023.ゴブリン・メイジ
グロッグ・ローニーは行商人である。グロッグはヒナト周辺の村を回り、主に野菜を買い付け、ヒナトの市の店へ卸している。勿論、それ以外にも村人へは塩などの調味料や酒、日用品を売ることもあるし、辺境村の周辺では変わった生き物の肉——勿論、加工済みのものだが——が手に入ることもある。
そういった、ヒナトの街を中心にミストフォーク地方の村との物資のやり取りで儲けを出しつつ、地域の細々とした必需品を届ける役割も担っている。
グロッグのような行商人は他にも多く存在するが、今回この男のことを語るのには当然、理由がある。
グロッグが行き来するのは辺境と呼ばれるミストフォーク地方の街道だが、この街道は舗装などはされていないが、日々多くの往来があるために、それなりに整備されている。
悪天候の影響などで道が悪くなることはあっても、そもそも悪天候の日に態々馬を出すことはないし、何かしらの影響があっても通行人が見つけて村や街に報告をあげれば情報はすぐに回り、交易が止まれば困る人々は協力して対処にあたる。どうにもならなければ、ヒナトの街から専門家が派遣される。領主は随分に領民を大事にしているようだ。
そんな理由もあり、稀に不幸な落伍者が罪人に身を落とし盗賊となったり、街道から離れた場所で多少の脅威になる動物が見られることもあるが、基本的には安全。そもそもが、グロッグは市に出す品を卸しているのだから、街からそう遠くまで行くことは滅多にない。馬に荷馬車を引かせて半日程度、長くとも一日程度の村を巡るだけ。
盗賊が現れたならしばらくは仕事を休むか、別の方面に向かう。そうしていれば護衛に金を使わずとも済む。
だからその日も、グロッグはいつも通りに街を出て、村で一泊した後に護衛もないまま街に向かって村を発った。
——ボンッ
馬車の目の前、数メートルも離れていない場所で突然火の玉が爆ぜた。
馬が嘶き棹立ち、馬車が激しく揺れた拍子にバランスを崩して御者台から振り落とされる。
「痛て……なんだぁ? いったい」
荒事とは無縁に生きてきた男は、腰を摩りながら体を起こす。
馬は相変わらず興奮状態で、宥めようにも落ち着きそうにない。
困りながらも、商品は無事かと荷台を確認しようと馬車の後方へ向かう途中、遠くの茂みが揺れているのが見えた。そしてそれは徐々に、いや、段々と足早にこちらに向かって来るではないか。
「ゲギャギャ!」
「ゴブゴブッ!」
「ゴフゴフ!」
奇妙な嗄れた低音を発する緑の肌の小人——ゴブリンの群れ。
「ごぶっ! ごぶごぶ!」
突然現れた五体のゴブリンの後に続いて、ゴブリンよりも一回り以上背が高く、雑多な獣の毛皮と巨大な羽根で繕ったような気色の悪い衣服、しかも頭が丸ごと収まる大きなフードを被り、怪しい杖を持ったゴブリンまで現れたではないか。
「ひぃっ! ば、化け物……!!」
思わず腰を抜かし、尻餅をついてしまう。モンスターを前にそんなことをしてしまえば、待っているのは死である。
しかし、これまで安全安定、無難に仕事をこなしてきたグロッグは、ゴブリンというものを間近で見たのは人生ではじめてのことである。
モンスターは普段はこんな街道沿いの開けた場所には現れない。姿を見せれば冒険者に仕留められてしまうのだから。
だが、ごく稀に盗賊が現れるように。ごく稀にモンスターが現れるように。
それを冒険者が討伐して平和を取り戻すまでに、原因と被害者が存在するのが当たり前。
周囲のものが知るのは、犠牲者の亡骸か、運良く生き延びたものの悲鳴が響いたその後だ。
「やめてくれ……あっちいけ! 来るんじゃない!」
あと数ヶ月も生きれば四十回目の誕生日を迎えられたであろう男が、みっともなしに涙と鼻水を垂らしながら叫ぶ。
「ゴーブゴブゴブ」
「ゲギャギャッ! ギャギャ!」
そんなグロッグを刃物を持ったゴブリンたちは取り囲み……
