溺れる
松尾桃子と一緒にいてはいけない部屋。
そんな噂話がある職員の死より一気に広まった。都市伝説っていうものはこんな感じで伝播していくものなのだろうか?
溜息をつくとともに頭痛が。重傷かな?
「あのぉ……松尾さん……もう休憩時間が終わっていますよ……」
「ん?」
休憩室のデスクの上に顔を伏せ寝ていた。デスクの上には電話機と数え切れない程の書類。そして……えっと……私こと松尾桃子が松尾桃子かと松尾桃子に独り呟く――
障碍者施設「やまびこ」は長崎県の雲仙市にある老舗の支援施設。
医療法人「拓真会」の運営する施設だが、常時で満床の状態を維持できる程この施設と法人の信頼は厚い。
「調子はどうだ? 今月も大きな問題は起きてないか?」
拓真会理事長の一ノ瀬拓真が施設の視察に訪れていた。
「ええ。特に何もないですよ。お陰様で今日もまた平和に過ごしております」
「そうか。それは何より。スタッフのみんなも元気にしている?」
「パート従業員で何とか回していますけど……まぁご心配は無用です」
疲れた。
「はぁ」
今日も帰るのが遅くなった。こうなっては余暇のひとときも楽しめない。
冷蔵庫から好みのアルコールをとりだし飲む。
ソファーへダイブするように飛びこみ寛ぐ。私は部屋をピンク色に染める天井の電灯を仰ぎ見る。
この仕事を始めたくて始めた訳じゃない。なんとなくだった。
そもそもは看護師を目指していた。でも私が下級生を虐めていると誰かが噂話を広め私はその進路を断たれる事になった。その結果、何となく福祉方面の道を志すことに。いや、志すというのも変な話。
だけど気がつけば障害者支援施設の施設長に。
私がこの役につく手前で施設運営者が不正なお金の使い方をしていた事が発覚。関わった全職員らが懲戒免職となる。この事実はマスコミなんかが嗅ぎつくまでに内々で隠した。
まったくもっと上手くやればいいものを。
私は施設責任者となり様々な改革を施す。そこでいい獲物を得た。
「何か御用ですか?」
「ええ。まぁ座りなさいな」
「はい! 座らせて頂きます!」
中村千里、彼女はその時に正職員として入社した新人職員だった。
「どう? 馴染めそう?」
「はい! こういう仕事は初めてなのですが、利用者様とうまくお話ができるとすごく嬉しくって!」
「ふふふ、良かった。実はこないだ、貴女のことを知ってね?」
「えっ!?」
「あら? 知らないほうが良かったのか」
「いいえ……でも……それは……」
「心配しないで。私も理不尽な噂をばら撒かれて嫌な思いをしてきた人間だから凄く分かるわ。だけど貴女の経歴は嘘をつけない」
「…………解雇されるのですか?」
「まさか。でもね、面接の時にそれは正直に明かすものよ? 分かっているわね?」
「…………ごめんなさい」
「だけど内緒にしてあげてもいいわよ。私とうまくパートナーシップを結ぶことができれば、これからのキャリアも約束してあげる。出世させてあげるわよぉ~。どう? 乗らないならば、お仕事を辞めて貰ってもいいけども?」
「それはそんな……」
「現場からは『とてもよく頑張るコ』だって聞いているわ。辞めるなんて勿体ないわよ? こんなにも頑張っているのに?」
「あは……あはは……」
千里は高校生時代に非行に走り、罪を犯して少年院に送られた。退所してから福祉支援の勉強を少々して入職に至ったが、面接で嘘をつく真似をした。本来はこの発覚があった時点で彼女は失職をするのだが、私はこれをうまく扱うことにした。
まずは職員の弱みを握ることだ。その為には体を張らせることだって命じた。
多くの弱みを握った彼女はどんどん強くなった。
最初は大した報酬までやらなかったが、こうまでやってくれると多少はチップも弾んでやろう。手筈通りにうまく私の計画も進んだが、思わぬ出来事が生じた。
「松尾さん、岩永君が虐待を働いているようで……」
施設長デスクに千里がやってきた。彼女は岩永というベテラン職員が利用者に対し暴行をおこなっている動画をスマホからみせてくれた。
「酷いわね……でも、コレどうやって撮ったの?」
「本人が私のLINEに送ってきたのです」
「え?」
「また『やらせろ』と。さもなければ、もっとこんなことしてやると」
「付き合ってあげればいいじゃない」
「何でそんなに軽々しく言えるの?」
「そりゃあ、それなりの大金は贈っているわよ? 普通の福祉施設従業員じゃあ貰えない額よ? 何か不満があるっていうの?」
「私は売春婦じゃないっ!! 大金を貰うからってそんな仕事までするかっ!!!」
「待ちなさ――」
千里はスマホを床に激しく投げつけて出ていった――
「今日は疲れているようだね」
私は気が気じゃあなかったけど、行きつけの市内ホストクラブで指名しつづけている百夜くんを隣に座らせた。
「部下が思うように動いてくれなくてね。どれだけ世話してやっているのかっていうのをまるでわかっちゃないのよ?」
「桃子さんを困らせる後輩だなんて、ホントに迷惑だね。僕は桃子さんの味方だよ?」
彼は口も上手だが酒をグラスに注ぐのも上手。
「だぁ! もう! またうまいことを言って!」
