笑い方が理由で婚約破棄されそうな男装ケヒャ令嬢
「……もう一度言ってくれないか?」
「婚約を破棄したい……もう限界だ」
限界らしい。困った。
私——フランシスカ・コレットと王子とは、もう11年にもなる付き合いだ。幼少からの馴染みであり、社交界デビューに合わせて婚約した。まるで兄弟のような間柄であり、彼になら自らの人生を預けるのも悪くないかと思う唯一の相手だ。
むろん、彼の人生を預かるのもやぶさかではない。
だというのに、急にこれだ。部屋に呼び出されたかと思えば、神妙な面持ちで婚約破棄を切り出された。
「私に不手際が?」
「不手際……ではないな」
「じゃあ一体なにが?」
「え? 本当に分からないのか?」
……本当に分からない。
強いてあげるなら、私の趣味が男装であるところだろうか?
「格好か? もう少し淑やかに……」
「いや、それはどうでもいい。好きな格好をすればいいし、僕も見た目で人を判断するほど狭量じゃあない」
「ケヒッ、嬉しい事を……」
「そこぉおおおおおお!!」
ビックリした。
急に大きな声を上げるものだから、体がビクっと跳ねてしまった。恥ずかしい。
「わ、笑い方が恐いんだよ! 殺人が趣味でナイフ舐めてる人以外そんな笑い方しないの!」
「そ、そんなおかしいかな? 別に普通だと思うけれど」
「じゃあ笑ってみて」
「ケヒヒ! ケヒャヒャヒャヒャ!」
「恐ぃいいいい!!」
そうかなぁ? 別に普通だと思うけど。
「しかしこれは癖だから仕方ないだろう」
「直せそうにないから別れようって言ってるの! 声聞くたびに賊が入り込んだのかとビックリしちゃうんだから!」
「いや……それはごめん……」
結局、別れ話はそのまま進んでしまった。
平気なフリをしてうなづいたが、実は結構ショックだ。産まれた時から王子妃になるべく育てられた私は、他の生き方を知らない。まさか、笑い方一つで嫌われてしまうとは。
王子の方はもはや未練などないのか、そそくさと追い払われてしまった。公務で忙しいのだろうが、あまりにもそっけないように思える。
ただ、悪い話ばかりではない。少なくとも知られなかったのだ。
笑い方などという下らない話題に隠れて、本当に隠したかった私の癖を隠し切れた。
「知られたら危ないもんなぁ、ケヒッ」
◆
正直に言うと、フランシスカには悪い事をしたと思っている。
人間性には問題がない。性格も、教養も、品性も完璧だ。
ただ一つ、振る舞いだけなのだ。笑い声という振る舞い。それが、常軌を逸して恐い。
「よろしいのですか、殿下」
従僕のトナーが、眉間に皺を寄せる。
「何がだ?」
「フランシスカ様は聡明でお美しい方です。殿下に釣り合うお方などそうそう……」
「仕方がないだろう。母上の判断なのだから。まあ、恐いのは本当だが」
今回の婚約破棄は、実のところ僕の意思ではない。この国の国母たる母の意見だ。母上は、コレット公爵夫人と犬猿の仲だったのだという。もしも逆らえば、フランシスカの人生にどんな悪影響があるか分かったものではない。それだけの権力を持っているのだから。
僕は一応長男ではあるが、弟を次期国王にと推す声も多い。王を目指す限り、隙の一つも見せてはいけない。
「父上は母上の味方をするだろう。もしも王位に就いた時、先王の後ろ盾がなくては格好がつくまい」
「またそんな風にカッコつけて。本当はフランシスカさんが心配なだけの癖して」
「お前きらい。明日父上に言ってクビにしてもらうから」
「え!? ちょっとそれはないですよ!」
トニーとの付き合いも長いが、どうにも年々態度が大きくなっている。よくない傾向だ。このあたりで、少し立場を理解させる必要があるだろう。
「そんな事よりも……」
「そんな事……!?」
「……早く馬車の用意をしろ。三日後にはカヴァデール侯爵領に着かなくてはならない」
「そんな事って……」
カヴァデール侯爵。我が国の有力貴族であり、僕がこれから王位を継ごうと思うのなら味方にしておきたい人物だ。今回は公務のための訪問だが、繋がりを多く持つ事が今後の活動に利する。
蔑ろにはできない。
不貞腐れつつも、トニーは迅速に用意をしてくれた。気安いのは二人の時だけで、基本的には優秀な使用人だ。
馬車の中では一人だ。御者はいるものの、特にする事もない。
