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六月の紫陽花は雨に降られ美しく咲く  作者: 最下真人
【一章】 卯の花腐し
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八話 ハッピーエンド

 外は雨が止み、夜の帳を下ろしていた。

 雲がかかっているため星は眠っている。

 だが雲間から月の光が顔を覗かせ、陰鬱な暗闇をわずかに照らしていた。

 私は車の後部座席から夜を見上げている。

 心地よく揺れる車内では、真由美さんと直樹くんが明日の朝食について話しており、ごはんかパンかで争っている。

 BGM程度に二人のやりとりを聞きながら、首にかけた勾玉をTシャツの中から取り出す。

 直樹くんが無くさないようにと紐を通してくた。

 淡い紫は、ときおり差し込む月の明かりで美しく輝く。

 魂と繋がっていると言われたが、特別何かを感じるわけではない。

 でも不思議と引き寄せられる。

 まるで自分の命を見ているようで。


「そこを右」


 住宅街に入り、坂を下った突き当たりを右折すると、二階建ての白い家が見えた。

 私の家。

 いや、逃げる場所のない空気の薄い監獄。

 心臓が悲鳴を上げるように鼓動が早くなる。

 帰りたくはないが、ここ以外に私の戻れる場所はない。

 雲が覆った灰色の世界では、死が希望となり、太陽の代わりに輝きを放つ。

 その光のせいか、微睡んでいた希死念慮が再び起き上がり、恋人繋ぎで私の手を握ってきた。


 家の前に着くと、二人の視線が私に向く。


「ごめんね、遅くまで」


 真由美さんたちから説明を受けた後、私は眠ってしまった。

 急に疲労感に襲われ、知らない間に目を閉じていた。

 起きた時に聞いたのだが、黒の魂に憑かれると精気が吸い取られるらしい。

 今もまだ倦怠感が残っている。


「ねえ、連絡先教えてよ」


 真由美さんがスマホを掲げた。


「家にあるから、取ってくる」


 車から降り、音を立てずに門扉を通る。

 先ほどまで雨が降っていたため、玄関アプローチには少しばかり水が溜まっていた。

 踵から下ろし、徐々に足裏の設置面を増やしていく。

 静けさを壊さないようにしながら空気のように。

 ポケットから鍵を取り出し後、ゆっくりと鍵穴に差し込み、慎重に回してドア開けた。

 リビングの扉は閉まっているが、すりガラスから明かりが漏れているため、そこに人がいるのが分かる。

 靴を脱ぎ、すり足で階段まで移動する。また出て行くので、鍵は開けたままにした。


「くしゅん」


 階段を上がろうとした時、くしゃみが出た。

 ビルの屋上で雨に晒されたからか、それとも死神のいたずらなのか、どっちか分からないがタイミングが悪すぎる。

 咄嗟に口を押さえるが、もう遅かった。


「おい、つまみ買うのに何時間かかってるんだよ。本当に無能だな、お前は」


 リビングから父が出てきて、“お帰り”の代わりに罵声を浴びせられた。

 心が凍りつくような冷たい温度で。


「ごめん……」


 父は私の手元を見た。

 見下げた瞳が温度を灯し、沸騰していくのが分かる。


「買ってもねえのか?」


 ポケットからシワだらけの千円札を取り出し、父に返す。


「色々あって、買えなかった。ごめ……」


 言い切る前に、父が平手で頬を叩いてきた。

 熱く痺れた感覚が、じわじわと肌の表面へと上がってくる。

 言葉が出なかった。今まで罵倒されたことはたくさんあったが、手を出されたのは初めてだ。

 体が硬直して動かない。

 胸の辺りに、今までとは違う何かが蠢く。


「来い、クソ女」


 父は私の髪の毛を掴み、そのままリビングへと向かっていく。


ーーやめて


 そう言いたかったが、声がでない。

 髪の毛が引きちぎられるような、強い力で引っ張られれている。


 リビングに入ると母がダイニングでくつろいでいたが、この光景に目を丸くし、唖然としている。


「ちょっとあなた、何やってるの」


「馬鹿は力で躾けないと理解できないらしい」


 そう言った後、父はダイニングテーブルに私の顔を押し付けた。

 抵抗して顔を上げようとするが、びくともしない。


「てめえみたいな出来損ないは、早く死んじまえ」


 怒声を上げながら、父はさらに力を強めてテーブルに押し付ける。


「あなた、近所に聞こえる」


「なんでお前みたいな奴が産まれてきたんだよ。なあ、早く死んでくれよ」


 母の言葉を無視し、父は暴言を降らせる。


「餌だけ食って、何も生み出さない豚以下のクソが。こんな不良品を養ってるこっちの身になってみろ。何も考えずに生きてるから、毎日楽しいだろう? いいよな、育ててもらってるだけの家畜は。寝てるだけでいいもんな」


「あなた、声を小くして。聞こえちゃうから」


 母は止めようとはしなかった。

 娘よりも体裁の方が大事らしい。


「殺してよ……そうしてくれたら楽になれるから」


 どんな道を進もうと、私が望むのは死だ。

 それさえあれば、もう他になにもいらない。


「そうか、分かった」


 父はそう言うと、私を壁際に投げ飛ばした。

 サイドボードに腰を打ち付け、上に乗っていた犬の置き物が床に落ちる。

 視線を父に向けると、テーブルに置いてあったマグカップを手に取っていた。

 冷酷な目で私を見ており、殺気すら感じ取れる。

 声も、心臓も、感情も支配されているようだった。

 すべてが色を失ったように真っ白になる。


――殺される


 そう思った時、父はマグカップを投げつけてきた。

 頭を腕で覆い、咄嗟に体を竦める。

 すると、パリーンという音が部屋に響いた。

 後ろにある小窓が割れ、マグカップより一回り大きい穴を開けていた。


「もうやめて、近所の人が警察呼んじゃう」


 母が必死に制止しているが、父の形相は変わらない。

 殺気を込めながら、こちらへと歩いてくる。


 体が動かなかった。

 恐怖が鎖のように纏わりつき全身を拘束する。

 足が痙攣するように震え、口元からは言葉を失った息だけが漏れていた。


 父は私の前に来ると、襟を掴んで床へと押し倒した。

 そして私の首を絞め、汚れた言葉で息を詰まらせる。


「お前みたいな人間は生きてる価値なんてねえんだよ」


 意識が遠のいていく。


 母が何か声を上げてるが、ぼやけて聞き取れない。


 でもやっと死ねる。


 こんな形ではあるが、この世界から存在を消せる。


 現世という地獄から抜け出せるなら、私はゴミのような命を喜んで差し出す。


 もう産まれたくない。


 楽にさせてほしい。


 生きていても、死んでるようなものだから……

 

 霞んだ父の顔を瞳に映しながら、私の頭には死の二文字がよぎった。

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