サカサミズ(逆さ水)
精霊の言うとおりに斜面を下っていくと、拍子抜けするほど簡単に民家を見つけることが出来た。
ただ、一軒だけ。人里があると噂で聞いたが、どこかで尾ひれがついたか?
兎にも角にも、この山を調査するには拠点が必要だ、どこでもいいから一週間ほど邪魔させてもらえないだろうか。
そんなことを考えながら、民家に近づくとタイミングよく戸が開いた。
「ん?」
「おぉ、良かった人が住んでいたのか」
出てきたのは男だ。さわやかな顔にがっしりとした体格、女に引っ張りだこにされそうな好青年だ。
「あんた誰だ?ここいらでは見ない顔だが」
「俺は、ナツナというものだ。旅をしながら忌剥を行っている、すまんねいきなり。少々困っていてな」
「はぁ……」
男は何が何だかという顔をしていた。
男の名前はマサキというらしい。マサキは意外にも快く滞在を許してくれた。なんと要望よりも多く、二週間の滞在だ。
しかし、マサキか。どこかで聞いたような名だが。
「いいところだろう?今はこんなだが、ホントなら綺麗な紅葉が見られるんだ」
マサキは土間の縁に座り込むと、戸の外に広がる山を見つめた。
「いつからこんなことに?」
「さぁ、ね。まぁ気づいたのは夏の始まりあたりだわな。日差しがかなりきつくなってきたのに、そこら一帯が花畑なんだぜ?流石にその時にはおかしいって思ったな」
「半年くらい前か?」
「今十月だよな……気づいたのが六月だから、まぁそんくらいか、我ながらよくこんな不気味な所に住んでるよなぁ」
やはり、精霊の言っていることは嘘ではなさそうだ。となると山神が生きているのか、それとも死んでいるのかが重要だな。生きているなら、本来の仕事に就かせる。死んでいた場合は……面倒だ。
「マサキさん、だっけか。あんた以外にはこの山に住んでるのはいないのか?」
「いんや、俺以外はこの山を去っちまったよ」
「いつ頃に?」
「みんな山がおかしいってことに気づいて、あとは畑が腐っちまってからだな。山はこんなに力強いのに、村の畑はダメみたいだな」
「にしては、民家はここ以外……」
少なくとも斜面の上から見た時にだって、民家らしきものはここ以外に見えなかった。
「山が成長しているみたいでな、人がいなくなってから二か月くらいで跡形もなく、だ」
マサキは土間に入り込んだ小石を拾い上げると、それを手の上で遊ばせ始めた。
しかし、山が成長する?二か月で民家を飲み込んでしまうほど速く?いや、この山の力を考えると十分あり得る話ではあるか。
「あんたはなんでここに留まる?周りと一緒に別に移っても良かったんじゃないか?」
「だな、いまはそう思うよ」
「なら、なぜ?」
「ん?んー」
マサキは土間から立ち上がると、家の外に出ていく。すると手に持っていた小石を、全力でぶん投げた。
「あんた、ちょうどあっちの方から来たんだろ?」
マサキが指さしたのは小石が飛んで行った方、そしてナツナが下ってきた斜面だ。
そして、あの桜の木があった方。
「……そうだが。それが?」
「道中に綺麗な桜、なかったか?」
「あぁ、あったよ。立派な奴が」
マサキは「そうか、まだあるか」というと、ナツナに背を向けるように歩き出した。
「俺な、あそこで小さい女の子を見たことがあるんだよ」
「へぇー、そりゃいつに?」
「笑うなよ?まだ十にもなっていない頃だ」
「笑いやしないが。ただの見間違い、それか近所の子じゃないのか」
マサキの言う小さい女の子とは、恐らくあの精霊のことだろう。確かマサキは今、二十五歳だったはず。
「見間違いか。やっぱりそうなんだろうかね」
「ん?」
「まぁその時見かけた女の子、結構特徴的な見た目してたから、付近で見かけたら絶対に気づくはずなんだけど。それらしい子はいなかったんだ」
「特徴的……金髪で仮面付けてたか?んで地味な着物の」
「着物、まではわからんが、金髪だったな。仮面はなし、もしかして見かけたのか?!」
「落ち着け。二十年近く前の話だろ?だったら、今頃は良い女になってるはずだ」
「そう、か。だよな、普通に考えればどっかに嫁いでるよなぁ」
マサキは落胆したように頭をうなだれさせてしまう。なんというか
「そいつのこと好きだったのか?」
「……ばれたか」
恋する乙女というやつだな。
逆さ水 サカサミズ
一に
通常、湯加減を調節する際は湯に水を入れるのに対し。水に湯を入れて調節する法、これを逆さ水と言って人々は忌とした。
二に
死にかけた生き物、水に入れ、水中にて尾を持ちそれを振る。死にかけた生き物を生かす法。禁とする。




