブリンたちを捕まえ、小柄で身軽なゴブリンたちを対岸へと放り投げる。
ゴブリンたちは、雄叫びを上げた。
メイジは杖にありったけの魔力を込めて、底辺魔法使いなりの最大火力を撃ち放つ。
世界最弱の凡ゴブリンたちはそれぞれの得物を掲げて、今尚生まれ続ける炎の中へと突き進む。
命を捨てた進撃。特攻。大丈夫、お前らは死のうとまた生まれ変わる。永遠に俺の配下なのだから……敵を潰せ。自分の命と引き換えろ。
お前たちは捨て駒だ。お前たちの前に立つ、英雄志望共も道連れに捨て駒に変えてやれ。
死ね、殺せ。
死ね、死ね。
みんなで死んで、みんなで殺せ。
「せっかくここまで出張ってきたんだ。背中を押してやる——炸裂しろ」
対岸に渡ったゴブリンメイジたちの背後から、この体に残った不快感丸ごとぶち撒けてやる。膨張した炎が爆発を起こし、衝撃がゴブリン共を後戻りを許さぬ勢いとなる。体の一部をフレイムバーストにより飛散させ、消え逝く残滓となりながら、ゴブリンたちはその刃を突き立てる。
「くそっ! 炎の向こうからゴブリンが……ぐばぁっ!」
「おい! 大丈夫か!? くっ、ここは俺たちが引き受ける。だからお前は逃げ——かふっ」
「イ、イヤァァァァ!!」
炎が消える。
ゴブリンが灰となる。
二人の男が死んでいた。
腰を抜かした魔法使いが一人、地べたを這いつくばっていた。
「ローパー、あの魔法使いを拘束する」
「ニュルルッ」
二人の冒険者に庇われたのか、一人生き残っていた。第二のゴブリンはもういない。
スライムとローパーはいるが、そいつらを動かして死なれれば第二は完全に素通りされる。
「もう働きたくないのに」
職種が伸びて、天井に吊され、ぶんぶん振り回されながら対岸へ。全身を覆っている触手に少し動いて貰って、触手の隙間から顔を出す。
「ひっ……」
俺が顔を出した瞬間に魔法使いのお姉さんが悲鳴を上げた。酷い。元の世界でだってただ顔を見せただけで女の人に悲鳴を上げられたことなんてないのに。こっちの女は初対面で肩を刺してきたり、顔を見て悲鳴を上げたり。ちょっと失礼が過ぎる。
「ほ、炎よ、わ、わたしの名に従い……むぐぅっ」
「詠唱はダメだよー」
尻餅をついたまま、魔法使いのお姉さんが杖を向けて詠唱を始めたので触手を口に突っ込み、全身を拘束してから俺と同じように触手の繭の中に引き摺り込む。
「ローパー、帰宅する」
「ニュルニュル」
ローパーは二人を運ぶのはちょっと重いのか、蜘蛛みたいにぴょんぴょん飛び移るのではなく、ゆっくりとタコのように壁に張り付きながら移動を始めた。
そうして落ち着いて、ようやく思い出す。
「コアちゃーん! この曲止めて! 勝手に詠唱されて死ぬ! マジで死ぬ! これ以上もう出ないから! もう出ないからぁ!」
突如俺を襲った体調不良の答え——原因であるオリジナルソングを垂れ流しているコアちゃんに向けて精一杯の悲鳴を上げた。




