サカワラ(逆藁)
「……ふむ」
桜は、ナツナの問いかけに考え込む。いやそれよりももっと難しいような、正確には思い出しているように見えた。
それはつまり、桜にとって人間に戻りたいという考えは、思い出さなければならないほどの事であるのを意味していた。
「最初は……特に物心ついた時には普通になりたいと思ったな」
そりゃそうだとナツナは思った。迫害を受けた村の人間というモノの中には、恐らく自らの家族も入っていたはずだ。
山の中にある集落、その閉鎖性と物事の伝達速度は恐ろしいものだ。
人々がそれらを作り出し、自らが作り出すものに人々は怯える。
その怯えの前には家族愛など、芥子粒にも劣るだろう。
結果、迫害や差別という形で目の前に現れる。桜は物心ついたとき、それを一身に受けてしまったのだろう。そして今の彼女が出来上がった。諦めと自嘲を纏った、まるで焼け焦げたかのような痛々しい態度。
だが不思議と、トゲトゲしさは感じなかった。落ち着いた、静けさがあった。
どこか危うささえ感じるそれが、ナツナを余計に不快にさせる。生きている人間にしては静かすぎるのだ。
「まともに生きることさえ許されなかった、昼か夜かもわからない真っ暗な蔵に閉じ込められ、食べ物を食べることも、汚れた体を拭くことも許されない。涙の意味すら分からない子供の頃から、ずっと」
「なんてことを……」
そんな残酷なことを、幼い子供に強いるなんて尋常ではない。人間の、恐ろしい部分だけしか感じることの出来ない暮らしとは、一体、子供にとってどれほど苦痛だったのだろうか。
「それも仕方のないことかもしれない、私はお前さんの言う通り忌だったからな、その時でも枯れた花くらいなら蘇らせることが出来てしまった」
望んでいない力によって、周りから向けられる奇異の視線、対応。
桜が無意識的にできてしまうことが、周りの人間にはできない。理解もできない。
「そして、そんな生活をしていても私は死ななかった、私の持つ力が、全て私の望まない方に向いてしまっていた」
「不死者……か」
別に不思議なことでは無い、山神の力は山の力であり、山の力とは生命力だ。そういうものが桜の体の中に、想像もできないほど巡っている。
人間の基準では、簡単に死ねないだろう。ナツナがそう考えつくのに、さほど時間はかからなかった。
「そう……飢えようが、斬られようが、刺されようが、焼かれようが、私は結局生きていた」
「それは……辛いな」
不死を求める者にとって、この苦しみは理解できないだろう。
死にたくても死ねない。陳腐な言葉だが、実際にその立場に立ってみると、絶望しかない。
崖から突き落とされても、地面が全く近づいてこないような感覚。地面は近づいてこないが、明確な不安や恐怖、痛みが常に体へと、風のごとく吹き付けてくるのだ。
そして願う、地面はまだかと。絶対に近づいてこないそれを求めるようになる。それが不死というものだ。死ねないということだ。
「……お前はやったことがあるか?」
「え?」
「飢えをしのぐために、自分の手足の肉を、自分の歯で骨から削ぎ落とすようなことを」
不幸自慢には聞こえなかった、ただ桜にとっての日常を語った。異常な日常を。
「……俺はまだないな」
桜の苦しみや痛みに共感することはできない、だがナツナも全くの無知では無い。その苦痛がどれほどのものかは知っていた。
「経験することがないようにするんだな、気持ちのいいものでは無い」
「だろうな、気をつけるよ」
「……すまない、誰かと話すのは久しくてね、愚痴ばかり出てしまう」
「いや、貴重な話だったよ」
実際、資料に載ってないことをいくつも知ることが出来た。
「私の忌は、剥げそうかい?」
桜が幸薄そうな微笑みを向け、ナツナに問う。そこに期待は宿っていなかった。
「それは……」
それに対してできると言いたいのだが、その一言がすらりと出てこなかった。桜の苦痛を知るナツナにとって、その言葉の持つ意味と責任が大きすぎたからだ。
「……変な期待をさせたくない」
行き着いたのが、そういう曖昧な返答。
どん底にいる者にとって、中途半端な希望を持たせるほど残酷なことは無い。代わりにナツナは、何一つ桜に希望を与えられなかった。
これ程の無力感は久しぶりだった。目の前にいる者を、自分と似た苦しみを持つ者を救うことが出来ないなんて。
あまりの無力感に、ナツナは歯を思いっきり食いしばった。
諦めを抱いてしまった自分の目を覚まさせるために、戒めるために。
忌を前にして、忌剥が諦めるわけにはいかないのだ。
「やはり、無理だろうな」
「いや、やらせてくれ。約束する、絶対にお前を人間にしてみせる」
「いや別にいいさ、この暮らしももう二十年だ、ほとんどの時を忌として暮らした私にとってはこっちの方が」
「嘘つくなよ、ほんとにいいのか?」
ナツナは静かに、だが確信を持って桜の言っていることは嘘であると突きつけた。
「あぁ……本心からそう言っている」
「……」
「……」
ナツナはただ桜の目を見つめた、傍から見れば睨みつけているように見えるかもしない。
そうして二人の間に沈黙が訪れた。
ぶわっと風が吹き抜け、木々がざわつく音が広場に響き渡る。
ナツナと桜の意地の我慢対決。決して弱い相手では無い、相手は二十年間も諦めて我慢してきた、神様気取りだ。
どちらも負けるわけにはいかなかった。負ければこれまでの自分を否定してしまうから。
完全に拮抗し、膠着した戦いの勝者は、ナツナだった。
「……ほんとか?」
桜にとっては、ほんの少しの綻びだったと思う。耐えようと思えば耐えられたはずだ。それでも、僅かにささくれ立った綻びは広がっていって、
「ほんとに私は、人間になれるのか?」
涙と、弱音が溢れ出す。
口をついて出てしまった弱音と、無自覚的に流れ出る涙に、感情に、体が追いついておらず、桜の顔は無表情に近しいものだったが。何故か、それが憑き物が取れたように見えた。
逆藁 サカワラ
藁を逆さにして屋を葺くこと。これは神の仮宿にむしろ多く見られる。
これを忌とするのは神の誤認を防ぐためや、要らぬ祟りを防ぐためでもある
極々少数ではあるが、忌がすべて凶礼とは限らない。




