四話 花の在処【北川真由美】
仏壇には二十代前半の男性の写真が飾ってあった。満面の笑みを浮かべ、ピースサインをしている。
北川真由美と遠藤直樹は線香をあげた後、両の手を合わせ目を瞑った。
「二年くらい会ってなかったんです。まさか自殺するなんて……」
真由美たちがダイニングに着いた後、亡くなった男性の母がそう言った。
彼は二ヶ月前、樹海で首を縊った。有名な自殺の名所だ。
遺書には人間関係に悩んだ末、命を絶ったと書かれていたらしい。
「元気で優しい子でした。友達にも慕われていて、家族想いだった。それなのに……」
男性の母は歯を食いしばった。涙を堪えようとしているのが目に見えて分かる。
「心中お察しします」
直樹は寄り添うように言葉をかける。
「息子さんの左手の小指に、“リボン結び”の印があったとお聞きしたんですが」
真由美が尋ねると、男性の母は目を拭って「ええ」と答えた。
「遺体を見たときに初めて知ったんです。タトゥーを入れたのかと思って驚きました。そんなの入れるような子ではないので。でも……」
「でも?」
言葉が澱み、直樹が合いの手を入れる。
「火葬の時には消えていたんです。その印が」
シールだったのかしら、と男性の母は首を傾げている。
「他に変わったところはありませんでしたか?」
直樹の問いに一考した後、思い出したように女性は口を開いた。
「息子には小学校の時から仲の良いお友達がいるんです。その子から聞いたんですが、“人が死ぬ夢“をよく見るようになったと言っていたらしんです」
「息子さんが?」
「はい。それも全部自殺だったらしくて……もしかしたらその夢に引っ張られたのかも」
真由美と直樹は顔を見合わせる。
「夢を見るようになったのが、いつ頃からか分かりますか?」
「一年前だと聞きました。友達の子が言うには、その時から自殺を考えていたんじゃないかって……」
真由美は仏壇に飾ってある写真に目を向けると、「不条理だよね、この世界は」と、早すぎる死を弔いながら囁いた。
*
フロントガラスに付いた雨粒をワイパーが弾く。
目の前の景色が鮮明に映るが、降り続く雨によって、すぐに視界が曇る。拭っても止まない涙のように。
「やっぱり生梦葵でしたね」
「うん」
運転席の直樹が言うと、助手席に座る真由美は、ぼんやりと外を眺めながら答えた。
「早く見つけないといけないのに、ほとんど共通点がないですよね。性別も年齢もバラバラだし、出身地も違う。唯一同じなのは……」
「死にたいと思っていること」
真由美は語尾を縫い合わせるように言葉を繋げた。
「なんで自死を考えている人間に継承するんだろう」
「分からない。でも意味があるんだと思う。死を纏った人間を選ぶ理由が」
「真由美さんは生梦葵に会ったことあります?」
「一度だけね。でもすぐに会えなくなった」
「なんでですか?」
「命を終わらせたから。自らの手で」
真由美は少し間を置いた後、零すように言った。
聞いたことを申し訳ないと思ったのか、直樹は噤むように口元を固く閉じる。
「京介や司と出会ってすぐだったから、十年くらい前かな」
「そうだったんですね……」
「生梦葵に選ばれた人間はいつ命を絶つか分からない。それほど、死と近い位置にいる。だから次会った時は救ってみせる。絶対に」
直樹の表情に陰りが見えたため、真由美は語尾のトーンを上げた。
「そうですね。早く見つけましょう。その人のためにも」
直樹はかかっていた陰りを払拭するように、表情を引き締める。
「昼飯は焼肉行くか」
「ダイエットするって言ってませんでした?」
「明日からやってみせる。絶対に」
「そのトーンで言わないでください。良いセリフが台無しです」
*
直樹がちゃぶ台に湯呑みを置くと、畳で寝転んでいた真由美は体を起こした。セーターの袖を指先まで上げ、湯気の立った湯呑みを両手で持つ。
フーっと、三回ほど息を吹きかけた後、真由美はお茶を口に運んだ。
「テレビ付けていいですか?」
「うん」
直樹がテレビを付けるとドラマが流れた。時間帯的に再放送なのだろう。学園モノのようで、若い俳優たちがメインとなっている。
真由美はあまりテレビを見ていないので、ほとんど知らない人だった。
「この子、最近よく出てますよね」
直樹が指したのは、二十代前半と見られる女優だった。
シャープな輪郭にくっきりとした大きな目。
筋の通った鼻筋の下には、ふっくらとした紅い唇がバランスよく配置されている。
胸元まで伸びた黒髪は、芸能人を象徴とするような艶やかさがあった。
彼女だけ明らかに周りとは違う。凛とした雰囲気が美しい一輪のようだった。
「綺麗な子だね」
「確か、神原優花って名前だったかな」
「へー、若い頃の私に似てる」
直樹が怪訝な目で真由美を見る。
「その目はなんだ。目ん玉引っこ抜いて庭に埋めるぞ」
「庭に埋める必要はないでしょ」
「来年の今頃には、立派な目ん玉が咲くから」
「気持ち悪いのでやめてください」
再びテレビに視線を戻すと、神原優花が笑顔を咲かせて演技をしていた。
真由美はその笑顔にどこか寂しさを覚える。
今にも枯れてしまいそうな儚い花のようで。
「真由美さん、明日は魂の回収に行きますからね。朝に出るので、ちゃんと起きてください」
「えー、昼からじゃダメ?」
「この間、飛び降りがあったビル、今年で二回目らしいです。魂が黒に変わってる可能性があるので、できるだけ早く回収しましょう」
「それなら、しゃあないか」