1 蓬莱百貨店
今日も俺は、偽りの衣装を着て、偽りの舞台に立つ。
その日は店内のショーウィンドウに映る自分の姿に目を留めることができるほどに、客はまばらで、暇だった。それはそうだ。コロニーにひとつしかない百貨店とて、いつも混雑しているわけではない。限られた市民しか訪れることの許されない場所なのだから、なおさらだ。そんなことを考えながら天井に戯れに見上げれば、眼球を射るのはいつもと同じ白く眩いシャンデリアの輝きだ。
目を細めながらそれを見つめるたびに、俺は思う。
――目を見張るほどに豪奢だが、同時にわかりやすいほどに安っぽい煌めきだ。
そして、こうとも。
――まるで俺たちの仕事のようだ。
「あの、店員さん?」
特別感慨深くもない感想に浸っていると、背後から声がした。俺は素早く顔を引き締めると同時に緩ませて、後ろに立っていた中年の女性客に向き直った。
「なんでしょうか、お客さま」
「あ……やっぱり店員さんでよかったのよね? よかった、なんだかいかつい方だから、声を掛け間違えたかと思ったわ」
「とんでもございません。なにか御用に立てるようでしたら、なんとでもお申し付けください」
すると、女性客は顔に浮かべていた戸惑いをすう、と解き、俺にこう尋ねてきた。どうやら、俺の微笑みながらの丁寧な言葉は、女性客の緊張を和ませるのに成功したようだ。
よしよし。こうとなったらこっちのペースだ。あとは店員として完璧に振る舞えばそれでいい。
「還暦祝いに父に小型ドローンを贈りたいの。売り場はどちらかしら?」
「ドローンでしたら、複数の売り場にございます。ですがご尊父さま向けのがお入り用とのことでしたら、シニア用品売り場がよろしいでしょうね。五階です。三番エレベーターにお乗りになるのが便利かと。ご案内しまょう」
俺は黒いオーガンジーのスーツに包まれた腕を恭しく翳し、さりげなく女性客のリードを取った。この宇宙世紀には古めかしい服だが、俺の趣味ではない。この崑崙コロニーに燦然と君臨する蓬莱百貨店の威厳を示す制服だ。俺が歩き出すと、女性客はそわそわと落ち着かなさげに周りを見渡しながら、俺の後ろをついてきた。そして、夢見るようなとろんとした眼差しのまま呟く。
「さすが蓬莱百貨店ね。天井はコロニーの外壁を思わせる位高くて、でも重厚感に溢れた内装。シャンデリアの周りを囲む梁は桃花心木かしら?」
「お目が高うございますね、お客さま、その通りです。地球から取り寄せた天然の桃花心木でございますよ」
「まあ……素晴らしい。それに梁の隙間に施された孔雀と天女の金細工もゴージャスだわ。売られている品だけでなく、何もかもがきらきらしてる。私、ここに買い物に来たのは初めてなの。周りのお客さまの服装もすごいし、なんだか気後れしちゃう」
たしかに女性客はこのコロニーにおいては一般庶民といういでたちだった。自ら言うまでもなくたまの特別な買い物でこの店にやってきたことは一目瞭然だ。だがもちろん俺はそんなことは口にしない。それに俺たちはちょうどよく三番エレベーター前に到着していた。
俺が組紐を引いて鈴を鳴らせば、七宝焼のモザイク模様に彩られたエレベータの扉はすぐに開き、なかから赤いチャイナドレスを着た女が出てくる。
「こちらのお客さまを五階まで」
「かしこまりました」
女性客はエレベータのなかに吸い込まれていく。俺は深々と一礼する。
再び鈴を鳴らした扉がすっかり閉まるまでの間、ずっと、姿勢を変えずに。微動すらせず。
塵ひとつなく磨かれた大理石の床を見つめていたその間、俺が思っていたこととすれば、こんなことだ。
――あの电梯娘は美人だが、目つきが悪いな。口調は朗らかだったが、俺の顔を見る視線はあからさまな侮蔑に満ちていた。
そして、こうとも。
――わかりやすいことだな。仕方ない。なぜなら俺は、外商部員なんだから。
