第一話 03
放課後、小布施が教室の掃除当番だったので僕は先に下駄箱へ向かった。教室の外で待っていても「手伝え!」とか言われそうだったので避難してきたというべきか。約束を破ってそのまま帰ってもよかったが、報復として毎放課睡眠妨害をされるのが目に見えているので、ここはちゃんと待つことにした。
時間が経つにつれて下駄箱周辺にたまっていた集団も少しずついなくなり、気づけば僕一人になっていた。なんか、待ちぼうけを食らっている気分だ。教室の外で待って、用も無いのに教室の周りをうろうろしている人と思われるのか、下駄箱に突っ立って、待ち合わせをしていたけど相手に忘れられて尚且つまだそれを知らずにいつまでも待ち続けている人と思われるのか、どっちがマシなのだろう。別に帰りゆく集団に憐れみの目を向けられたわけではないし、むしろ僕は空気みたいな存在で視界にすら入ってないと思うが──それはそれで憐れだけど、これは僕の気持ちの問題か。
つまり待ちぼうけなのだ。僕一人になってから、その時点でかなりの時間が経過している筈なのだが、小布施は依然姿を現さない。
次第に掛け声が聞こえてくる。部活動が始まったのだろう。そろそろ僕も帰宅部としての活動を開始したいのだが──
ここで僕はある可能性を見いだす。
もしかしたら。もしかしたら小布施は僕との約束を忘れて帰ったのではないか。待ちぼうけをくらっているのではなく、普通にすっぽかされたのではないか。
小布施に限ってそんなこと⋯⋯ある。あの自由奔放で強引で卑怯なメガネなら有り得るぞ。例の約束をしたのは一時間目の放課で、その放課から今まで小布施とは話していない。この僕も帰りのホームルームで忘れかけていたところを小布施の姿を見て思い出したくらいだ。
そうだ──小布施はきっと忘れて一人で帰った、というか本屋に行った。
ならばずっと下駄箱にいた僕が見逃すはずがないが、それは見通しが良ければの話で、身長の低い小布施が先程までいた集団に紛れてしまえばその姿を追うことはできない。
なるほど。つまり僕は約束を忘れて一人で帰ろう(行こう)としている小布施の姿に気付くことができず、永遠に来ることのない相手を待ち続けていたということになるのか。
ははは、なぁんだ。一人で帰ったんじゃん。
「僕も帰るか──」
だが、帰宅部としての活動を始めようとしたそのとき、僕はもう一つの可能性に気付いてしまった。
もしかしたら。もしかしたら小布施は約束を忘れずに下駄箱に来たものの、その低身長故に周りの集団から僕を見つけることが出来ずに一人で行ってしまったのではないか──僕が約束を破って帰ったと勘違いしたのではないか。
僕は全ての可能性を潰すことにした。まず小布施が未だに教室で掃除をしているという可能性から。今の今まで、未だに清掃作業中だということは考えにくいが直接教室まで行って確かめないと真相は分からない。
「マジかよ⋯⋯」
果たして、教室には小布施はおろか誰一人居なかった。窓は施錠され電気も消されていて、どうやら掃除はとっくに終了していたらしい。ここで、僕が教室まで向っている間掃除を終えて下駄箱へ向かう小布施と廊下や階段で行き違えたという可能性も考えた。しかし三年生が使うルートと言えば限られている。小布施はあんなやつだが、かと言って変なルートで下駄箱に向かうということはない。ここで言う変なルートとはつまり遠回り。違う階にわざわざ上り、僕に見つからないように頭上を通りすぎて別の下り階段を使って下駄箱に向かうという方法である。
僕に見つからないように。約束を忘れていなかったとしたら、むしろ小布施は僕を見つけたい筈だ。そんなことをする理由がない。
それとも、僕への嫌がらせか──と思ったが、小布施はそんなやつじゃない。やるならこんな陰湿な方法ではなく、もっと直接的な手段をとるはずである。例えば耳ふーとか。
僕は下駄箱に戻り小布施の下駄箱に手を伸ばす。ここに小布施の靴が入っていれば小布施はまだこの学校のどこかにいるということだが⋯⋯。
