idealは愛ではない
ideal
意味:理想
”理想の彼氏 行動5選”
Instagramの虫眼鏡のマークを押すと
そんな投稿が流れてきた。
①寂しいと言ったら会いに来る
どんなときでも私を一番に考えてくれる。
明日が仕事でも
私が寝るまで起きてそばに居てくれるんです。
…
私はそっとスワイプして投稿を閉じた。
あぁもう。
くだらない。
好きって言ってくれて
自分の思うように行動してくれて
彼にこんなことされたよって
周りに言って満たしていく。
それって本当に幸せなのかな。
愛されてるって言えるのかな。
振られてやさぐれた私の八つ当たりは
聞くに耐えず
次の恋を難化させているとしか思えない。
「花奈。起きてきなさい。」
お母さんの声が聞こえる。
昨晩彼と別れた悲しみで
布団にうずくまってふて寝したのを思い出す。
そのまま朝を迎えてしまったのか。
「今起きるから。」
朝だと自覚した途端に
お母さんに加え鳥のさえずりも煩わしくなる。
階段を下りるとほんのり焦げた
小麦の匂いが鼻を刺す。
トーストに蜂蜜を掛けてかじりつくと
テレビでは恋人への不満をハッシュタグで
募るコーナーが映っていた。
「最近彼氏が冷たいです。実は…」
ブツッ
脊髄反射のようにテレビを消してしまう。
「ちょっと。見てたのに。」
と言いつつお母さんはテレビをつける。
しかし今度は即座にチャンネルを変えた。
お母さんはきっと私の失恋に勘づいているのだ
偉大な母である。
これぞ”理想の母親の行動5選”
うんうん、深く頷ける。
するとお母さんが
「ご飯食べたら出かけて日にでも当たってきなさい。買い物でもしてきな。」
と提案してきた。
気分転換に丁度いいかもしれない。
私は着ていく服を
トーストの耳を押し込みながら考えた。
環状線の電車に揺られながら外を眺める。
ほどよいスピード感で走る電車は
新幹線のような爽快感はないものの
生活感を感じる街並みを
ダイジェスト版でお届けしてくれる。
他の車窓に目をやろうとして
ドア前に立っているカップルを見つけた。
「けん君だいすき!」
「おれもすきだよ。」
あぁ、あの子は理想の彼女なのだろう。
電車だよ、公衆の面前で恥ずかしいよ。
などと思う私は理想から程遠いのだろう。
昨日彼に言われたことを思い出して
感傷に浸ってしまう。
「サプライズで来たのに
花奈は嬉しくなさそうだったね。」
「あれはあの時忙しいって
言ってたのに急に来たから。」
「俺がすきって言ったらすきって言ってよ。」
「あれは静かなカフェだったから。」
「もう、なんにもしてくれないよね。
言い訳ばっかりで。」
そんなことを言われた。
逆ギレじゃないか。と思う。
不運なことに、彼のスマートフォンにも
”男が彼女にされたい言動 10選”
の文字があった。
”なんにもしてくれない”のなんにもは
”理想の言動を”なんにもしてくれない
ってことでしょ。
私はあなたが好きでプレゼントあげたり
料理を作ってみたり、ありがとうを伝えたのに
そういう所を汲み取って貰えなかったのが
悲しくてしょうがない。
”なんにも”の重みがのしかかってくる。
プシュー
コールドスリープから目覚めるような音。
電車の扉が音を立てて開くのに気づく。
もう降りる駅だ。
私は足早にその車両から去った。
昼飯どきのフードコートは人で溢れていた。
食事をとる席を見つけるだけで一苦労だ。
フードコートには中華やジャンクフードから
ドーナツやアイスクリーム屋まで
多種多様な飲食店が立ち並んでいた。
私はチェーン展開しているジャンクフード店に
目をつけて
「今日はこれにしよう」
と決めかけたが
思ったより列が長くて躊躇う。
お腹は空いていたので
隣の中華ブースで
ラーメンと餃子のセットを頼んだ。
フードコートでしか見たことのない
音を鳴らすだけの呼び出し機を手渡され
私は再び席に着く。
時間を潰すために取り出したスマートフォンの