トニーが一緒にいてくれたのなら違うのだろうが、今日いない。彼も彼で忙しく、一仕事終えてからついてくる事になる。僕を超える多忙だが、本人は体力があるからと気にしていない様子だ。
足の男などという呼び方は、馬の横を歩いて追従する事に由来する。体力に自信があるのも納得である。
……気分が、少し悪い。具合が悪いわけではなく、気の持ちようが。
11年連れ立った馴染みを、身勝手な理由で切り捨てた。もし僕が逆の立場なら、きっと許す事ができない。
しかし、その方が都合がいいかもしれない。嫌われていた方が、僕としても諦めが付くというものだ。
外が、そろそろ暗くなる。もう間もなく野営の準備をしなくてはならないだろう。
「殿下ぁ!!」
「は!? なになに!?」
馬車が揺れる。
そして、怒号と怒声。
「お伏せください! 頭を伏せて!!」
言われるままに、床に伏せる。狭い車内は、揺れから身を守るのに都合がいい。
俄かに理解した。これはつまり、襲撃だ。
「オラオラ馬を止めろォ!」
「命は大切にするもんだぜェ!!」
悪人の振舞いがコッテコテすぎる!
この馬車は、盗賊に襲われたのだ。
しかし、どうにもおかしい。外の様子は分からないが、どうやら賊は馬車と並走している。だとすれば馬を持っていると思われるが、ならず者風情が馬など養えるはずがない。
一体、何者だというのか。少なくとも、単なる貧民ではない。
そのまま四半刻。最早日が完全に暮れてしまうまで、御者は耐えてくれた。しかし、どうやら車輪を砕かれた。まるで浮き上がったかと思うほどの大揺れの後に、車体はその身をひしゃげさせながら横転した。
「うぐぅ……っ!?」
「おっと、王子さん。なかなかしぶてぇな」
頭がクラクラする。多分、血を流しているんだ。
御者はもう命を落としたのだろうか。さっきから反応がない。
いずれ王になるなどと思い上がった小僧の末路が、まさかこんなに惨めだったなんて。暗がりの中で血に塗れ、殺しに来た相手の顔も分からない。
意外に、苦しさはない。意識が朦朧としているからだろうか。苦しさを感じるほどの、余裕がないような気がする。
「殿下、王子殿下。なんでご無事なんです?」
「は……?」
不意に、聞き覚えのある声がする。いや、聞き覚えどころではない。僕は、この声に送られて城を出たのだから。
長く連れ立った従者。僕の理解者。これからも共にある支え。
そんな風に思っていた相手の声が、まさか今聞こえてくるなど。
ありえない、あってはならない。それはすなわち、裏切りを意味するのだから。
「トニー……? なぜお前が……?」
「なぜってそりゃあ……死んでもらおうかと?」
信じたくなかった。だから、問いかけたのだ。あるいは、何かの間違いであるなどと、期待してしまった。
しかし、そんな朦朧とした意識がそうさせた間が抜けた疑問も、はっきりと言葉で否定されてしまった。
僕の従僕であるトニーは、僕を裏切ったのだ。
「弟の差し金か……?」
「ああ、さすが王子殿下。聡明でいらっしゃる。正直な話をすると、初めから命を狙って近づきました」
「そうか……間抜けだな。僕は」
「えぇえぇ、全くそう思いますよ」
予想できなかった事ではない。むしろ予想しなくてはならなかった事だ。これは僕の不注意が招いた事態。本来、どれほどしてもし足りないなどという事はないはずの危機管理を、まさかここぞとばかりに怠ったのだ。
「そういうわけなので殿下。我が主のために死んで下さい」
「…………」
返事ができない。体中の痛みと、諦めと、何より、自分の愚かしさに言葉がなかった。
もしも最後に一言話せるのなら、フランシスカに謝りたいと思う。つい先ほど、身勝手な理由で傷つけてしまった彼女に、傷つけておきながら何のせいかも出せない不甲斐なさをただただ謝りたい。
許してもらえなかったとしても。許してもらえるはずがないとしても。
「うわ!? なんだこいつら!?」
「……?」
見えないが、トニーの驚いた声が聞こえる。そして金属がぶつかり合う音と、叫び声と悲鳴。彼らが場所を追っている時に聞こえた怒号は、あくまで目的を果たそうと統率を取るための声だった。
しかし、今は違う。不足の事態に慌てふためき、恐怖のために飛び交う怒号だ。
無数の足音。誰かが土を蹴り上げたらしく、顔に砂だか泥だかが跳ねて当たる。口に少し入ったが、そんなものは気にしていられない。
一体何が……?
