第二話、奪う女と奪われる女
この作品は以前、投稿していた物です。
「ゆき、ゆきじゃない?」
ビル街で呼び止められたゆきは振り返ろうか、それとも気付かないふりをして立ち去ろうか、考えた。
声の主が誰であるかは分かっていた。
そしてその人物はゆきに考える時間を与えてはくれなかった。
足早に近づいて来て肩を軽く叩かれてはもう、気付かないふりは出来ない。
「真理」
振り返ると高校を卒業して以来八年ぶりに会う幼馴染の真理がいた。
圧倒的なその存在感に委縮したゆきの笑顔は引きつれた。
中学二年の春休みに真理はマンションの隣の部屋に引っ越して来た。
「ゆきちゃん、真理の事、お願いね」
隣のおばさんに言われゆきは「はい」とはにかみながらうなずいた。
地元の中学に転入することになっている真理の為に案内役を頼まれたのだ。
朝、ゆきは案内役だった。
でも帰りには微妙に立場が違っていた。真理は昔からここに住んでいたかの様に馴染んで、もう案内役など必要なくなっていた。
そして十日も経つ頃には真理はクラスでリーダー的な存在となり、その『うしろ』がゆきの定められた立ち位置となっていた。
真理はすごい美人だった。
だがそれだけじゃない、とにかく目立つ存在なのだった。
それは自信からくるものだろう。
そしてその自信はオーラの様に真理を輝かせ立ち位置『うしろ』のゆきの存在を隠してしまうのだ。
真理の周りには常に男子がいて彼女は次々とカレシをとっかえひっかえした。
遅ればせながらゆきにもカレシが出来た。
だがひと月後、ゆきのカレシは真理と手をつないで歩いていた。
次のカレシもその次も。
ゆきのカレシは何故か皆、真理のカレシになった。
真理は人のものを奪う事が好きな少女だった。
ゆきが真理の怖さに気付き逃れようとしても彼女はつきまといゆきを放そうとしない。
悪夢のような日々は真理が東京の大学に合格して引っ越しをするまでずっと続いた。
その真理が今、目の前にいた。
そしてゆきには婚約者がいるのだった。
「んで、トメ子ばあちゃん。盗まれたのは毛糸のパンツなんだよね?」
白石刑事は大きい声で訊いた。
「んだ。だいだい色のやつだ。おらの持っている中で一番分厚いパンツだ。困ったあれが無いと葬式にいけねえ」
横崎は山裾に広がる町である。元はこじんまりとした村だったが開発され今は新興住宅地として栄えている。
トメ子ばあさんの住んでいるのは昔、横崎村だった横崎西地区である。
横崎西地区は年寄りが多く年がら年中、法事や葬式で寺に行かなければならない。寺の境内は冷えるから毛糸のパンツは必需品である。でないと風邪でもひいて高齢のトメ子はあの世行きになるかもしれないのだ。
「他に何か盗まれた物はないですか?」女性刑事の木戸はメモをとりながら訊いた。
「ああ? なんだって」トメ子は耳が遠いのだ。
「他に盗まれた物は無い?」白石が大きい声で訊いた。
「無い。あのやろう、今度見かけたらただじゃおかねぇ」
「ばあちゃん、犯人を知ってるのか」
トメ子は頷くと庭の高い木を指さした。
木のてっぺんには大きなカラスの巣があった。
パトカーのハンドルを握りながら木戸はため息をついた。
「どうしたの?」助手席の白石が訊ねる。
「なんか毎日が代わり映えしなくて」
「大きな事件が無い事は良いことだよ」
「そうでしょうけど……あまりにもくだらなくて。先輩はこんな毎日で満足ですか?」
「……」
白石刑事が犯罪心理学を学んだ経験があり数年前まで警視庁にいた事を木戸は知っている。彼女には信じられないのだ。自ら活躍できる場所を捨てて田舎の警察署に配属願いを出すなんて。
ふがいない
彼女は白石をそう見ている。
そして心理学を学んだ白石はその事に気付いている。
車内に沈黙が流れた時だった。
『奥里リゾートで死亡事故発生のもよう』
スピーカーから聞こえる思わぬ捜査要請に木戸は警察署に向かっていたパトカーを急遽、Uターンさせた。
