Ⅳ.偽りの名前
シャーリー=メイアンは1日半ほど車で引っ張り回された後、誘拐犯のアジトに如何やら辿り着いたらしかった。トランクの中で猿轡を外され、布切れを吐かせられた後、攫われる時の乱暴さとは正反対のエスコートで中へと誘われた。
「・・・・・・・・・最悪」
シャーリーは息や涙の粒と共に言葉を吐いた。縄が解かれ、優しく抱え手を差し伸べられる。
差し伸べたのは、父親と同じか若しくは少し低い程度の背丈だが、全体的に大男である。その印象の方が強かった。
「御手を」
シャーリーはトランクを出た瞬間に逃げる心算でいたが、その両の眼に見据えられ、怖気づいてしまう。
「逃げてもいいですが、恐らく三歩でワタシはアナタに追い着きますよ、マドモアゼル。―――其に」
男の髪が揺れた。手を取り、長時間の拘束から身体が未だ解き放たれていないシャーリーを庇いながらトランクから降ろす。シャーリーは疲れ故か、絶望か、トランクを出て最初の光景を眼にした途端、男に寄り掛ってしまった。
「ワタシの手から逃げた所で、何処に行こうと言うのですか―――?」
―――赤い惑星であるにも拘らず、景色は一面が白かった。神経が昂って未だ実感できずにいるが、極寒の地域に連れて来られた事は間違いなかった。逃げ遂せた所で、凍死するのが関の山だ。
「火星は大統領が一人在る事で纏まるほど小さな星だから、何れはメリディアニ(まち)に出られるとは思いますが」
犯人の男は令嬢を皮肉りながらも、わざわざ仕立てた女性用の上着を肩に掛けて遣った。
此方へ。と手を引いて案内する紳士ぶりは、現代にして古来の上流階級としての教養を具えている様であった。
「―――貴方、父に何の恨みが―――?」
「恨みなど無い」
男の皮肉を汲み取ってシャーリーは尋ねたが、男はこう即答した。アジトに足を踏み入れると、男はシャーリーの前に回り、ずっと室内で帰宅を俟っていた家人の様に、改めて膝を着き、彼女の手の甲にキスを落した。
「・・・ゴーリスト=メイアンは我等の希望。ワタシは彼に、政権復帰される事を望む」
顔を上げ、首筋まで合間見えるこの男の色素は非常に薄く、身体は屈強であるにも拘らずともすれば顔色が蒼白かった。両の眼を開けば翡翠の様に鮮やかなグリーンで、どう足掻いても隠し遂せないワイン‐レッドの髪から、メイアンの政策に依って人権を取り戻した被差別の者であるとシャーリーは推測した。
「―――私を人質に取ったからといって、父が大統領の椅子に戻ると思って?」
シャーリーは手を払い、其の侭相手の蒼白な頬をはたこうとした。併し、男は掴み所無く避けると彼女の後ろへ回り込み、腕を掴んで軽く捻った。其だけで彼女は小さく悲鳴を上げ、動かせなくなる。
「戻らなかったら、もう一人のお嬢様に来て貰いますよ」
「シャー・・・・ロット・・・・・・!?」
・・・・・・男はシャーリーの腕を離した。
「貴方・・・誰なの?うちの警備を知らない様ね。貴方が独り動いた所で、シャーロットを此方へ連れ込める訳無いわ。私が足手纏いとなって!」
「別にワタシは独りではない」
男は妖艶に囁いた。耳元が刺激を受けこそばゆい。シャーリーは襲われると思い、身を硬くして堪える。男は冷酷なほど冷静に女という生き物が堕ちてゆくさまを視認すると、女を突き飛ばしたい衝動に駆られたが、こちらも堪え、飽く迄も紳士的な態度を貫いた。
男は言う
「ワタシはジャンカルロ=ジャッカル。キライなモノは女性と無秩序な世の中。
敬愛するものは、ゴーリスト=メイアンが導いた民主主義の世界」
熱烈なゴーリスト信者というのを、シャーリーは初めてこの眼に入れた。
狂っている。
狂おしい程に真っ直ぐで、融通が利かず、そしてまた理想家でもあった。肉体的な強さと同居する遺伝子的な弱さが、男を現実から一層突き放した。
襲われる恐怖とは別の恐怖が、シャーリーを襲う。
「アナタの邸の警備も、一枚岩ではない事をワタシは知っておりますよ」
男は自覚している様に、勝手に伸び、勝手に毛先が内に巻かれた己の赤毛と、怖い位に瞳孔の透けた緑の眼を指さし
「ワタシと同じ赤毛で緑の眼の同志が、既にアナタの邸の中に入り込んでいる」
と、立体的な顔の陰影を深くして哂った。
「・・・ど・・・どういう事?」
シャーリーは声を震わせつつ、其でも訊いてしまう。男は抵抗する気を失わせる為か、彼女の望む情報をべらべらと与えて遣った。此処へ犯人と共に来てしまった以上、彼女には何も出来る事は無いが。