「ケヒャハハァ! 殺してはいけないよォ! 数人くらいは残しておきなさい!」
「はい、フランシスカ様!」
「え? フランシスカ?」
見えない。見えないが、声は聞こえる。
「ケヒャ! 悪い事をしたら悪い事をされると教わらなかったみたいだねェ! 抵抗なんてするもんじゃないよォ!」
うわぁ、楽しそう。
「面倒ばっかりかけるんじゃあないよォ! 命の一つもかけらんないくせにさァ! ケヒャヒャヒャヒャ!!」
争いの音は、あまり長くかからなかった。おそらく十分と少々ほど。制圧は迅速に済まされたらしい。
地面に伏せて泥だらけだった僕は、返り血で汚れた鎧を着た兵士に介抱されて手当てを受けた。出血も止まり、水も飲み、ようやく落ち着いてきた頃、後始末をしているフランシスカが目に入った。
「ふ、フランシスカ! いったい、何をしているんだ」
「あぁ、王子。無事で何よりだよ」
「そうではなくて! 何なんだ今のは一体!?」
「あぁ……ケヒっ、えっと……」
フランシスカはどうやら、気まずいらしい。苦笑いをして目を泳がせている。
「い、いやぁ、えっとね? 実は趣味の剣術が長じて、街道沿いの警邏をしているんだ。いや、さすがに女の子らしくないから、隠しておきたかったんだけれどねぇ」
「そんなレベルの話じゃないけどね。口調、口調、口調だよ! 何なんだあの恐ろしい言葉遣いは!」
「やー……ケヒっ」
「一応恥ずかしいって感覚はあるんだね! ちょっと安心したよ!」
聞けば、剣を持つと高揚が抑えられなくなるらしい。思考は過激で、口調も変わってしまうのだとか。恐い笑い方も、剣の稽古を始めてからの癖なのだとか。
……その内、普段からあの性格になるんじゃない?
