イワズノトリ(不言鳥)
「主様はとても優しい方だ。ただの桜だった私にこのような姿形を与えて下さり、それからもよく可愛がってくれた」
精霊は昨日今日に起こった出来事のようにポツポツと語り始めた。
「あの方は桜の私をとても気に入ったようで、度々根元に腰掛け、私と他愛ない話をしてくださった、とても楽しそうに話すあの方を見て、私も心が安らいだ」
精霊は桜の根元、恐らく山神がよく腰掛けていた場所だろう。そこを愛おしそうに眺めながら話は続いていく。
「毎日、毎日……山で見てきた全てを話し尽くすかのように」
だが、それも長くは続かなく。精霊の視線は木の根元から外れ、ナツナに向く。
真正面から見える不気味な雑面。その奥にある精霊の瞳が僅かに潤んでいるように思えて。今度はナツナが精霊から視線を外してしまった。そういうのは嫌いだ。
咄嗟に視線を向けた先にあったのは、桜の花。季節外れだが、とても美しい。この山の神ですら愛したほどの美しさ。
「彼女もこの桜を見たんだろうな」
精霊はまだ何か語り始めそうな雰囲気だったが、泣き出しそうな感じがしたので、こちらから話を振ってみる。
「……?」
精霊は分からないと言った顔をしてナツナの視線を追った。
その瞳に映るのは、純白に、淡い桃色が走った5枚の花びら。
「山神のことだよ。羨ましいなぁ、こんな綺麗なのを独り占めできるなんてさ、俺には無理だ」
「待て」
「なんだよ、照れてんのか?」
ナツナは茶化したが、精霊は何やら言いたげな、疑問を抱いたような感じだ。
「主様は、男だったぞ?」
「は?」
思いもよらぬ精霊からの回答に、ナツナは素っ頓狂な声を上げた。
山神は原則として「女性神」いわゆる女神だ。
ナツナは忌剥として活動する際の学習で、山神に関する文献、伝承、果ては民話まで。あらゆる面での研究結果に目を通した。
結果はどれを見ても女神。男性神は確認できなかった。それはこの山も同じだった。
事実、九十年ほど前に女性の山神として、忌剥に観測されているとの情報をナツナは事前に持っていた。
山神の世代交代を鑑みても、あと三百年は当時観測された山神がいるはず。
「ほんとに男性神だったのか?」
「あ、あぁ。実際に服を脱いでもらったわけじゃないが、少なくとも見た目は男だったぞ!」
「なに赤くなってんだ」
ナツナの指摘に、面の上から顔を手で覆って「なぁっ、見えてないだろう?!」と言っていたが、残念ながら顔は隠せても真っ赤になった耳までは隠せていない。
だがそれが真実ならば、世代交代が行われたということだ。三百年も早く。
もしくは
「忌、ねぇ」
忌かもしれないなと、ナツナは精霊が山神と呼ぶ存在に、忌の気を感じていた。
「なにか言ったか?」
「いや、なんでも、聞きたいことは聞けたし、そろそろ失礼させてもらうからな」
しかし、どうしたものか。新しい山神であるならば全く問題はない。山の状態は少し問題だが山神がいるのならどうにかなる。
だが問題は、正体が山神と騙っているものだった場合だ。もしそうならこの山全体がいずれは力尽き。不毛の土地になってしまう。山は枯れ果てて、水源は死んでいく。山崩れなんかの災害も起こるだろう。
そうなれば周辺の人里にも影響する。おそらく千に届くほどの人命が失われるだろう。
物見遊山で踏み入ったナツナだが、これはさすがに予想すらしていなかった。
「で?お前はどうするんだ?」
「まぁ人里に行って調査するよ、少々興味が出てきたからな」
「ふん、好きにしろ、どれ確か人里を探しているみたいだったな」
精霊は「ほれ」と指をさす。その先はこの山の谷のほうだった。
「向こうだ」
「お前は?山神をここで待つのか?」
「決まっているだろう、そもそも私はこの桜だ、そう簡単に動けはせん」
「さすが、精霊の鑑」
「馬鹿にしてるだろう!」
「するかよ、そうだ最後に」
あることを思い出したナツナは精霊の方を向く。
「なんだ?」
「名前は?」
「……下劣な人間に教える名などない」
「下劣な人間、ねぇ……なるほ、ど」
やはり、多少親切にはしてくれるが人間は嫌っているようだ、人間は。
「じゃあ……面霊気だな、じゃあな面霊気」
「面霊気?……やっぱり馬鹿にしているな!?」
と、それからもなにやら怒鳴る声が後ろの方から聞こえたが、ありがたく無視して谷へとナツナは歩みを進めた。
不言鳥 イワズノトリ
南方のある地域では、雉のことを不言鳥と言って、決してキジとは呼ばなかった。
つまりはいわゆる忌詞で、これはその地域の土着神として神格を得た人間が、雉の羽を矧いだ矢にて射殺されたからだそうだ。
ゆえにこの地域にキジは生息しておらず、またその名を言っただけで腹がせいてしまうのだという。




