4 柘榴、謎多き少女
柘榴は俺の記憶のなかでは地味な少女だった。舌ったらずのハスキーボイスは変わらないが、そのほかはコロニーによくいる平凡な女の子、そんな印象でしかない。
彼女は齢十四の時には蓬莱百貨店にて働き出した。柘榴は百貨店内勤の事務職員として雇われていた。雇用するにはコロニーの労働法をはるかに下回る若さであったが、それには理由がある。
そう、彼女の兄ヨハンは外商部員だったからだ。それも、今回の攻撃対象たる薫地区の、だ。つまりは蓬莱百貨店はヨハンと柘榴の兄妹を、まるごと雇用……いや、ていのいい支配下に置いていたわけだった――。
俺の回想はそこでぶっつり絶たれた。横から柘榴の声がしたからだ。
「私に任せてほしい」
「薫の玉への介入をか?」
俺たちは俺に与えられている狭苦しい執務室にいた。志明の部屋とは大違いだ。もちろん窓もない。そんな閉鎖的空間でタブレットに向かっていた俺は、社食のドリンクバーからかっぱらってきたコーヒーを啜りつつ、傍に立つ柘榴の顔を見上げた。黒いキャンディみたいな瞳が夜の部屋のなかできらり、光った。
「それにしても、ずいぶんコーヒーに砂糖とミルクを入れるのね? 楊、あなた、もう生活習慣病を気にする歳でしょ?」
「俺は甘党なんだよ。いけすかない仕事の前なんだから、コーヒーくらい好きにさせろ。それより柘榴、お前が玉になにをできるっていうんだ」
「私ならすぐ終わらせてみせる」
「馬鹿いえ」
俺はコーヒーを一気に飲み干しながら、椅子を回して柘榴に向き合い、黒い双眼をまっすぐ睨む。
「玉のプロテクトは何重にもなっているんだぞ。いわばそこをハッキングして侵入するわけだから、好の玉と蓬莱百貨店のシステムの助けを借りるにしろ、解析には少なくとも半日はいるだろう」
「そんなに時間はいらないわ。私には一時間あれば充分、ただ、ひとつ条件があって」
俺は眉を顰めながら、鬱陶しい髪をかき上げた。傷跡さえなければ今すぐに切ってしまいたい。そう思い続けている髪の毛だ。
「なんだ、それは」
「私をこの部屋でひとりにしてほしいの。で、絶対に覗かないでほしい」
「は? 『鶴の恩返し』かよ」
俺は思いがけない柘榴の言葉に目を剥いた。
剥いた結果、どうにも古臭い返しになってしまったが。しかし柘榴に意味は通じたようだった。
「日本の民話か。楊、意外と教養あるのね」
「やかましい。俺の祖母は日本人なんだ」
いらん素性をさらしながらも俺と柘榴の問答は続く。しかし、柘榴に引く様子はない。最後には、俺の身体にぐいと腕を伸ばし、俺を部屋の外に押し出そうとする始末だ。柘榴のオーガンジーのフリル袖に包まれた白く細い腕が、目前に迫る。
「いいから、一時間くらいここを留守にして。その間に玉をハックしてみせる」
「だが」
「なに? 楊、あなたは女の子の着替えを覗く野暮な男ってわけでもないでしょ?」
どんな比喩だ、と思っているうちに俺はぐいぐいと胴を押され、部屋から閉め出された。
俺は廊下にて、片手に握っていたままだった空の紙コップをぐしゃり、握りつぶす。
しかしながら、俺がその柘榴の「言い回し」が比喩でもなんでもなかった、と知ったのは、だいぶあとになってのことだった。
果たして、廊下で苛々と時間をつぶした一時間後、柘榴がドアからひょいと顔を覗かせた。
「できたわよ」
俺は半信半疑で部屋に入る。
部屋はなぜか照明が落とされていて、薄暗かった。その仄暗い闇の中で、俺のタブレットが煌々と白い光を放っている。俺は机に近づき、画面をのぞき込む。