「アナタに赤毛の使用人が在ましたね?その者の協力を受けて、ワタシはアナタが必ず独りになるよう仕向けたのですよ。そして・・・」
男は口を塞ぐ真似をした。シャーリーは流石にショックを受けたらしく、ピンク・ベースの赤ん坊の様な肌を男並みに蒼白くさせ、身動き一つ取らなかった。当然の反応だろう、メイアンという住いの者の手に拠って犯罪者に売り飛ばされたも同然なのだから。
「・・・併し、ゴーリスト=メイアンもなかなかあくどい事をする」
男は追い討ちを掛ける様に続ける。
「未だ年端もいかぬ少女を“遊び相手”と称して、アナタの妹の盾にしようとしているのですからね。
併し其も心配に及ばない。ワタシは誰かが動き始めるまで俟ち、誰かが動けばアナタを返還するか、少女ごとアナタの妹を回収する。其が今回のワタシの任務」
緑の眼のテロリストはそう言って、丁重にシャーリーを客人用椅子に座らせたのち自分もソファに腰掛けた。
シャーリーは何をしても役には立たないが、せめて少女が無能である事、父が復帰する事を願わずにはいられなかった。
少女の名前はエクスプロレーションと云った。
そういえば、同名でエクスプロレーション=ローバーという女の子が大学に入学した事がつい最近までセンセーショナルな話題となっていた。シャーロットは勿論チェックしていたが、名前なんて特に今年は、エクスプロレーションという同一名が世に溢れる事だろう。
「貴女も有能ですのにね。まあ、あちらは9歳で而も大学入学ですし、埋もれてしまいましたわね♪」
其も貴女と違って淡い苺毛に緑眼の可愛らしい容姿してますしね♪ シャーロットはからかう様に少女を覗き込んだ。
「うるさいっ」
少女は自分の更に上をいく彼女に対抗心を燃やしている様で、エクスプロレーションと呼ばれる事さえ嫌がった。
代りに、本名と何の関連があるのか『スピリット』と呼ばれる事を望んだ。叉は『A』と云った。
「何だか男っぽいニック‐ネームですわね・・・」
シャーロットは面白くなさそうに言った。
「あなただってそうじゃないですか」
エクスプロレーション、もといスピリットは確かにかわいくなく、猫の耳の様に尖らせたツイン‐テールを揺らして噛みついてきた。
「“シャルル”って。シャーロットの男性形でしょう?」
「そうですわよ」
シャーロットはつんと澄まして答えた。
「悪い虫がつかない様に、人前ではシャルルと名乗る様にとお父様から言われていますの。ほら、わたくし、どこをどう取っても完璧な淑女ですから?♪♪♪」
スピリットはウンザリすると謂うよりも恨めしそうな眼でシャーロットを見る。悔しいが、シャーロットは確かに抜けているところのまるで無い生粋の令嬢であった。
彫刻の様に白い肌に亜麻色の緩やかな巻き髪、凹凸のはっきりした体躯。其等の美貌や上品な物腰、そして教養はその環境に浸かっていなければ手に入れられないものだった。
更に、片方は灰色だがもう片方は青紫色という、人間では先ず現れる事の稀なオッド‐アイを有する事からも、シャーロットは非常に特別な空気を放っていた。
「ですから、貴女もシャルルって呼んでくださいまし♪」
シャーロットは自分が世界の中心であるかの様な気にしなさと強引さで、スピリットの手を握った。
「お部屋を案内して差し上げますわ、スピリット!ついておいでなさい♪」
・・・・・・はあぁ。スピリットは完全に“お人形さん”である。シャーロットに着せ替えされたフリフリの袖を引っ張られ、スピリットは“仕方無く”ついて走った。
「・・・・・・」
・・・・・・そんな彼女等の背後を視ていた、怪しげな影が一つ。
「先ずは此方!―――ようこそ、我がメイアン家へ」
―――シャーロットが突然に、傅いて自分の手の甲にキスをしたので、スピリットは驚いてその好意を払った。
「な・・・!どんなシュミしてるんですかあなたは!服従の誓いですか!?」
「まあ、そんな地方の風習と一緒にしないでくださいまし!そんな如何わしいものではありませんわ!」
シャーロットは相手の教養の無さにぷんすか怒った。併し、すぐに気を取り直した様に部屋の中央にスピリットを連れて行き
「此方は、ディプロマティック・レセプションルーム。メイアン家の地下玄関口ですわ」
と弾んだ声で説明した。
「ディプ・・・?」
