3 「茘枝」のレシピを抜き出せ
崑崙コロニーは、木星軌道に位置する、人類社会に十基あるコロニーのひとつだ。
十年前に終結した地球からの独立戦争を経て自治を認められたコロニーであり、住民は地球の極東地区を出身とする者が多い。支配層の主体も華僑である。
その華僑の代表的五氏族といえば、次のとおりだ。
「珍・好・龍・薫・福」
崑崙コロニーはこれら五つの氏族が支配する各地区で成り立っている。もちろん頂点にはそれはを統べる統治委員会があるが、この委員会の構成員も、これらの五地区から均等に選出された人間である。
コロニー中心地にある俺の属する蓬莱百貨店といえば、このどの地区にも属さない。だがそれも独立した商業施設というわけではまったくなく、この百貨店は統治委員会機関直属である。
まあ、表向きはコロニーを代表する富豪層専門の百貨店なのだが、その実態は統治機構の一端だ。そして、蓬莱百貨店は外商部を通じて、それぞれの地区に外商部を通じてあらゆる融通を図っているのだった。
よって、外商部内で各地区の利害がぶつかるのはしょっちゅうだが、それは委員会にも容認されている。ただ、唯一のタブーは統治機関である委員会に反さないこと、これに尽きる。つまりは、統治委員会は蓬莱百貨店を通じて便宜を図ると同時に、各地区を監視しているわけでもある。この奇妙なバランスにより、崑崙コロニーは統治されている、そういうわけであった。
また、各地区にはそれぞれ「玉」と呼ばれるAIがあり、それぞれの地区ではその「玉」によりあらゆる方策が決められている。だがこの五つの玉も独立したシステムというわけではない。各玉は崑崙コロニー、つまりは統治委員会を御する「皇」という名の巨大AIに接続しており、各地区の玉は常に皇の監視下にある。
しかしながらそれは、各地区の玉から逆に皇に侵入することも可能だということでもあり、諸刃の剣のシステムともいえた。もちろん皇のセキュリティは鉄壁で、そう簡単に覆されることはないだろうが。
――話を俺たちのことに戻そう。
つまりは、俺たち蓬莱百貨店の外商部員は各地域の「御用聞き」であり「何でも屋」だ。そして同時に各地区の動向を見張り、百貨店上層部に報告する義務がある。もちろんその報告は店を通じて統治委員会に届き、崑崙コロニーの安定統治に役立つ、つまりはそんな構図なのだ。
だからマダム・ハオが俺を「委員会の犬」と呼んだのはまったくの事実でしかないわけである。
好地区を出れば、もう時刻は夜時間だった。偽りの太陽光が去り、いまは偽りの闇が満ちるコロニー内を宙車で走り、百貨店に戻る。そして真っ先に志明の部屋へ赴く。
「なるほど。マダム・ハオの私怨による報復か。ならばコロニーの統治にたいした影響は出まい。薫地区が再起不能に陥らない程度に、お望み通りにやってやれ」
「御意」
報告を聞いた志明が白い顎鬚をさすりながら俺に命じ、俺は短い返答を返す。だが、志明がその次に漏らした懸念には、俺も外商部員として案じていたことだった。
「しかしだ、この動きを知ったら、ミハイルがどう出るかだな」
ミハイルは薫担当の蓬莱百貨店外商部員だ。普通、同じ百貨店の外商部員ではあるが、配置は上層部の配慮により、部員同士が顔を合わせることはない。それはそうだ、今回の例のように、ここ蓬莱百貨店では部員同士の担当地区が敵対するのも日常茶飯事なのだ。
つまりは、常に部員同士の利害は対立し、ときには敵対関係にすら陥る。それが外商部員の人間関係なのだ。だとしたら、顔を合わせない方がなにかと都合がよい。俺もミハイルのことは名前を知っている程度の認識だ。
「それとなくミハイルの動きはこっちで張っておこう、何かあったらすぐ知らせる」
志明が腕組みをしながら言った。それは外商部のマネージャーとして想定内の内容でしかなく、俺は小さく頷く。
だけども、次の志明の繰り出した言葉に俺は絶句する。
「それとな、この件では、柘榴をお前の助手にする」
「は?」
「せっかく手中に帰ってきたんだ。その真意はまだ上層部が調査中だが、だとしたら、その間に持て余しておくのも勿体なかろう。だったら少しでも我々の役に立ってもらうのも得策かと思ってな」
俺はあまりのことにぽかーんと口を半開きにして志明の前に立ち尽くしてしまった。
さぞかしそのときの俺は、間抜けな顔をしていたんだと思う。
「本気ですか?」
「本気だとも。それに今後の訓練としても相応しい」
「……訓練?」
なんだなんだ、どこまで俺の知らないところで、彼女に関する話が進んでいるんだ? だって柘榴は……彼女は……あいつの……。
ところが俺のその逡巡はついに声にならなかった。志明が机の呼び鈴を優雅な所作で持ち上げ、そしてその場にそぐわぬ軽やかな音が鳴るとほぼ同時に、ドアが開いた。まるで待っていました、とばかりに。
いや、実際、待ち構えていたのだろう。なのに部屋に入ってきた彼女は、涼しい顔してこんなことを言いやがる。
「お呼びですか」
ボブカットの黒髪に黒のオーガンジードレスを纏った小さな身体。颯爽とした身のこなし。何もかもが昔の通りの柘榴と違っていた。
いや、もうあれから四年が経っている。となると彼女はもう十九歳のはずだ。そう思いながら俺は横に屹立した柘榴の横顔をまじまじと見つめる。すると目に飛び込んできたのは、真っ赤な唇だ。
そう、まるでさっき会ったマダム・ハオの唇のような鮮やかな赤。
たが、マダム・ハオより数段若く美しい、艶やかな、赤。
「……お前も化粧をする歳になったんだな……」
「あら、楊、再会の挨拶にしてはずいぶん安っぽいなあ。あなたのそういうところは変わらないのね」
舌ったらずのハスキーボイスだけは、昔のままだった。
俺たちは四年ぶりの会話を交わしたが、たしかに再会を祝するセリフとしては締まらないことこの上なかった。
とりあえず、俺と柘榴は向き合うと、握手を交わす。爪先を見ればこれまた名前顔負けに赤いマニキュアに彩られていて、本当にこいつは女と言われる歳になったのだな、と実感する。以前は際立つところのない「普通の女の子」だったのだが。
「で、さっそくだけれど。薫の玉にどんな操作を加えるの?」
柘榴が興味津々とばかりにクリクリした黒い瞳で俺を見上げてきた。それこそキャンディみたいな目だ。だか、以前よりかその眼差しには女の色気らしき気配が躍っていて、俺はなんだか落ち着かない気持ちになる。なので俺はやや口早に考えを述べた。
「薫の玉から、茘枝のレシピを抜き出して手を加える」
「毒でも混ぜるの?」
「いや、今回はそこまで悪どいことはしない」
俺の声に志明がそれでいい、とばかりに深く頷いた。そうだ、これはたいした依頼ではない。だったら、程よい混乱でことを済まさねば。
すると柘榴が赤い唇をにっと緩ませて俺に笑いかけてきた。
「なら、玉に介入するのは任せて。私、そういうの、得意」
……そうだったっけか? 柘榴は……この娘は、そういう子だっただろうか……?
柘榴、この四年間、お前はどこでなにをしていたんだ?




