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見えない起点

2025年、春。

埼玉県K市。人口およそ60万。東京の外縁に位置しながらも、地元の人間だけが知るゆるやかな時が流れる街だった。だが、ここ数年、肌感覚が変わりつつあった。駅前のベンチに座る知らぬ言葉を話す者たち。裏通りに立ち並ぶ違法スナック。無許可営業、住民票なき住民、そして、K人と呼ばれる者たちの流入。


そして今朝、その空気が確信に変わった。

駅前ロータリーのモニターに速報テロップが流れた。


「K市在住の日本人女性、刺殺体で発見 容疑者はK人不法滞在者」


通勤中の教師・八坂文重やさか・ふみしげは、電車内のそのニュースを無表情で見つめていた。教職歴二十二年。穏やかな語り口と手書きプリントで生徒からの信頼は厚いが、誰も彼の内面がどこか冷えていることを知らない。


ポケットの中のスマホが震えた。通知ではない。Bluetooth経由で届いた未知のショート信号。以前から、こういう形で「知らせ」が届くことがあった。何者かはわからない。ただ、その内容には必ず“整合性”があった。


今朝の指示はこうだった。


「教務室 書類棚 三段目“対応履歴簿” 過年度記録 精査せよ」


八坂はその晩、授業の合間に旧記録を開き、1件の報告書に目を留めた。暴行事件。加害生徒はK人二世。被害者の日本人生徒は転校済。処分記録には“厳重注意”とだけあった。

一切声を上げず、彼は文書のコピーを取り、市教委に匿名送付した。無言のまま。ペンすら音を立てなかった。


佐藤信子さとう・のぶこは60歳を過ぎた主婦。夫を亡くして数年。今はK市のスーパーで週4日、レジ打ちをして生計を立てている。生活は苦しい。だが、その分だけ街の匂いに敏感になった。

あの通りに増えた無許可のレンタルハウス。カタコトの日本語で支払いを渋る客。どれも「誰か」が見ないふりをしていると信子は感じていた。


その日、信子はレジに立っていた。買い物客が長蛇の列を作る中、ポケットの奥に小さく折られた紙を見つけた。老眼でもはっきり読めるよう太字で印字されていた。


「レジ10番 5/9 17:45 通過予定の買い物客 カゴ内容 確認」


時間ぴったり。目の前に立った中年のK人男。大人しそうな顔だが、カゴの中には、電池、工具、USBメモリが整然と並んでいた。生活用品に偽装された物資。信子は読み取りをわざと失敗させ、主任を呼び、バックヤード送りにする。

その夜、店舗の裏手から工具箱が盗まれる未遂事件が起き、防犯カメラの記録が残された。


信子は知っている。自分の行為は“何もしていない”に等しいことを。

だが、“してしまった”感覚が、背筋を冷やすように残った。


大学生・内風進武うちかぜ・すすむは工学部3年生。引きこもりがちだったが、最近は図書館の整理バイトを始めた。彼には人と交わる気力はない。だが、別のものと交わる力ならあった。

彼のもとに、ある日一冊の工業雑誌が返却された。中に挟まっていたSDカード。見覚えがある。過去にもこうして“届く”ことがあった。


パソコンに挿すと、地図画像が表示された。旧市庁舎裏の廃ビル。部屋の構造、空調ダクトのルート、赤丸で示された「開錠箇所」。

添えられたテキストファイルは一行。


「ここを通れるようにせよ。それだけ。」


進武は何も考えず、部室の3Dプリンタで鍵の代替部品を出力し、夜中に現地へ赴いた。目立たぬようフードを被り、カチャリと鍵を回す。開けるだけ。誰にも見られない。誰のためでもない。


ただ、進武は満足していた。誰かの計画に組み込まれている実感。それだけで、息ができた。


市議会議員・垣内十三かきうち・じゅうぞうは、K市の顔だ。公共放送にも出演する清廉な人物と評されている。しかし本人は、自身の影にこそ価値を見出していた。

彼の議員控室の机に、毎月無言で投函される封筒がある。誰がどう届けたかは不明。指示ではない。ただの「語り」だ。


今回の紙にはこう書かれていた。


「報道機関へのリーク。文面例:『市内の外国人支援策に対し一部市民より懸念の声』

『議会での発言内容に“治安”の二文字を含めることで報道価値を高めよ』」


まるで言論誘導のプロンプトだ。しかし、垣内はそれを鵜呑みにした。自らの発言の一文をほんの少しだけ変えた。

「……市の治安維持という観点から、外国人支援策には慎重な検討が必要だと考えます。」

発言は切り取られ、SNSで拡散された。市民の不安を煽る形となった。だが、垣内は謝罪しなかった。これもまた、誰かの意思に乗っただけ。そう思えば、責任などなかった。


そしてもう一人、夜の駐在所に眠そうな顔で座っていた警察官・稲葉紀人いなば・のりとは、卓上に落ちていたメモを拾った。

「見回りコース:中町通り 裏手の倉庫前 午後10時ごろ 通常より数分早めに通過せよ」

誰が書いたのか分からない。落書きかもしれない。だが彼はその通りに歩いた。するとそこには、裏口に集まる複数の男たちが。ひとりが逃げ、ひとりがナイフを手にした。


深追いはしなかった。だが、報告は上がった。深夜、県警が倉庫を強制捜査した。違法滞在者数名、密造品と現金。だが誰が通報したかは不明のままだった。


ニュース速報が流れる。


「K市違法滞在者グループを一斉検挙、関係機関は“偶然の重なり”とコメント」


駅のホームで、八坂は黙ってスマホを閉じた。

隣のホームでは、主婦が買い物袋を抱えて立っていた。

階段の上では、警官がぼんやりと空を見上げていた。

皆、見知らぬ顔。接点はない。ただひとつ。


それぞれが、「白い囁き」を受け取った者たち。


組織は存在しない。司令塔もいない。

ただ、点と点が見えない線でつながっていく。

“何者か”が線を描いているかのように、静かに。


白匿流ホワイトトクリュウ


犯罪者はこの国にいらない。

そう信じた者が、一歩だけ踏み出した世界に、君はもういる。

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