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Ⅰ.誘拐

「―――オポチュニティ、理解(わか)りますね?」


マーズ=パスファインダーは独り()ちた。(しか)(それ)を独り言にさせない。間も無く体格を分厚いコートで隠した人物が音も無く現れる。

その登場のタイミングは依頼された側の性格を表している様であった。


「あの男を(おび)き出す為には、之位(これくらい)の事はしなければならないのです」

理解(わか)ります。もう先手は打ってありますよ」


フードで素顔まで隠され、男か女かの判別も難しい(きぬ)の隔たりから、声が発される。

ある程度は屈強に見える体格からは想像のつかない華奢な声で、布の遮蔽の影響を全く感じさせない程にその声は澄んでいた。女声である事は確かだが、大人の女性ではなく少女の様で、甘くも涼やかな歯切れのいい声は、声変りの無さと成長過程の微妙な変化、大海を知らぬ故が自信を誰もが内包するこの時期でしか出す事は出来ない。

「・・・・・・之が、あの男の写真です」

パスファインダーはおずおずとして、オポチュニティと呼ばれるアンバランスな侵入者に写真を渡した。聡明なのか、其とも押し殺しているのか反応が矢鱈(やたら)と早い。だが、彼女が之迄(これまで)受けてきたどの反応よりも柔かかった。

―――オポチュニティはコートの袖から指2本のみを現し、その写真を受け取った。フードを少しだけ(めく)り写真に映る人物の姿を確認する。その際に明瞭(はっきり)と判った事は、やはりこの人物は少女である事、火星では既に滅びてしまった海や森を連想させる樹海の如く深い緑を宿した瞳の持主である事だった。そして、その眼の球体の様な円らさから想像以上に幼い事が窺い知れた。


写真の中に居る男は、少女の年齢では()ず出会う事の無いモノクロで構成されていたが、彫りが浅く影が無いので見る者には優しい貌をしていた。所謂サバ人系の、のっぺりとした顔立ちであるが、他の民族には無い線の細さが顔の端々迄行き渡っており、二次元的に精巧で整った容貌をしていた。いつの時代に撮った物なのか、中世時代の音楽家の様な衣装が胸の辺り迄写っている。


「・・・・・・深い事情があるみたいなので訊きませんが」

オポチュニティはフードで目許(めもと)を蔽い隠した。

「この写真を、戴けませんか?」

「え、ええ」

パスファインダーは戸惑って、オポチュニティの方を向く。無論、そこに()るのは布だけで表情などを確認できる筈も無いのだが。

「―――其では」

・・・其でもパスファインダーは、安心した様に表情を落ち着かせた。

「・・・()って、くださるのですね」

「・・・ゎ、私が任務を選り好みした事がありましたか?」


之位の動機が有ったがいいのかも知れない。大きな任務を任せるのは今回が初めてだ。戦士として、大人の陰謀の蚊帳の内に身を投じるには少女らしい希望が根幹に無ければ。


「―――いいえ。では、言いますね」

如何やらこの少女は、写真の中の人物に一目見て惹かれてしまったらしい。ならば逆に考えれば、今回の任務は最適だと()えるだろう。



―――希望が、無ければ



「誘拐事件に、関って欲しいのです」

「・・・・・・!」

シャーリー=メイアンは観念した様に足を止め、ガクガクと震える膝を覆う衣装に両手を乗せた。

空気抵抗で肘の辺り(まで)(まく)り上がっていたレースの袖が、汗ばんだ肌にずり落ちて吸いつく。漏れ出る吐息の出処である口許(くちもと)を上げると、絶望に苛まれ、併し覚悟が出来ている様などっしりと構えた瞳が暗闇で潤んだ。


―――凛として、美しい。


一輪の華の咲く場所が戦場となり、炎や風に可憐な花弁(はなびら)が脅かされるさまが形容として相応しい、根を下ろしているが故の不自由さや柵をもつ者の諦めや逃げぬ心が、この少女のきりっとした美しさを際立たせていた。



「マーズ=シャーリー=メイアン」



シャーリーは唇を噛みしめて、屈んでいた姿勢をしゃんと伸ばした。・・・振り返れない。逃げなければならない状況の中で、草臥(くたび)れた足は之以上、一歩も前に進まなかった。