「ごぶごぶ! ごっぶ!」
後からやってきた怪しげな衣服と杖のゴブリンが馬車を指差して何かを言うと、ゴブリンたちは荷台に乗り込む者、馬を捕らえようとする者に別れて騒ぎ出した。
「ああ……ダメだ、おいらの商品が、今日中に届けなけりゃならないんだ……」
命の危機だと言うのに、荷を荒らされてそんなことを口走るのは、社会に組み込まれた人間として仕方のないことかもしれない。
グロッグの全財産は、馬車の中だ。村で仕入れた物、売れなかった物、街に卸す予定の物。そして、現金。全てが荷馬車の中。
それを失えば、グロッグは生き残ったところで、全てを失う。借家の家賃も払えず、その日食うにも困るのだから。
「ごぶごぶ」
一体、目の前に残った背の高いゴブリンが何かを言っている。化け物の言葉など理解できるはずもない。
「なんだ! おいらを殺す算段でも話してるのかっ! ここで殺すのか、それとも巣に持ち帰ってバラバラにして群れに振る舞うつもりかっ!」
グロッグは自分でも何故、こんなに声を張り上げているのか分かっていない。怒りではない。恐怖、絶望……そして悲しみが勝手に漏れ出しているのだ。
まだ生きたい。死にたくない。もう一度あの街に帰りたい。昨日のように暮らしたい。ただ、それだけの願いが喉から溢れ出る。
「ごぶっ」
奇妙なゴブリンが杖を振るうと、グロッグの足元で炎が爆ぜた。
これは、さっき馬の目の前に現れたものと同じだと気付いた。
「ゴブリン、メイジ……」
「ごぶ」
「ヒィ」
ゴブリンメイジが、頷き再度杖を振るえば、炎はグロッグの股の間で弾ける。
遊ばれている!!
この理不尽はいったいなんなんだ!
怒りをぶちまける勇気はなく、グロッグにできることはずりずりと尻を擦りながら後退することだけだった。
「ごぶ」
「う、うわぁ!」
そんなグロッグの足先に火花が舞うように、ゴブリンメイジは魔法を発動させる。
グロッグが動けば、その分だけ位置を合わせて。何度も、執拗に。
必死に叫びを上げながら地を這っていたグロッグは、最早堪らず、馬も荷馬車も忘れて走り出す。ようやく今更になって足腰に生きる力が巡ってきた。
ガチガチと震える膝で、何度も転ぶ。転べばすぐ横に炎が現れる。もう恐怖でグロッグは振り返ることもできなかった。
みっともなく、街に向かって、この場から少しでも遠く安全な場所に逃げ込むために、馬もなくたった一人で走り去っていく。
ゴブリンメイジはその男の後ろ姿が見えなくなるまで見守り、視界から消えたのを確認すると、手下のゴブリンたちに指示を出す。
馬ごと連れ帰る予定だったようだが、どうやら馬を宥めるのに失敗して馬は取り逃がしたらしい。
ならば、とゴブリンたちに荷車を引かせ、ゴブリンメイジは荷台に乗って去っていく。
翌日のヒナトの街の門前にて、グロッグは自分の愛馬と再会を果たす。大粒の涙を流しながら馬をしばらく抱きしめた後、街の門を潜り向かった先は——冒険者ギルド。
「依頼を出したい。ゴブリンメイジとゴブリンの巣だ。おいらの全財産が奪われたんだ。取り返してくれたら金の半分を報酬に渡す」
冒険者ギルドの受付に駆け込んだグロッグの願いは、結果として半分だけ叶うこととなる。
「報酬は先払いでギルドに預託していただく必要がございます。なので……申し訳ありませんが、後払いでとなるとギルドで依頼書を出すことは出来ません。とはいえ、ゴブリンメイジとゴブリンの巣の話が本当でしたら、調査と討伐は必要と思われます。詳細な情報提供をしていただくか、調査に同行していただいてゴブリンの存在が確認できれば、ギルドの方から討伐依頼を正式に出すことが可能です。それでもと仰る場合は…………」
「……それでいい、頼む。どうしても取り返さないといけないんだ。助けてください」
こうして、ヒナトの街の冒険者ギルドにて、『ゴブリンメイジ及びゴブリン討伐クエスト』が発行された。