パスワードはまだ彼と付き合った日付だった。
急にまた、彼を思い出しては
昨日の嫌なシーンが
切り取られて再生される。
「もう別れよう。花奈は俺のこと、もう好きじゃないみたいだし。」
そう言われた。
今になってみると腹が立つ。
責任転嫁じゃないか。
原因は私の態度だけのような。
これは価値観の違いではないのか。
少なくとも私はそう思っている。
急に責任が嫁いでくる言われはない。
しかし同時に
すきだった彼に
”すきじゃないみたい”
と言わしめてしまったことが
何より悲しい。
私に見る目がなかったと
すぐに開き直れるほど
私は強くなかった。
電車の時のように
深いところに沈んでいた私を引き上げたのは
また、耳を刺す音だった。
中華が私を呼んでいる。
今度は聞き慣れた鐘の音が
私を覚醒させた。
また考えごとをしていたらしい。
彼のことをだ。
気がつくと黒板には沢山の括弧に括られた
数字の羅列がいくつも並んでいる。
この前のジャンクフード店さながらだ。
とくだらないことを思いつつノートを取る。
次の授業は英語らしい。
きっと不真面目な私はまた
彼を思って眠るのだろう。
そう思っていた。
英語の開始後10分は
単語テストが恒例となっていた。
開始10分で眠るほど私は弱くない。
このテストのあと、15分後が睡魔の生息地だ。
1.male
2.whereas
3.sacred
4.rather
5.ideal
6.fit
7.swallow
8.pound
9.business
10.prize
パッと見ただけでも何一つ分からない。
maleって何?
まれ?稀?、めいるかも。
メールって書いておこう。
そんな調子で私は、分かりそうな
male、fit、business、だけ埋めて
後は白紙のまま答え合わせを迎えた。
「maleからいきますね。男性。maleは男性という意味ですね。セットで覚えたいのはfemaleで女性です。」
男性はmanじゃないのかよ。と思う。
「次はwhereasです。だけれども。whereasはだけれども、です。whileと近しい意味ですね。」
この辺から私はやる気をなくしていた。
少しずつ意識が薄れ
睡魔が抱きついてきたのを感じた。
このまま睡魔に抱かれてもいい。
抵抗の意志を示さないことで
私は気持ちよく睡眠にいざなわれた。
”理想”
せっかく気持ちよく寝ていたのに
今敏感に反応してしまう言葉が聞こえた。
理想の彼女10選がまた
脳裏に過ってため息が出そうだ。
顔を上げると、どうやら”理想”の正体は
先程の単語テストの解説らしい。
先生の話が続く。
耳を傾けてみると
「idealは理想という意味です。」
え?あいである?
私は耳を疑った。
よりによって理想という言葉は
海の向こうでは”愛である”などと
言われているのか。
理想なんてくだらないと思っていたのに。
愛である、なんて
私が間違ってるみたいじゃないか。
ただの言葉遊びのような
日本語に聞こえる英語のような
idealは私を煩悶とさせて授業を終えた。
私を覚醒させたidealは
英語の時間からずっと
私の頭に響いていた。
「花奈、ちょっと話聞いてる?」
親友の京子の声にはっとする。
「ごめん、ぼーっとしてた。」
「ちょっとー。まぁいいけど」
京子はパフェの上に乗った
いちごを頬張った。
「それで、何の話だっけ。」
「もういいって。そんなに話したいことって訳でもないんだし。」
「ごめん!聞くから!彼氏のことでしょ?」
「そう、志望校決めて勉強頑張ってるんだよって話したんだよ。最近はずっと自習室行っててさ。」
「寂しかったりしないの?」
「そんなことないよ。寂しくないって言ったら嘘になるかもしれないけど、応援したいから」
京子は謙虚だなぁと思った。
こういう子が理想なんじゃないのか
そう思ってしまう。
ここは京子に相談してみようかなと思う。
