018.イアン・マクセル
男の名はイアン・マクセル。
アルヴァリア王国北部フレイズ伯爵領のさらに北端、ミストフォーク地方と呼ばれる亜高山帯と針葉樹の森。そして、森からは季節を問わず深い霧が漂う。霧と木々に隠された森の中にはモンスターやモンスターと同等の凶暴な生物が跋扈する、フレイズ伯爵領の中でも辺境と呼ばれる土地がある。
そんなフレイズ伯爵領、ミストフォーク地方は小さな開拓村が点在し、村々の交易の中心となっているのがミストフォーク唯一の街、ヒナトである。
イアン・マクセルはそんなヒナトの街の冒険者ギルドに所属するE級冒険者である。
E級、それは冒険者のランクとしてはとても高いものではない。
今年二十六を迎えるイアンが、領都や王都でE級などと名乗れば失笑されるレベルだ。
しかもイアンは冒険者を始めて既に十年選手である。年齢はまだまだ若く全盛期だが、辺境生まれのイアンは日銭を稼ぐ為に若くから冒険者として真面目に働いていた。
ならば何故、中堅どころかベテランとも呼べるイアンがE級なのか、それは単にイアンの天賦に起因する。
イアンの天賦は"存在希釈"。自らの視認性、物音、匂いなどを断ち、人やモンスターに悟られなくなるというものだ。
勿論、天賦というのは常時発動できるものではない。使用すれば反動がある。それは肉体的疲労や精神的ストレスであったり、病の様に衰弱するなど、人によって異なるが……イアンの場合にはそれは精神的なストレス、恐怖となって襲ってくる。
冒険者にとって最も必要な才能は何か。
恵まれた体格、優れた精神性、天賦という才能。そして、脅威に立ち向かう勇気。
辺境の村で生まれたイアンの体は、大人になっても戦士には向かないものだった。それでも、戦闘系の天賦に恵まれれば……その願いすらも叶わない。授かったのは隠密系天賦。しかも、天賦を多用すれば戦いの舞台から逃げ出してしまう。
イアンには、冒険者に必要な才能がいくつも欠けていた。
だが、生来生真面目なイアンは、真摯であった。自分の可能不可能を弁え、英雄に場を譲り、日陰者として堅実に仕事をこなした。
天賦は使いすぎなければ、とても有用なものだ。肉体を強化はしてくれないが、存在を悟られず行動できるイアンは、自らのポテンシャルを発揮できる状況には滅法強い。
死角からの隙をついた一撃でモンスターの動きを止めれば、肉体を強靭化した戦士が息の根を止める。
調査、潜入は短期であればヒナトには右に出る者はいない。
長期であっても、天賦を使用せずに隠れる場所さえあれば休憩を挟んで再行動できる。
故に、イアンにはモンスター討伐以外にも、不審者や犯罪者の調査依頼、討伐作戦への参加依頼が指名依頼として舞い込む。
そして、イアンは十年間命を落とすことなく冒険者を続けている。
冒険者という死と隣り合わせ、死なずともいつ体のどこかを失うかわからぬ職業に於いて、これは偉大なことである。
故に、ヒナトの街の冒険者でイアンを嗤う者などいない。
冒険者ギルドもまた、イアンの貢献度を理解しつつも、その才能の限界をわかっているからこそランクを上げはしない。
イアンも納得している。おかげで、危険すぎるモンスター討伐への参加はE級であるからと辞退することもできる。
例えば、ドラゴンが現れたから闘えと言われても不可能だ——それはイアンに限らずヒナトの冒険者皆に言えることだが。
さて、そんなイアンは数日前にとある依頼を受け、街の馴染みの冒険者たちとヒナトの街を出立した。
ミストフォークに点在する開拓村のひとつが、盗賊の集団に襲われたのだ。
王国北部のさらに北の辺境の開拓など、上手くいかないのはよくあることだ。そして、立ち上げはなんとかなっても、たった一度の不作で破綻する。破綻した者は、生きる為に罪を犯す。