入っていたのは、小布施の上履き。
「やられた」
小布施が勘違いしている場合、そう思っているのはあいつの方か──だが、普通に約束を忘れている可能性だってある。とにかく、これであいつがもう学校には居ないということが証明された。
「この場合僕はどうするべきか」
小布施の寄り道先なら大体分かる。いつか強引に連れられたことがあって、その前回からの今回なのだ。
小布施は約束を守ったのか、忘れたのか──約束を破ったと勘違いされたとして、僕は今後毎放課睡眠妨害を受けることになるのか。
放ってはおけない。今すぐ真実を突き止めなければ。
僕は慌てて靴に履き替え、走って校門を抜け、学校を飛び出した。寄り道先、周辺に本屋は一つしかない。コンビニを探すよりもまず先にだ。あれだけ言っていた小布施がまさかそのまま家に帰るということは有り得えないので、きっとというか絶対本屋に居る。
学校からはそれほど遠くなく、すぐに到着した。僕は自動ドアをくぐる。
「お、来たな裏切り者」
居た。小布施はラノベを物色していた。
「裏切り者め。お前は今日から裏切り太郎だ。う↑ら↓、ぎりたろう、だからな。覚えたか」
「えーーっと」
「だまれ、黙れ。裏切り太郎に発言権は無い。呼吸権も無い。窒息して死になさい」
「あの、小布施」
「女の子との約束破るなんて最っ低!!」
ぷいっ、と小布施。急に威厳がなくなった。最後までキャラを貫けよ。というかその約束自体、強引なものだっただろう──とは言わないが。
「説明権とか弁明権はありますか⋯⋯?」
「無い。お前にあるのはアキレス腱だけだ」
僕と目を合わせようとしない。小布施のボケは一旦無視して、僕は何とか小布施の勘違いを正そうと試みる。
「お前との約束はちゃんと覚えてたんだよ」
「ダウト!」
「実は下駄箱でずっと待っていたんだよ。お前が掃除当番だったからさ」
「ダウト! ダウト! ダァーーウゥーートォーーーーー!!!!」
「そして、実は教室まで様子を見に行ったんだ。ところがどっこい、掃除なんてとっくに終わっていた!」
「ウノ!!!!!」
全然ダメだ。全く信じてくれない。
「よくもそんな嘘八百を並べられるわね!! 嘘マイスターにでもなったのかなぁっ!! 私との約束を破るということはつまりつまりそういうことよ!! 覚悟しなさい!! 毎放課睡眠妨害してやるんだからっ!!」
目線は手にとっていたラノベに集中していたが、言葉の切っ先はもれなく僕に向かっていた。すごい、全部にエクスクラメーションマークが付いてる。これは相当お怒りの様子。
「どぉーどぉーどぉー⋯⋯」
「きぃぃぃっっっ!!」
どうしたものか。うーん⋯⋯。
「大体お前が僕を見つけられなかったのが悪いだろ! 僕はちゃんと待ってたんだよ!」
ついに逆ギレしてしまった。でもこれは正当な逆ギレではないだろうか。少なくとも強引な約束と理不尽な待ちぼうけに対しては。
「なっ⋯⋯! っお前ぇっ! 私の身長が低すぎるって言いたいのか! 身長が低いすぎるせいで周りの集団に隠れてお前を見つれなかった私が悪いのか! いいや違う! お前が私を見つけられなかったのが悪い! 私の身長が低すぎるせいでぇっ⋯⋯私の身長が、低すぎる⋯⋯から⋯⋯私の⋯⋯身ちょ⋯っうっ⋯うっ⋯⋯」
背を向ける小布施。肩が小刻みに震えている。え、嘘でしょ。
「うっ⋯⋯ううっ⋯」
えーーーーーーーーーー。
「おぉい⋯⋯そんな、泣くなよぉ⋯⋯」
このタイミングで泣くのか、お前はいくつだ。ガラスのハートすぎるだろ。⋯⋯チッ、完璧にしくじった。小布施を傷つけまいと折角オブラートに包んで言ったのに、まさか自分で傷口をえぐりにいくなんて。経緯は複雑とはいえこの状況だけ切り取ってみれば百ゼロで僕が悪者だ。
「どうせ私はチビだよぉっ!!」
それを自分で言うなよぉっ!! やめろやめろ、その言葉を用いた自傷行為を今すぐやめろ、ふわふわ言葉を使うんだ。
まずい──このままだと確実に毎放課睡眠妨害されてしまう。それだけは嫌だ!