「つまり、殺人が趣味でナイフ舐めてる人の笑い方をしているんじゃなくて、殺人が趣味でナイフ舐めてる人だったの?」
「ち、違う! 殺人鬼なわけじゃないから! 不当に人の命を奪った事なんてないから!」
「ナイフは舐めるの?」
「…………」
「否定してほしいなぁ!!」
思ったより恐い人だった。よく11年も一緒にいて気付かなかったな僕。それとも、フランシスカの隠蔽技術が凄いのだろうか。
「ほ、本当は隠し通すつもりだったんだよ! こんな姿を見られたらお嫁に行けないからね!」
「乙女か! それだけの逞しさを見せておきながら今更だね!」
「私は男装をしているだけで男性じゃあないんだ! ちゃんと女の子として扱え!」
「男だなんて言ってないだろう!」
「言ったようなものだ! 笑い方を恐がって婚約を破棄までした君の事だ、私を受け入れられるはずないもんね!」
「……いや、それは違う」
フランシスカは目を丸くする。
無理もない。彼女は、勘違いをしているのだ。僕が声を荒げた理由を、恐れから来る情緒不安定だと思っているのだから。
だが、違う。僕は今、フランシスカを少しも恐れていない。
さっきまでそうではなかったが、今は微塵も感じないのだ。
自分でも不思議だ。
なにせ、僕は彼女を——
「——愛している。フランシスカ」
「は?」
「今更都合がいいと思うだろう。だから、断ってくれて構わない。ただ、伝えたいって思ったんだ」
この感情は、救われたからだろうか。
彼女の声を聞き、返り血まみれの姿を見て、どうしようもなく美しく思った。酷い言葉で傷つけて別れた僕が口にするには都合が良すぎる言葉を、思わず口走らせるほどに。
「伝えたいんだ。まるで、君が悪いかのように言ってしまったから。せめて、君の素晴らしさを、君に伝えたいって思った。……上手く言えないな、つまり……」
「い、いや! もういい!」
フランシスカは目を伏せる。怒らせたかもしれない。当然だ。僕の言葉は、あまりにも都合が良すぎる。
「王子、君は私が嫌いになったはずだろう?」
「いや? あれは別れる方便だった。派閥争いの一環で、僕はコレット侯爵家を切り捨てようとしたんだ」
「だったらなんで今更そんな事を言うんだ!」
「次期国王とかどうでもいいかなって思ったからだよ。君に想いを伝える事と比べればね」
「な、なんか歯が浮くなぁ!」
伝えたいとは思った。とはいえ、伝えるだけで満足だ。
僕の言葉で傷ついた彼女が、あるいは少しくらい自らの価値に気付いてくれればいいと願う。
恐れた口調も、疎ましかった格好も、全てが全て彼女の魅力だ。
危機に陥った僕を颯爽と救う、まるでお伽話の英雄のような……
あまりに勝手な話だ。しかし、この一度でこの勝手は終わりにしよう。
もう二度と、口にはしない。そのつもりで、今だけ歯が浮く台詞を口走る。
そう、そのつもりで。
そのつもり、だというのに……
「わ、わかった! じゃあ婚約破棄はなしだな?」
「……え?」
「え、ってなんだよ。それだけ思わせぶりな事を言っておきながら、まさか口先だけなのか?」
「いや、そんなつもりは……」
「ケヒヒ、なら問題はないね。まったく。私を振り回す男なんて君くらいなものだよ」
許された。許されるはずなどないと思っていたのに。
「まあ、君が私を手放すほどの節穴なんて思った事はないけどねェ」
「口調。口調寄ってるよ、殺人鬼に」
「さ、殺人鬼じゃないもん!」
◆
トニー君は最後まで口を割らなかったが、王子を襲った仲間の一人が第二王子の差金であると白状した。
国王陛下は、実行犯の全員と調べられるだけの一族郎党を処刑を命じ、第二王子についても継承権剥奪及び記録の抹消という重い処罰を与えた。もう二度と、歴史の表に姿は表さないのだ。
そして、実に14年の歳月をかけ、王位の継承はつつがなく行われた。
紆余曲折ありつつも、多くの歓迎を受けた戴冠式である。
「今日からはあなたと呼ぶべきかな?」
「て、照れる……」
「ケヒャヒャ! そんなに愛い反応をされると困ってしまうね!」
「その笑い方、人前ではしないでくれよ。王妃様」
王が呆れて首を傾げる。
「当然さ。流石の私も、恥ずかしいとは思っているんだ」
「いや、恥ずかしいわけではなくて……」
「?」
恥ずかしくないのなら、一体なんだというのか。かつてはこれが原因で別れ、しかし結局直す事のできなかった癖だ。できる限り我慢してはいるが、王の前だと気が緩むのかついつい出てしまう。
なのに、彼は照れくさそうに目を逸らして言うのだ。
「僕以外に、君の魅力が知られるのはいやだ……」
「…………っ」
「な、なんか言えよ!」
何も言えない。言えるはずがない。
何かを口にしようとすると、強張った口が声を裏返らせてしまうから。
顔が熱い。視線が震える。
私は今、きっと幸福だ。
「ケヒヒ、ヒャヒャハ……」