第一話 01
そろそろ僕が主人公の物語が始まっても良いと思う。映画でもドラマでもアニメでも漫画でも小説でも良い。別に読み切りでも良い、何か始まってくれるのなら。もう18年も生きてきたんだ。何か特別な、スピリチュアルな、ロマンチックなとまでは言わないが不思議なイベントが起こって欲しいと──異世界にでも転生したいと、ここ三年くらい願っている。
超能力とか欲しいし魔法使いたいし世界を救いたいのだ。言っておくが僕は恥ずかしくない。僕は森羅万象に淡い期待を抱きつつ神様の気まぐれを逃がさないようにずっと待ち構えていて、朝の目覚めにいつも期待して、行きの電車で運命の出会いに期待して、ホームルームで先生の話にいつも耳を傾け謎の転校生を期待して、気づけば何事もなく帰路についていて、帰りの電車の顔ぶれもほぼ変わらず、そのうち日は沈み、適当に一日を終わらせる準備して──。
いや、何か起きろよ。空から女の子とか落ちてこいよ。逆に僕ほど諦めの悪い人間もなかなかいないだろ、神。僕の人生の喜び成分を半分捧げるから僕の願いを叶えろよ。魔力をくれよ。もしくは美少女にしてくれよ、黒髪の。それか(略)。
もっとも、この僕の思いを外に出すことは口が裂けてもそれこそ死んでも、ないけれど。だって恥ずかしいじゃん普通に。
「起きたら異世界に転生してますように」
異世界転生──なんて魅力的な響きだ。誰もが一度は憧れたのではないだろうか。誤解されたくないのだが、別に僕は現実世界にとても向き合えないというわけでもなく、アニメの観すぎというわけでもない。寧ろそういうのには疎い方で、特に興味もない。逆に興味があるのはオカルト方面のもので、小学生のときはUFOを探したり夜の学校に勝手に入ったりしていた。怖い、という感情よりも好奇心の方が勝ってしまうのが僕だ。怪しい儀式の本やサイトも沢山見た。
僕が求めているのは刺激で、一生涯忘れられないような経験だ。
僕の人生の歯車を狂わせてくれる何か──例えば、異世界転生とか。
ただ、希死念慮はない。もしかすると僕が望んでいるのは異世界転移かもしれないが、勝手なことを言うと生まれ変わりたいのだ。
この世界を捨てるのではなく、別の世界を生きたいのだ。そこにマイナスなイメージを持つのは少し違う。
他の誰かになりたいという我儘でこの世界を生きる誰に対しても失礼で横暴な願いだ。僕は死にたいわけじゃない。むしろ生きたい。
ゆっくりと目を閉じて─いや、もしかしたら明日こそは、と思う。
そして朝、僕は眠りから意識が戻ってもすぐに目を開かない。まず耳を澄ませ、次に肌で周りの状況を感じとる。ふむ、どうやらこの場所は無音で風も無いらしい。そして僕は今何らかの状態で倒れていて、毛布らしきもので体を守られている。
──つまりここは謎の祠か精霊の泉で僕は眠りのうちに異世界に転生したのだ!
勢いよく目を開き、起き上がり、いつものように舌打ちをする。
転生してるわけがなかった──あんなにフラグを立てたのに、これじゃあ僕が馬鹿みたいじゃないか。
無音と言ったが、遠くの方から微かにニュース番組の音が聴こえていたし(きっと父親が見てるやつ)、窓を閉めきっているのだから無風なのも当たり前。僕は立ったまま寝ないし普通に布団もかぶる。そんなこと分かってるんだよ──と、そんなことを毎朝思う。
洗面台の鏡に映るアホ面。寝癖だけは立派なこの男に神の御慈悲か御気まぐれを。
祠で目覚めたことも泉で目覚めたことないまま突入した高校生活最後の一年、僕の人生の歯車が狂うことはあるのだろうか。もう神じゃなくても、何なら犬とかでも良いから、何でも良いから僕に僕の知らない世界を見せてくれ。何も無いままありふれた日常で飽和していくのは嫌なんだ。
嫌なんだ。
さて、僕はまたしてもフラグを立てたぞ。前説でこれくらいアピールしてればさすがに何か起こるだろ──そう、この感じだ。
謎の感覚、言葉に表せないような空気のうねり、根拠の無い浮遊感。少し違うがテスト前日に全く勉強していないにも関わらず謎の自信があるというあの状態。
──今日は何だか、転生できる気がする。
「そして始まる、僕の物語」
こんなことを一人で、しかも朝っぱらから言ったりとかしているが、僕はちっとも恥ずかしくない。
だから今日も今日とて、見飽きた景色に目を光らせている。小さな変化も逆に気付かないような大きな変化も敏感に感じとるように。まぁ、今のところ僕の周りで変化らしい変化はないけれど。なんというか、変化が無くて退屈というより、何も無さすぎて不気味だ。もしかしたら僕はとんでもないことを見逃しているのかもしれないと、謎の焦りすら感じる。
だから早く答え合わせをしてほしいのだ。
と、このときは思っていた。
そしてこれは別にフラグでも何でもないのだが、その答え合わせは僕が祠でも泉でもなく自室で目覚めたこの日から丁度一週間後になされることになる。
先に言っておくと、その一週間のうちに僕が異世界転生するという展開は無いし、映画のようなドラマようなアニメのような漫画のような小説のような出来事があるわけでもない。その一週間で僕が見たのは変わりないありふれた日常であり、疑う余地のない普通の世界である。また、実際に僕がとんでもないことを見逃していたという事実も明らかになったが、それは僕にとってとんでもないことであり、人に聞かせれば笑い者レベルのことである。
そこにあったのはやはり普通の世界だった。
じゃあ普通の世界とは──じゃあ異世界とは。
そもそも転生とは。そんなことを、そんな馬鹿らしいことを僕に教えてくれるやつがいた。
「あなたの物語は始まらない」
でも、このセリフは僕にとって、高すぎる壁を提示され終わり決定付けられるものではなかった。
何故なら今の今まで、僕の前には壁すら現れなかったのだから。
始まりもしなければ終わりもしなかったのだから。
つまり、一週間後のこのセリフを境に、僕の物語が始まったということだが、それは僕以外の人間にとっては何でもなく、変わらない日常の一部でしかない。
逆に、僕以外の人間の物語も、僕の日常の一部でしかない。
変わらない日常に目を光らせて、変化を見つけるというのは、つまり不可能だったというわけだ。
僕が見るべきだったのは、目を光らせるべきだったのは、僕自身だったということ──僕の人生の主役は僕だということに、もっと早く気付くべきだった。
そのことを、この朝の僕はまだ知らない。