「ねぇ京子、理想の恋人ってどんな人だと思う?」
「急にどうしたの?」
私は京子に彼に振られた顛末と
理想の彼女10選への不満を伝えた。
「理想ね。人によるんじゃないかな。」
「それ答えるのはずるくない?」
「ずるいけどそう思うんだもん。」
「そもそも理想と現実って別物だし。理想の行動を取られたらそれってもう理想じゃなくて現実じゃない?」
「待って待って。難しいこと言わないでよ。」
「花奈が始めた話じゃん。」
続けて京子が言う。
「理想に憧れるのもいいけど、欲しがるのはなんかがめついよね。理想を追い求めるなら努力しないと。花奈は理想だけ語って欲しがってる人に不満があるんでしょ?」
「そう!そういうこと!自分の価値観の押しつけみたいになるし!」
京子は芯を食ったことを言ってくれる。
けれどもそれだけではなかった。
「だけどさ、不満に思うのは自分の勝手でも、その価値観を押し付けちゃったら、理想だけの人と同等になっちゃうような気がしない?」
「確かに。私も理想だけを語るのはよくないって理想を押し付けてるのかも。」
「理想って難しいよ。トークテーマが。ファミレスで女子高生が話すことじゃないって。」
京子は微笑みながらまたパフェを口に運ぶが
私から見れば彼女は、理想の何たるかを
まるで解ってるように見えた。
「価値観は押し付け合うものではない。見せあい尊重しながら少しだけ重ねるものである。」
急に決め顔で京子がこちらを見てくる。
「なにそれ。映画とか難しい小説の名言だったりするわけ?」
京子は読書や映画鑑賞といった趣味を持っていた。たまに台詞を引用してくる。
「残念、先週のぽぴゅるんだよ」
「なにそれ。」
なにそれ。しか言ってない。
「幼児向けのアニメだよ。」
京子のカバー範囲への呆れと、幼児向けアニメに諭されている自身への情けなさでため息が出てしまった。
「ぽぴゅるんにはかなわないね。」
「ぽぴゅるんとぷぷるんが喧嘩した時に先生が言うんだよ。」
「それは先生が大人気なくない?」
「間違いないね」
京子と私は顔を見合せて笑っていた。
理想の放課後を過ごさせてくれる京子が
私はたまらなくすきだと思った。
「ぽぴゅるん!すきだよ!」
「すきってことはあいしてるのってこと?」
「あいしてる!」
「あいしてるなら、毎日てつないでちゅーして、毎日ぷぷるんとけっこんしよーね!」
「うん!」
内容が重い。幼児向けとは思えない。
ぽぴゅるんを見た私は開いた口が塞がらない。
たまにある、これ本当に子供向けなの?
といった、何かへの風刺とも取れる内容。
恐らく近々教育委員会的なものが
黙っていないだろう。
そして、ぷぷるんは理想がてんこ盛りすぎる。
私はぷぷるんの価値観で押しつぶされそうな
ぽぴゅるんが元気に返事をしているのを見て
笑いが止まらなかった。
早速京子に、
ぽぴゅるんえぐい
とメッセージを送った。
ぽぴゅるんをみていた私は
嫌なことなど
もうどうでもいいと思った。
「価値観は押し付け合うものではない。見せあい尊重しながら少しだけ重ねるものである。」
ぽぴゅるんの見逃し配信を見て
例のシーンを確認する。
何回聞いても大人気ないよ。と思いながら、スマートフォンを取り出す。
メモアプリを開いて一字一句書き留める。
どうやら私はこの言葉を気に入ったみたいだ。
自室のベッドで横になりながら、今度は動画を見ているうちに、眠くなってくる。
ピコン
いつの間にか寝ていた私を起こした音は
メッセージの通知音だった。
京子からの返信だ。
とまだ薄く開かれている目で画面を見ると
もう一度話したい。
俺がわがままだった。
彼からのメッセージだった。
今なら彼の価値観とやらを
眺めるくらいして
少し重ねてやろうかと思う。
私の気まぐれとぽぴゅるんに
感謝してほしいものだ。
けれど私も私の価値観を
はっきり見せてやろう。伝えてやろう。
私は思う。
”idealは愛ではない”と。