「ディプロマティック。以前、火星が一つの世界になる前は文字通り外国の要人を迎えていた様なんですけれど、わたくしが生れた時には既に一般人通用口になっていましてよ」
「此方はチャイナルーム。見てくださいまし、この陶器の数々を!之は初代レーモンを始めとした歴代大統領が東の端で仕入れて来た物を集めた部屋ですの。あぁ・・・このすべすべ感・・・まるでわたくしのお肌みたいですわ・・・・・・?スピリットも触ってみ」
がしゃんっ
「・・・・・・」
「・・・・・・シャルルお嬢様・・・・・・?一体幾つ割れば気が済むのですか・・・・・・?」
「逃げますわよ、スピリット」
「えっ」
「此方がバーメイルルーム。元々式典等での女性用控え室で、今でも更衣室として使われていて男性は入る事は出来ませんの。だからラヴェルの怒りが治まるまで一休みしましょうよ」
邸内と謂えどかなり広い敷地の中を飛んだり跳ねたり追っ駆け回されても息一つ乱さないシャーロット嬢。若しかして之が彼女の日常か。スピリットは流石にはぁはぁ息を整えながら、壁に吊るされている幾枚もの女性の肖像画に眼を遣る。シャーロットはその物珍しそうな視線に気づいた様で
「・・・其は、大統領家の歴代ファースト‐レディを描いている物ですわ」
と、先程と比べると幾分落ち着きの有る声で言った。
「式典等が行なわれていた頃は、お姉様と此方に控えて、表に出る迄の緊張の時間をこのファースト‐レディ達から勇気を貰ったりもしましたわ」
「あなた、緊張するんですね?」
スピリットはヤンキー坐りで皮肉どころか誰でも解る様な毒舌を吐く。一方、シャーロットはそんな皮肉などものともせず
「当然ですわっ。わたくし頭が良すぎるもので、色々と深く考え込んでしまって・・・複雑に考えてしまう人ほど、なかなか足を踏み出せないと云いますものね♪」
・・・・・・。ナルシシストなロマンチシストぶりを盛大に発揮しまくる。イエイエ、あなたほどアクティブな人もそう見ませんが。
「このお部屋は、お姉様がとても気に入ってらしたんですの」
・・・シャーロットの語尾が最早過去形であったのに気づき、スピリットは彼女を見た。シャーロットは懐かしんでいるのか、安らいでいるのか、よく判らない顔をする。
「・・・・・・その、お姉さんは?」
―――スピリットは、無邪気な子供の振りをして残酷な事を訊く。
だが、シャーロットは善くぞ訊いてくれましたという顔をして
「ふふん、今度写真をお見せ致しますわ。わたくし以上に美しい人間なんてこの世界には存在しませんが、お姉様だけは別格!あれはもう・・・・・・天使ですわーーーーーー!!」
と、聴きように依っては全く洒落にならない愛の言葉をのたまった。
「地階でわたくしが知っているお部屋は之位ですわね・・・他にも色々なお部屋がある筈なのですけれど」
シャーロットは頬を脹らませて、退屈そうに廊下のレッド‐カーペットを爪先で蹴り進んだ。えいっ、えいっ。
「・・・・・・」
爪先に乗って引き伸ばされたカーペットが、シャーロットの通った跡を枯山水の紋様の様にうねっている。
スピリットの方はというと、散々に振り回されて既にお腹いっぱいな感じだった。全く、どう教育すればこんなバイタリティー溢れるお嬢様に成長するのやら・・・・
「・・・・スピリット、もうお疲れですの?だらしがありませんわねえ」
シャーロットがによによしながらスピリットのツインテをちぎぎと引っ張る。スピリットはお疲れと謂うよりうんざりな感じで、今迄は毎回楯突いては相手をしていたが、今はもうじりじりと距離を離していくのだった。
「・・・・・・」
・・・ぴんと張った長い髪を間に、睨み合いが続く。
「・・・仕方有りませんわねえ」
すごく強がっているが、逆に其が弱さを引き立てている様に想える。ツンツンした容姿も相俟って、まるで人嫌いの猫の様だ。
本当は自分の事がすごく苦手なのだろうなと思いつつ、
「なら、ライブラリーで休憩致しましょう♪わたくし、調べたい物がありますの」
そういう相手こそ追いたくなる。半ば抵抗する気も失せたスピリットをぬいぐるみの如く両脇に腕を通して抱え
「本当に貴女、ちっこいですわね。触り心地も良くありませんし」
「イラッ★」
「きゃあ!ちょっと、何処を触っていますの!?其処はわたくしの聖域でしてよ!!」
併し時折片鱗を見せる一筋縄ではいかなさ(変態さ?)にハラハラしつつも其からはトイレに子供を抱えて入る調子で図書館へ駆けた。