私は強引に彼のネクタイを引っ張って強引に彼と口づけを交わす。
こんなにも都合よく私の為に男でいてくれる彼を扱えるっていうこのひとときこそ何よりも快感に他ならなかった。
スマホの振動が腰元から伝わる。
んだよ。せっかくいいところだって言うのに。
法人の職員からの電話。
千里の訃報だった。
彼女はその夜、自宅アパートで首吊り自殺をしたらしい。遺書のようなものが遺体の傍にあったが、マジックでグチャグチャに上書きをされていたとのこと。
とんでもない衝撃が走った。しかし、落ち着いて対応せねばなるまい。
私は翌日、渦中にあるだろう岩永を呼びだすことにした。
「すいません。失礼します」
コイツも千里と同類だな。やむにやめない事情があってこんな仕事をしているのだろう。
「中村さんと恋仲にあったのだって? 残念ね」
「いえ……そういう仲では……」
こっちはコイツに妻子がいることを把握している。駒にするのは容易い。
「中村さんと何かあったのかしら?」
「それは……言えないです。あの……コレを……」
そういうと彼は辞表を私へ取り出した。
私はスグに受け取って、スグに破った。
「このタイミングでこれは受け取れないわね。もう数カ月待って貰えないかしら?」
「いや……無理ですよ……とてもまともな気持ちで働けそうには……」
「働けって言っているんだよぉ! つべこべ言うなぁ!! おまえが中村さんを殺したんだぞぉ!!!」
「ごめんなさい……ごめ……ごめんな……さい」
小柄でも厳つい雰囲気を放つその男は泣きべそを垂らしだす。
ただ、退職を申し出る職員は多発。岩永と同様の手口でその決断を潰す事というのも容易でない。
「すいません。百夜くんは辞めちゃって」
「えぇ!?」
「ごめんなさいね。あの、ちがうコはどうです? このレオ君なんかがオネェさんに合うと思うけどなぁ……なんて」
「気分が悪い!! もう2度と来ない!!」
私は行きつけのホストクラブにも行けなくなった。嫌な汗を肌に感じる。家でいくら酒を浴びても何も収まらなかった。
『松尾君、どういうことだ? 中村さんが君のパワハラで自殺したって噂がたっているぞ!? 週刊誌の記者が私の病院にまでやってきたぞ!?』
「すいません……ですが、そんな事実はないです。どうかお気になさらず」
『お気になさらずだと!? いまはSNSで何でも広がるのだぞ!?』
「あの……現場が忙しくて。またお時間がある時にお話を伺いますから」
『おい!!』
私は闇雲に電話を切った。すぐに電話が掛かる。それは一ノ瀬じゃなかった。
『桃子さんですか?』
「その声は……百夜くん!?」
『貴女で良かった。貴女と話がしたかったからな……』
「話がしたいだなんて嬉しいけど……何で私の職場の電話番号を?」
『嬉しい? そこは僕の妹が働いていた職場だよ。妹は10代の時から悪さばかりしていて、少年院に入ってやっと反省した。彼女は満足に生きることのできない障害者の方々の為に働けることが何よりの歓びだって僕に……僕に話してくれて。そんな妹があんなワイドショーのネタになるぐらい酷い仕打ちを受けて……』
突然に知らせた衝撃の事実。私は言葉を失った。
『お前のことを一生呪ってやるからな』
電話が切れる。
私は何をしてきたのだろうか。急に頭がポカンと空っぽになる。
しかし、暇がないのは事実。今この「やまびこ」には私と岩永を入れて5名ほどの職員しかいない。18名の障害者を抱えるに抱えきれない人材不足。いや、人員不足だ。
やけになった私は机に忍ばせたアルコールを口にして休憩室をでようとした。
鍵が掛かっている。ドアが開けられない。「ちょっと! 鍵がかかっているわよ!? 誰か! 開けて!! 誰か!!!」とドアを何度も強く叩く。
ドアノブをガチャガチャ回すとドアノブが壊れて床に落ちた。
異常事態だと知った私は窓を開けようとした。
しかし、窓のロックそのものが外されて、何故かカッチリと固定されている壁のように動かない。
閉じ込められた!?
私はすぐに電話やスマホで通報しようとしたが、突然の故障。
「何よ!? 何なの!?」
続けざまに天井にあるスプリンクラーと洗面台が大きな物音とともに壊れる。そこから勢いよく放水しだすのだが、なんとも奇妙で恐ろしい異常事態はまだまだ止まらない。今度は冷蔵庫が勢いよく開くや無尽蔵に大量の濁水がそこからこの部屋中へ蔓延する。あっという間に私の腰が浸かるように。それから水槽と化すのも時間の問題だった――
「ダズゲッ! ゴボッ!! ゴボボボッ!!!」
溺れる。
私が最後にみたのは、この水槽で狂い死んでゆく私をみて嗤う私――
∀・)夏のホラー2025&しいなここみ様主催「この部屋で〇〇してはいけない企画」参加作品になります。いやぁ~これが僕のホラーだなぁと書き応えはありましたが如何でしょう?それから本作は芸能界になろうシリーズの作品にもなります。蒼月しずくさんが主演でしたね。
∀・)書きたいのは最後の場面でしたが、そこに至るまでのドラマも悍ましくしたかった。
∀・)何のためらいもなく襲って来る水っていうのが恐いなと思い。
∀・)ホラー作品として楽しんで貰えたら何よりです☆☆☆彡