どこかの破綻者が、別の村を襲う賊になる。同じ開拓村の生まれとしては哀しいことだが……そういうことは過去にもあった。
イアンは他の冒険者と共に被害にあった村を訪れた後、他の斥候たちと手分けをして盗賊が潜む塒を見つけ出した。
そして、いつも通りに自らは日陰者として、戦士たちのカバーに入り、イアンが憧れた英雄のような戦う力を持った戦士たちが盗賊の多くを仕留めていった。
計算外だったのは、そこにヒナトの冒険者すら凌駕する天賦の使い手が一人混じっていたことだ。
短時間の間に、主力の戦士が数名昏倒させられ、戦線が崩れた。
その隙を突かれ、恐ろしい天賦の使い手とその部下が数名、仲間を見捨てて森の中へと逃亡を試みる。
その中に、盗賊に担がれた少女の姿を見た。
イアンは急いで物陰から飛び出そうとして——
「——イアン! 助けてくれっ!」
取り残された盗賊たちを相手に苦戦する仲間の声を聞いた。
イアンの体は無意識に、仲間を斬り殺そうと斧を振るう盗賊の背中に短剣を突き刺していた。
生暖かい命が溢れ、イアンの手を染めていく。
「助かった! どうやら中に何人か女が捕まっているらしい! イアン、天賦はまだ使えるか?」
「……ああ」
森の奥を睨みながら、イアンは頷く。
正しい判断だった。どうにか持ち直した冒険者たちは、残りの盗賊を始末し、多くの傷ついた女たちの命を救った。
「間違いでは、なかったんだ……」
イアンは、救出された女たちと、傷だらけの仲間の姿を見ながら拳を握り締める。
あのとき、他の仲間も逃げ出した盗賊がいた事には気づいていただろう。
仲間も同じ、追うことよりも戦うことを選んだ。
しかし、自分以外に、あの小さな女の子の存在に気づいた者はいたのだろうか。
例え力は弱くとも、あの少女を抱えた盗賊程度ならば自分一人で仕留められたのではないか。
後悔が、胸を締め付ける。
「俺たちは一度、女たちをヒナトに連れ帰る」
「俺は、逃げた生き残りを追う」
仲間の言葉に、イアンが短く返すと、仲間たちは心配そうな顔をした。
「だが、お前の天賦は……」
「わかっている。長期戦には向かない。だが、今追わなければ、見つけられる保証はない。大丈夫だ、能力との付き合い方はもう充分に心得ている。道中、目印を残す。戻ってきたときにはそれを辿ってくれ。印はいつものように」
冒険者、その中でも斥候はいくつかの印を使い分ける。正しい道、間違った道、危険な道。後続には正確な情報を伝えなければならない。
イアンには身に染みついた、無意識にでもこなせる作業だ。
あとは、天賦の使い方を間違えなければいい。
「この森はモンスターより厄介な生物も存在している。俺が適任だ」
他にも斥候はいるが、存在希釈はイアンだけが使える天賦であり、他者に影響を及ぼすこともできない。
故に、独り。
「だが、ギルドが追撃を認めるかはわからんぞ。お前も言った通り、ここは危険な森だ。盗賊だって放っておけば死ぬかもしれないんだからな」
仲間の言う通りだ。
「だから、俺は行かなければならない。奴らは小さな女の子を人質に抱えていた。盗賊が死ぬような状況になれば、あの女の子も死ぬ」
「なんだと……まだ、囚われていたのか」
「ああ、だから俺は行く。何、お前たちが戻って来なくとも恨みはしないさ」
仲間の肩を叩き、背を向けて手を振る。自分のことながら、随分と気障なことをしたと思う。
背後から名を呼ばれる。振り返りはしない。足は止めない。怖気付いて止まる訳にはいかない。
冒険者に必要な才能は、恐怖に震えることではない。勇気を持って前に進むことである。