バサリ、と(おもり)でも吊り下げているかの如く重い布地がはためく音がする。併し、其は彼女が抱えるものと較べれば全く大した事が無さそうだった。背後に立つ者の動きはとても俊敏で、すぐにシャーリーの耳元まで迫ると



「貴女が来なければ、貴女の妹に来て貰う迄です」



―――ボイス‐チェンジャー。


甘い芳香が鼻につく。鼻と口を、薬漬けにされた布で塞がれる。ドラマに描かれている内容とは違い、シャーリーは結構な時間失神をせずに済んでいた。併し意識を保てているかは怪しかった。

今更になって本能的な抵抗を始め、何度か己を床に組敷くベールから這い出す事に成功している。


「!!」


呼吸がおかしくなってから後は早かった。人の口をゴミ箱であるかの様に布切れを彼女の口に入るだけ突っ込み、彼女は完全に声どころか呼吸まで奪われる。喉の奥に布がつっかえ吐きそうになる。其でも猶、詰め込まれ、その上から更に布を噛ませられた。

息を吐くと、喉に布が当って更に吐き気が増す。だが歯が別の布を噛み締め、つっかえ棒の役割を果して吐き出せない。

眼が自然と見開き、涙が溜る。呼吸を整えようにも、歯が布に当って勝手に噛み締め、吐き気を催しパニックに陥るその繰り返し。

「・・・・・・」

虚ろな眼は何も映していないながらも、身体を横向きにして己の脚が縛られてゆくのを見ている。既に棒同然に1本に纏められた腕は抵抗も侭なっていないにも拘らず、手を左右に動かして逃げようと試みていた。


・・・・・・ベールを顔まで蔽っている体格の良いその者は、轡をしている布を再度手前に引っ張って、深く奥歯で彼女に噛ませる。

完全に囚われとなったくびれた体躯を見下し

「酸素が少し足りない様ですが、すぐ外すので我慢してくださいね。今此処で、貴女に逃げられる訳にはいかない」

手配していた車が到着した。運転士が素早く降り、肩に腹部を掛けると、真暗なトランクに蒼白の美しきマネキンを押し込み、即座にその場を後にした。




誘拐事件が発覚し、警察が秘密裏に動く前に、その存在を予期していたかの様に“一人の少女”が行動を起した。


その少女は、見た目がまだ9,10歳程度の年齢であり、警察に引き渡しても補導処分で終る事が明らかで、本人も其で高を括っている部分が在った。

不思議な少女だ。くりっと(まる)い眼をしているが、その目尻は妙につり上がっている様に見え、その銅色(カッパー)の瞳はぎらぎらして、常に周囲を警戒している人間嫌いの猫の様だった。加え、子供といえど立体的な顔の造りとは些か合わない薄茶(シナモン)の髪をもち、真直ぐで平面的なその髪をツイン‐テールに結んでいた。


(・・・・・・見た事の無い貌ですわね・・・・)


マーズ=シャーロット=メイアンは扇子を煽ぎながら、注意深く自らの回廊(ギャラリー)を見廻っていた。

ファンシー‐グッズやアートのコレクションが趣味の彼女は、この年にしてギャラリー1つを所有している令嬢であり、彼女の家は、気候の変動で仙人掌(アレオーレ)しか植物が栽培できなくなった火星に於いて、唯一バラの栽培に成功している。その名も『メイアン・ローズ』といい、地球とニュアンスは違うものの、まさに岩石砂漠の火星に生きる“砂漠の薔薇”と呼べるものであった。

栽培法は門外不出で数は決して多くはない為、彼女の家と所縁の有る者や所謂(いわゆる)セレブと呼ばれる者達の間で取引されるに止まっている。


何故メイアン・ローズにスポットを当てて紹介をするかというと、彼女のギャラリーでも展示されている上に、このバラは度々窃盗の標的とされ、現にメイアン・ローズを所有していた他の家は盗まれて手元から放れてしまっている。彼女のギャラリーでも二・三度は未遂の事件が起っている。


「!」


シャーロットが一瞬だけ眼を離した隙に、ガタリと音がしてガラス‐ケースが動いた。少女の小さな手がメイアン・ローズを掴み、ケースと台の隙間から引き抜くところであった。



「ちょっとお待ちなさい!!」



少女が形振(なりふ)り構わず走り去る。出口の燭台(キャンドル)が少女とぶつかり、激しい音を立てて出口の扉につっかえた。シャーロットがスカートの裾をたくし上げ、構わずその上を乗り越える。



「泥棒ですわ!!」



少女はシャーロットが着ている物と同じで、EOS学院中等部指定の制服を纏っていた。


シャーロットは足の速さに自信が有り、現に体育の成績も上位で定評も有った。おまけに不正を見逃せない揺らがぬ正義感の強さと勇敢さは、守って遣りたくなる様な非力で愛くるしいお姫さまの様な容貌に惑わされて甘めに見積っては痛い目に遭う。

(・・・むっ・・・・・・!)