奥里リゾートは村の自然を利用した造りの高級宿泊施設だ。大浴場やフレンチレストランのある二階建ての本館を中心に周りにコテージが十五、ちりばめられている。コテージと本館は林の中に造られた回廊でつながっていて宿泊客は食事や風呂は豪勢にしながら自然を満喫する事も出来るのだ。
木戸達は本館の駐車場にパトカーを停めるとロビーに向かった。
急ぎ足で出て来た従業員に案内され回廊を通り本館を背に南側のコテージに案内される。
扉を開けるとひとあし先に到着していた医者の検死が始まっていた。
「ごめんよ、先に始めちゃった。多分アナフィラキシーだね」医者は言った。
「アレルギーですか……原因は食べ物でしょうか?」白石が訊ねる。
「それは検査してみないと分からないよ。森の中だからハチとかに刺された可能性もあるし食べた物の可能性もあるし」
「それはない、ウチで出す料理はフレンチだ。蕎麦は使わない」部屋の隅に立っていた五十代半ばの男性が慌てて話に割って入ってきた。
「貴方は?」
「あっ、失礼いたしました。当リゾートの支配人をしております吉田です」
ホテルの落ち度になってはいけない、と思わず話に横やりを入れてしまった吉田は支配人の顔に戻ったようだった。
「蕎麦とはどういう事でしょう?」
「予約時に料理に蕎麦が使われていないか、お客様から電話でのお問い合わせがありましたのでシェフに確認し蕎麦は使用していない事をお伝えいたしました」
「その予約の電話は誰からでしたか? 亡くなった本人?」
「お亡くなりになった西野真理様からです」
「発見時の状況を説明してください」
「はい、亡くなられたお客様は昨日、十六時半にお連れの方とチェックインなされました。ご夕食は本館のフレンチレストランで十八時からおとりになられた様です。今朝、九時すぎに本館にお連れの方から『意識が無いと』内線電話がありまして」
「その連れは今、どこに?」
「取り乱してご気分が悪くなられたので本館の方でお休み頂いております」
「案内してください」
白石の言葉に支配人は頷いた。
連れの宿泊客、園田ゆきは本館の大浴場横の休憩ルームで横になっていた。入口には他の宿泊客が入らない様に立ち入り禁止の看板が置かれてある。
白石たちが部屋に入ると彼女は体を起こそうとした。
「あっ、そのままで、横になっていて下さい。白石と申します。お加減はいかがですか?」警察手帳をゆきに提示しながら訊ねた。
「もう大丈夫です」彼女はそう言いながら体を起こした。
「お辛いでしょうがお話を聞かせて下さい。申し訳ありません」
彼女は頷くと話し始めた。
「昨日、チェックインしてすぐに彼女と大浴場に行きました。お風呂の後、食事まで空き時間があったので本館の周りを散歩してその後、本館のレストランで食事をすませてコテージに戻りました」
「時間は分かりますか?」
「コテージに戻ったのが二十時くらいだったと思います。部屋でおしゃべりをして私は汗をかいたのでコテージにあるシャワーを浴びました。シャワーを浴びてバスルームから出たらもう真理はベッドで休んでいましたので私も休みました。夜の十時くらいだったと思います」
「その間に彼女の様子に何か変わった事はありませんでしたか?」
「ありませんでした。今朝は八時くらいに私は起きたのですが真理が起きないので待っていました。さすがに九時をすぎてチェックアウトの時間もあるので彼女を起こそうとしたら……」
「彼女の死について何か思い当たる事はありませんか?」
園田ゆきは頭を振った。
眉間にしわを寄せ考えていた白石は唐突に言った。
「もしよかったら荷物を見せていただいてもよろしいですか?」
隣にいた木戸は息をのんだ。
キャリーケースを開けようとしているゆきの背中を見ながら木戸は困惑していた。
まだ事件か事故か定かでない状況なのに荷物のチェックなどしていいのか?これではまるで容疑者の扱いではないか
そのくせ言い出した白石は女性の荷物なので見るわけにもいかず席を外している。
本当にいいの? 迷う木戸の目の前にゆきの荷物が広げられる。
だが、すぐに迷いは吹き飛んだ。
荷物の中に不自然な物を見つけたからだ。