とにかく小布施を元気付けて、機嫌を良くして、会話ができるレベルにまでもっていこう。
「その小柄も、妖精さんみたいで素敵だよぉ⋯⋯。かわいいよぉ⋯⋯」
「からかってんのか! この████!」
この世のモノとは思えない暴言を浴びせられた。お前のボキャブラリーどうなってるんだよ。心配になるよ。
「馬鹿にしやがって!! お前なんか████だ!! ████の████で████████!! ████の████の████野郎!!████、████████っっ!!!! バーカバーカ!!大体お前は████なんだよ!! この████!! ████████████っっっ!!!」
ずっと小布施のターン。
「ぐずっ⋯⋯ぐずっ⋯⋯ほらぁっ、ここに泣いてる女子がいるぞ⋯⋯優しくしろよな⋯⋯⋯」
一通りの猛攻を終えようやく新しいコマンドが出現した。
「あぁ⋯⋯うん」
そうだ、優しくしてあげないと。頭で撫でてあげようか──いやいやそれじゃぁまるで僕が小布施との身長差を見せつけているようではないか。かっと言ってハグでもしようものならきっと突き飛ばされるに決まっているし、はたまた言葉の優しさなんてものは今の小布施の前には無力だ。
「お前の金でこの新刊を私にプレゼントしろよな⋯⋯」
ここで小布施がチャンスを提示してきた。なるほど、これをもって復縁か。よかったよかった。それくらいお安いご用だ。僕は背を向けた小布施に財布を提示する。
「わかった⋯⋯僕が買ってあ──」
「⋯⋯⋯。⋯⋯⋯」
冷静になって、間をおいて。
「──買ってあげない」
「なんでやねんっ!!」
小布施がぐるっと振り返り僕を見つめる。その瞳には涙ひとつ、悲しみの色ひとつ、見えなかった。
というか最初からこいつは泣いていなかったし傷ついてすらいなかった。
「あともうちょっとだったのにぃーーー」
「心の声が漏れてるぞ」
危ない危ない、僕は騙されないぞ。お前はそういうやつだからな。
「私の計画が⋯⋯」
「計画? なんだよそれ」
小布施は伏し目がちに、渋々語り出す。
「名付けて『お涙パワーで新刊を買ってもらおう☆計画』だ。まずお前に断られるのを承知の上で本屋に行こうともちかける。そしてなんとかお前と本屋に行く約束をして放課後を待つ。掃除当番である私を教室の外で待っているわけがないお前は先に下駄箱へ向かう。掃除が終わった私はお前が教室まで迎えに来る可能性を考慮して、上の階に上ってからお前に見つからないよう移動し、別の下り階段を使って下駄箱に向かう。ここで、一番の難所であったが、私はお前に見つからないように近く集団に紛れ下駄箱を突破し、この本屋へ一人で先に向かいお前を待つ。そして、私との約束を破ったという罪悪感にかられたお前はまんまとここにやってくる。激昂ののち泣きだす私を前に、どうにかして私の贖罪を試みるお前は新刊を買い、私にプレゼントする──という計画だ。⋯⋯まぁ、残念ながら失敗に終わったが⋯⋯」
「ほう⋯⋯⋯」
たちが悪いどころの話じゃなかった。なんて奴だ。こいつが女じゃなかったら殴ってる。そうじゃなくてもデコピンくらいはさせてほしい。僕が裏切り者ならお前は卑怯者だ。それになんとかの部分が不確実すぎるだろ。僕が女子の悲痛な叫び(演技だったけど)にも動じない冷徹なクズ野郎とかだったらどうしてたんだよ。
「ちゃんちゃん♪」
「ちゃんちゃんじゃねぇよ!」
可愛く笑うが何も可愛くない。眼鏡かち割るぞ。
「実はお前が下駄箱で待っていのは知っていた、てか視認していた。なんか、めっちゃ惨めだったなぁっ!」
「こんのぉっっ!!」