そのとき、胸のネームプレート、そして耳のイヤホンが震えた。胸元に目をやれば点滅しているのは紫の小さなランプで、それで俺は発信元を瞬時に識別する。同時に耳元から響いてきたのは、俺のマネージャーである志明の嗄れ声だ。
「仕事だ。マダム・ハオの直々の声掛けだそうだ。すぐ俺の部屋に来い」
俺が所属している外商部は百貨店の最上階にある。
いわばコロニーの表層にも近く、窓からはコロニーの内壁が疑似太陽光を反射して銀色に光っているのが見える。その光景は、大きな窓を有した志明の執務室からとて同様だ。
「お呼びでしょうか」
「楊、なんだ、せっかくの仕事だというのにそのしかめっ面は。ただでさえ百貨店店員としてはそぐわない顔つきをしているというのに」
贋の陽光が満ちる部屋に入ると、途端に嗄れ声の小言が飛んできて、俺は黒く長い髪をかきあげながら肩をすくませる。志明は店員から叩き上げの外商部マネージャーだから、部下の接客態度にはとても厳しい。それをわかっていても、俺はついつい抗弁してしまう。よくない癖だという自覚はあるのだが。
「存じていますとも。ですがこればっかりは生まれつきです。どうにもなりません」
すると白い頬髭を撫で付けながら志明はわざとらしく大きくため息をつく。そして椅子の上で長い足を組み直すもんだから、ぴかぴかに磨かれた奴の黒い革靴が視界を掠める。
俺は志明の靴を鑑賞することでなんとかこの場をやり過ごすことに決めた。
「齢四十を越して、生まれつきも何もなかろう。ほら、その口調もそうだ。無愛想極まりない。接客業としてはあるまじき物言いだな。だいたい口は災いの元だっていうのは、お前は身をもって知っているだろうに」
「……」
志明がまた足を組み替え、俺の視界の中で黒光りする靴が躍った。そんなことをしながら、これ以上余計なことは言うまいと俺は無言を貫く。しかしそれでも志明の小言は終わらなかった。
「それにお前、その無精髭に長い髪はなんとかならんのかね。相変わらず、我が蓬莱百貨店員としてどうにも相応しくない出立ちだな」
「髪を伸ばしたままなのは、右頬の傷跡が目立つからですよ。俺流のお客さまへの気遣いです」
いや、小言じゃないな、いまや嫌味だ。俺は結局、眉を顰めながら言い訳を吐いた。志明の言葉が事実だとしても、こちらとしては苛つきが募る。
だが俺が暴発する前に、志明はこう嫌味を締め括った。
「まあ……お前の真の仕事の外商部員としては有用な外見だな。少なくとも舐められることはない」
「お褒めいただき恐れ入ります」
「褒めてはないよ。現実を口にしただけだ」
深々と一礼して礼を述べたというのに、志明の口調のそっけなさときたら。
だけど彼は俺のマネージャーだから抗うこともできない。俺にできることといえば、再び奴の汚れひとつない革靴に目を向けてやり過ごすことくらいだ。まあ、外商部員なら誰もがこの蓬莱百貨店では喰らっているであろう屈辱だが。
そう。
外商部員はマネージャーには決して逆らえない。
なぜなら、マネージャーは蓬莱百貨店そのものだから。
そして、なにより、蓬莱百貨店はこの崑崙コロニーそのものなのだから。
「わかったら、すぐにマダム・ハオのところに行け。ああ、そうだ。帰社したらすぐに彼女の用件がなにか報告することも忘れぬように」
威厳ある志明の声に俺はまた深々とした礼で応える。俺の長い黒髪もばさりと垂れた。ところどころに白いものが増えてきたな、など俺は他人事のように考える。それから俺はゆっくり姿勢を正すと、仕事に取り掛かるべく志明の部屋から退出する。
いや、しようとしたが、志明が思い出したようにこんなことを言い出したものだから、俺の足は止まる。
「ああそうだ。お前にひとつ知らせておきたいことがある」
「なんですか」
「柘榴が帰ってきたよ」
その瞬間、俺の心の臓は、変な方向に捩れた。