()って、少女に追い着く事も訳は無かった。

少女も体力に自信を持つ方だった様であり、シャーロットが追って来るのに驚いた顔をした後、すぐに足を加速させたが、シャーロットの方が足は速かった様だ。

どんどん少女とシャーロットの間の距離は縮んでゆき、階段の踊り場に来た時には完全に追い着かれてしまった。

「観念っ・・・なさい!!」

シャーロットは踊り場の手摺に少女を追い詰めて、其の侭取り押えようと少女の細腕を掴みに掛る。見事な瞬発力だった。一見、シャーロットが確実に少女の手を取ったかの様に思われた。


併し



「!?」



手応えを全く感じなかった。幽霊の手を握ろうとしていた様な、暖簾に腕押しという慣用句の中でも感じはするであろう布の触れる感覚さえも無い、少女の身体をすり抜けて向う側へと行ってしまった様な現実感の無さがある。現に、身体の一部一部が完璧な造りのその少女に幾らかのアンバランスさや気持ちの良くなさを感じさせる原因の一つは、どっしりとした配色で髪を彩り、過去を引き摺る様に棚引かせて瞳をぎらつかせている割に、その様な“闇”を表すには余りに逞しくなく、浮世離れした雰囲気が先に立つからであった。

何処か掴み所が無いのは実際にシャーロットをかわしたからで、シャーロットは前のめりに踊り場の手摺へと突っ込んでいった。手摺を越えるとその先は何も無い。


(つま)り、1階の床へ真っ逆さまという事だ。


演技じみた恐怖の表情でシャーロットから逃れた少女は、肩甲骨の下の背を手摺にぶつかった。

頭身で如何にも頭の方が重そうな年齢の少女は、ぶつかった勢いで頭が手摺の向う側へと落ちてゆく。


フワリと足が宙に浮き、寧ろ似合うと謂えるほど日常では起らぬ様な綺麗な弧を描き―――落下した。



「―――!」



シャーロットは思わず少女に手を伸ばした―――身を乗り出す形となる―――重心が下半身から上半身に移り、視界が前から真下へと急激に傾いた。


「え―――?」


少女はイルカのショーの如く、くるりと身体を一回転させてシャーロットと目を合わせた。・・・そんな芸当、シャーロットには流石(さすが)に出来ない。



少女は気の強い瞳でシャーロットを見ると、手に持っていたメイアン・ローズを踊り(うえ)へと思い切り投げ放した。

―――空から女の子が降って来る。


其は、ジュヴナイル的作品に於いて好まれる導入部分(シチュエーション)。女の子、其も大抵の場合は美少女が降って来て主人公が助け、そこで運命の歯車は大きく動かされる事になる。


空から女の子が降って来る。其は非日常の世界に引き込まれ、常識や良心を盾に少女を味方する正義の使命を負わされる前兆(プロローグ)


何故ならば、普通の子が空から降って来る事は日常で在り得ないし、無論何らかの理由が在って降って来るからだ。

理由が無く物事など起らない。

併し、現実には理由が無く物事が起きないとも限らない。というのも、偶然の確率がこの設定に於いては多くを占める。こういった物語では主人公は少年である場合が多いが、受け止める側が少年であるとは限らなく、寧ろ少女と同年代の少年では難しいだろう。

女の子の方も、申し分の無い端麗或いは可愛らしい美少女とは限らない。叉は、男心を擽る様なか弱さや頼り無さがあるとも限らない。自律を求める個人主義が浸透した世の中では、不思議ちゃんや天然も逞しく生きていくものだ。


この物語は少年少女には優しくないだろう。この物語は、空想的な展開を示しはしない。


併し、現実に於いても空想に於いても少数派(マイノリティ)の、変った者達の話をしよう。

彼等はやはり、外れた運をもった者達である。

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