息が止まる。同時に思わず、うめき声が漏れた。
「うおっ……」
そこには、なにかのプログラムのコードの羅列が画面いっぱいに輝いている。
それはたしかに、薫の玉の内部プログラムだった。
柘榴が解析した玉の内部に、俺が介入した一週間後。
俺の思惑通り、茘枝の市場価格が暴落し始めた。
なに、服用した者が茘枝に「あたって」体調を崩した、そんな騒ぎが起きたわけではない。だが騒動は見えないところで起こっていた。つまりは、崑崙コロニー外でだ。
薫が生産する茘枝は、脳に快楽をあたえる「合法麻薬」であるが、その需要は実はコロニー外での方が高い。そう、いまも独立戦争が続いている他のコロニーの軍、そして敵対する地球軍において。というのも、茘枝は両軍において兵士の戦場での恐怖を軽減する薬として使われているからだ。
その茘枝の効能が、急に薄れた。そんな苦情が輸出先の双軍で同時に噴出したのだった。
しかも、今週になって新たに出荷された茘枝に限って。
この事態に薫の上層部は大慌てしたらしい。それはそうだ、茘枝は薫の財源を大きく潤しているのだから。急遽、薫は茘枝の生産ラインを点検した。そして、茘枝のレシピに、外部からの介入の痕跡が見つけられた、そう発表した。しかも、その介入の大元は、薫の玉であったとも――。
俺はコロニー中心街の雑踏を歩きながら、そんなニュースを声高に告げる街頭ビジョンを眺めていた。むろんそんな騒動が起こっても、この崑崙コロニーの内部は平穏極まりなくて、周りを歩く市民も特に動揺することもなくニュースを聞き流している。
いつもの光景だった。
この騒動の内幕はマダム・ハオと俺と志明、それに柘榴しか知らない。むろん、もう少しすれば志明を通して統治委員会にもことの次第の報告が行くだろうが、そこで起きる混乱、または対立については、もう俺の知ったことではなかった。お偉方が上手く処理するだけのことだろう。そして、崑崙コロニーの繁栄は連綿と続くのだ。たとえコロニー外の宇宙が、どんなに戦火にまみれていても。
いや、むしろまみれているからこそ、崑崙コロニーは生き血を啜る蛭のように、肥太ることができる――。
そこまで考えたとき、俺は頬に嫌な感触を感じた。誰かが俺を窺っている――そんな鋭い視線の感触他ならない。俺は路地裏に目を向ける。すると、細い路地の暗がりに、ひとりの金髪の若い男が立っていた。
雑踏のなか、奴と俺の視線が絡み合う。
一瞬の緊張ののち、金髪の男は俺に歩み寄ってきた。奴の青い目からはわかりやすいほどの殺気が満ち満ちていて、俺の身体は無意識のうちに構えの姿勢を取る。この群衆のなかだ、下手な動きをするつもりはないだろうと思えど、奴から迸る殺気は俺のアンテナに引っかかるに充分だった。
やがて、俺と奴の肩が触れ合った。奴の肩に俺の黒髪がかかり、俺の吐息が奴の金髪に触れるほどの距離となった。そこまで来て奴はようやく立ち止まり、俺に向かって小さく囁く。
「嬢ちゃんの命が惜しければ、着いてきな」
「……柘榴か?」
のどかなコロニーの日常風景のなかで、俺たちだけが険しい会話を交わしている。俺にはなんだかその様子が、ちょっと可笑しい。
「なに笑ってやがる」
「なんでもないさ。それより何故、お前が柘榴の命を握っている?」
「俺は、お前と嬢ちゃんに面子を潰されたもんでね」
俺は息を飲んで、金髪の男の顔を見返す。そして、大きく息を吐きながら、問いなおす。
「なるほど……お前は、ミハイルか」
疑似太陽光が眩しい昼の雑踏のなかで、ミハイルがそうだ、とばかりに頷いた。




