#SEEDFREEDOM_フィナーレの文章
この文章には映画「機動戦士ガンダムSEEDFREEDOM」のネタバレがあります。注意してください。
私にとって「SEEDFREEDOM」そしてガンダムとは、きっとずっと私の頭上に輝き続ける星で大切な物だという、思いです。
「SEEDFREEDOM」とは貴種流離譚であるというのが私の思いだ。それとは、民俗学者の折口信夫が述べた、高貴な身分の者が地位を追われ流離し、その冒険を経てさらに偉大な王として再生するというものか。私はそれを作中のキラ・ヤマトにぴったりと当てはまると考える。
世界平和監視機関コンパスに所属し平和のために戦っていたキラ・ヤマトがファウンデーションの謀略によって命からがら逃げのび死人同然、パートナーのラクス・クラインも失い流離したが再起して宇宙へと上がり悪たるファウンデーション宰相オルフェ・ラム・タオを討つマイティーストライクフリーダムに乗る。この、高い地位から降りて再起をはかり偉大な王=マイティーストライクフリーダムとなる様を私はこれは貴種流離譚では、と見るのだ。
そもそも前々作「機動戦士ガンダムSEED」のキラがスーパーコーディネーターという高貴な出自であるものが養子としてその出自を知らぬところから始まるというこれも貴種流離譚では、ストーリーとしては使い古されていようとも、と思うのである。その戦場に否が応でも巻き込まれ戦うことへの苦悶つまりは偉大への苦難の道というストーリーを、福田監督のヒロイックな演出は素晴らしく彩りこの物語にえも言われぬ格好良さ、華を添える。それこそがつまりフリーダムの舞い降りる剣なのだと。
そのため「SEEDFREEDOM」とはこのような貴種流離譚、偉大へと至る道というものを120分でまとめた素晴らしい映像体験だと考える。
が、私はこれとは別にもう一つの思いがある。それは、ガンダムというコンテンツそのものの偉大へと至る道、ということである。ガンダムと名を冠した作品は数え切れないほど生み出されており、それを宇宙世紀からF.C.、A.C.、A.W.、C.E.、鉄血から水星の魔女、果てはSDガンダムのコメディ、ガンプラバトルと多様に展開している。ではそれらにおいてガンダム、という記号がいかような効果を生むか? その一つの結果がお台場や福岡、上海、そして横浜にあった実物大のガンダムのスタチューであると見る。つまりは最初はリアルロボットアニメだったガンダム、という記号は我々の現実世界にぬっくとその姿を現す物に宿るその神聖、ただの作り物、フィクションの枠を飛び越えたしかし想像の産物であるという超常かつ偉大な意味を持ったのだ。それはガンダムが歩んで来た45年、そしてそれに魅了され憧れた人々が通っていった道である。おそらくこの先、未来をもガンダムを生み出す創り手とそれを見て触れる者、双方の愛がある限り、ガンダムはありとあらゆる作り物、フィクションの上にその光を降り注ぎ、我々の現実世界にその姿を現し続けてくれるだろう。
私にとってガンダムとは、そして「SEEDFREEDOM」とはもしか長い歴史の中でその頭上に輝き続ける星になってくれるのではないか、そう願ってやまないのである。
「SEEDFREEDOM」でガンダムの貴種流離譚を見た私は、まさにガンダムというコンテンツそのものがこの偉大へと至る道を歩んでくれるのではないかと、期待に胸躍らせたのだ。