枕だった。枕が荷物の中央のスペースをとって収まっている。
「これって……園田さんの枕ですか?」
「はい。私、枕が違うと眠れなくて」
木戸は枕を手にとった。独特の手触りだった。
「……枕の中身はなんですか?」
「そば殻です」
「白石さん」夢中で白石を呼んでいた。
「昨晩、真理さんはこの枕に触れませんでしたか?」白石はゆきに尋ねる。
「触ったというか彼女はその枕で寝たのです。それが何か?」
「真理さんは蕎麦アレルギーでした」
「ああ、なんて事、なんて……私、彼女がアレルギーだなんて知らなくて。シャワーを浴びてバスルームから出たら真理が私の枕を使って寝ていて、彼女を起こすのがかわいそうでそのままに……ああ」ゆきは泣き出した。
そしてそんな彼女を白石は見つめていた。
二週間後、警察署のデスクに座りながら木戸は白石に訊いた。
「結局、事故だったんですか? それとも事件?」
「事件だと僕は思うよ」
ゆきの身辺や生前の真理を調べると高校時代にゆきが真理に何人もボーイフレンドを横取りされていた事が分かった。
だが同時に真理がそばアレルギーである事を周りに隠していた事も分かった。
「結婚が決まっていた園田ゆきが真理さんと再会した事が全ての始まりだった。昔の様に婚約者を奪われるのではないかと不安に駆られ彼女は真理さんを殺す事を決意する。それで真理さんを旅行に誘ったんだ」
木戸は物静かなゆきの面影を思い浮かべると信じられない気持ちだった。
「食事を終えコテージに戻ったゆきは枕を荷物から出した。当然、真理さんは何故、枕を持って来たのか尋ねる。ゆきは多分こう言ったんだ。『私、この枕じゃないと眠れないの。だから絶対に使わないでね』って」
「使わないでって言ったのですか?」
「ああ、真理さんは人のものが欲しくなる厄介な人だった。ゆきはそう言えば真理さんが枕を使うのを知っていたんだ。そしてバスルームに入ってシャワーを浴びるふりをした。真理さんはチャンスとばかり枕を勝手に使って亡くなってしまったんだ」
「立件出来ませんか?」
「無理だよね。アレルギーである事を知らなかった、と言っている。どうしようも無い」
「ゆきが真理さんのアレルギーの事を知っていた証明が出来ればなんとかなりますか?」
「それでも難しいね。彼女は『枕を使わないで』と言っている。殺意は無かったと言われてしまう。そもそも真理さんが勝手に枕を使ったんだ殺人どころか過失すら立件できるかわからない」
「一つだけ分からない事があるのですが」
「なんだ?」
「どうしてすぐに荷物を見せてくれと言ったんですか? 彼女が犯人だとあの時点で分かっていたのですか?」
「普通、元気な若い人が亡くなったら、なんで? って皆、訊くのに彼女は訊かなかった。だからこの女性は死因を知っているんだなって思ったのさ」
「本当に立件出来ないですか?」
「ああ、どうする事も出来ない」伏し目がちに白石は答えた。
木戸はそんな白石を見つめた。彼をふがいないと思う気持ちは無くなっていた。
その時だった、警察署の電話が鳴った。
三十分後、二人はトメ子ばあさんの家の庭にいた。
「刑事さんよ、あの野郎、今度はおらの腹巻を取って行きやがった」
木戸は大きい声でばあさんに言った。「でもね。残念だけどどうしようもない」
「大丈夫だ、おら、買ったんだ」トメ子ばあさんはそう言うと納屋からでっかい脚立を持って来た。
それを見た白石が木戸に訊いた。
「木戸さん、高い所は平気?」
「平気ですけど」
「俺は高い所はダメだ」
木戸は白石をふがいなく思うのだった。
同じ頃、結婚式場でウエディングドレスの試着をしているゆきがいた。
私、捕まるかしら?
いいえ、大丈夫
自問自答する。
真理がそばアレルギーである事を知ったのは高校の頃だった。真理と彼女の母親の話を偶然に立ち聞きしたのだ。
彼女に悪い事をしたかしら?
いいえ、昔の私はただ奪われるだけだった。だけど今は違う。幸せを守る為に強くなったの
自問自答しながらドレスに袖を通す。
人の命を奪った女は真っ白なウエディングドレスに身を包んでいた。