危うく小布施に手を出すところだった。押し倒していろんなことをするところだった。 いや⋯⋯いっそのことボコボコにしてやろうかな、女だろうが何だろうが構わない⋯⋯そんなもの、免罪符にはならない。
「獣の目をしておるな。獣と書いて『けだもの』と読む方の」
「ぐるるる⋯⋯」
もしかしたら今僕は涎とかを垂らしているかもしれない。
「まぁまぁ落ち着きなされ、旦那ぁ。あっしは諦めてこれを自腹で買うでござんすよ。さぁ、その下心をおさめてくだせぇ」
何事もなかったかのようにスタスタとレジへ向かう小布施、それを獣の目で追いかける僕、僕等が居座っていたコーナーにすかさず入り込む中学生グループ。
「結局お前の目的は僕にそれを買わせることだけだったのか? よくもまぁそんな穴だらけの計画を実行に移せたな。というかお前、いつからそんな計画考えてたんだよ」
ふふん、と別にずれてもいないのにクイッと眼鏡を上げる小布施。
「ゲーム服従契約アーム永久絶対デスで、私が迫真の演技を披露したときさ。女子に暴力振るったらどうなるか分からせてやろうと思ってな」
「なんで腕相撲が暴力になるんだよ」
そもそも小布施が仕掛けたバトルである。こいつは何を言っているのだ。
「でもでも、痛かったのはホントだぞ!」
「ダウト」
「ホントだもん!! 私の手の親指の付け根あたりのちょっとモチモチしてるところに爪がくい込んで痛かったのぉ!!」
「ダァーーウゥーートォーーーーー」
「真実と書いて『マジ』!!! ほら見て見て見て!! 痕、痕、痕! 残ってるでしょほら痕ぉっ!!」
「ウノ!!!!!」
「は? お前何言ってんの⋯? きっしょ⋯⋯一人ウノとか、ぼっちLv.100かよ⋯⋯はやく神殿に行って転職すればぁ?」
キャラ変したところで小布施がレジに到着。僕に反撃の余地は無かった。このボケのカードは二度と使わないようにしよう。
会計を済ませた小布施はブツを大事そうに鞄にしまい、さっさと帰ろうと出口に向かっていた僕をスキップで追い越し自動ドアをくぐった。とても満足げな小布施、全力疾走からのネタばらしで思いっきり疲弊した僕。対照的でとても面白くない。
本屋をあとにしてようやく僕は帰路につく。
「んふふふふ。ま、そんなわけでお前は来てしまったわけだね。私と本屋に」
「お前と来たわけじゃないからな」
油断していると時空を歪めてくる系女子こと小布施濯だ。
「じゃあ、僕は帰るからな」
「えっ⋯⋯もう帰っちゃうの」
萌え袖で軽く握った手を口元にあて、少し首を傾げつついつもより息多めの声で放たれたセリフだった。うん⋯⋯可愛いよ。イカれ外道の卑怯者さん。
「そーゆーのは、多分長袖のセーターでやるのが一番上手くいくと思うが」
「え、そうなんか。でもでも逆にブラウスでやると何か色っぽくないか?」
「なんだよ逆って。そもそもお前には色っぽさの欠片も無いからな」
「傷ついた!!」
少し歩くと交差点が見えてくる。そこを渡った向こう側が小布施の家方面だ。何故分かるかと言うと、以前無理矢理連れてこられたことがあるから。
横断歩道の信号がちょうど青になっているのが遠目に見えたので僕は小走りで──
「歩道橋使お」
振り返ると、小走りの僕をきょとんと見つめて横断歩道の直前にある歩道橋の前で立ち止まっていた小布施。僕はすぐ近くに横断歩道がある場合、歩道橋は『あっても使わない』派である。だから横断歩道直前の歩道橋は完全に眼中に無かった。しかも信号は青である。渡ってしまえば良いものを、わざわざ階段を上って遠回りをする必要はない筈──今、歩道橋を使うメリットは無い。
しかし小布施は、一瞬僕が先走ってしまったのではないかと思うほどに、当然のように歩道橋の前で足を止め、僕の姿を追いかけていた。
まるで、青信号に足を止めているかのように。