キツネノゴシュウギ(狐の御祝儀)
山に入ったものの、続くのはひたすらのけもの道。人の手が入っているような形跡はほとんどなく、こうして棒切れで蜘蛛の巣や、成長した草木を叩き落としながらでないと、満足に歩みを進めることすら出来なかった。
本当にこんなところに村などあるのだろうか。こんなにも人の気配のないところを歩き続けていると、デマでも掴んだかと少々不安になってくる。
「全く、どうしたもんかね。それにしてもなんて蒸し暑い所なんだ、ここは」
記憶が正しければ明日から十月に入る。異名では神無月と言ったか。
夏などとうに過ぎ去り、もはや秋に両足を踏み込んでいるはず。にもかかわらずこの春先のような気温と、雨の後のような湿気が山の中に充満している。
時折、木々の間を吹き抜ける涼しげな風だけが、秋であることを教えてくれた。
だがそれも悪いことばかりではないようで、
「蒸し暑いが、景色は良い。気温と水気が手伝っているんだろうな」
この異様なほどの気候のおかげで、草木は鮮やかに生い茂り、岩には一面に苔がむしている。
実に美しい。まるで初夏を思わせるような瑞々しい緑が、ナツナの視界に広がっていた。
頂上まで登れば民家の一つ位見えるだろうか、そんなことを考えながらナツナは山の斜面を進んだ。
ナツナが頂上に着く頃には太陽は真上を過ぎ去り、僅かに西へ傾き始めていた。
忌剥として旅を始めてかなり経つが、この山は旅の中でもかなり辛い環境だった。斜面を登る度に小休止を挟んだり、暑さから逃げるように上着を脱いだりもした。
そうしてようやく頂上に着いたナツナは本来の目的も忘れ、近場にあった倒木に背負っていた箱を叩きつけるように置き、座り込んでしまう。
頂上と言うだけあって風を遮る木々は少なく、とても心地のいい風がナツナの火照った体を癒していく。
体の火照りが削ぎ落ちていくのと反比例するように、体には余裕が満ちてきた。するとなんでもないことが気になってしまう。
香りだ。
熟れた果実のように甘く、絹のように柔らかい花の香り。気を抜けば気のせいかと思ってしまいそうになる程の儚い甘美な香りだが、確かな存在感があった。これは気のせいではない、それに嗅いだことのある香りだ。
この香りは風に乗ってここへと漂ってきているようで、ナツナは風を頼りに香りの元へと向かった。
山を降り、谷へと斜面をいくつか下ったところに少し開けた場所があった。香りがいっそう強まったその広場の中心に香りの正体があった。
「こいつは驚いた」
ナツナはその正体を目にすると、ひどく驚いてしまう。
それはとても立派な桜が、満開の花を咲き誇らせていたからだ。
その姿があまりにも異質で、異様で。見た目の美しさと同じほどの妖しさを秘めていたからだ。
話の終わりに忌の解説でも入れようかな。
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