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さかさま遊び 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶらやくんは、天気の悪い日はどうやって過ごしている?

 まあ、たいていは屋根の下でおとなしくしているだろう。いや、おとなしくしたいと心も体も思っちゃうのが、本当のところかな?

 人間は恒温動物。ある程度、体温は一定に保っていないといけない。身体を冷えさせるような環境から逃げたく思うのは、もう本能といっていいかもだね。

 他の動物たちも、体温以外の理由で雨から逃れようとするものが多い。身体が重くなるし、図体によっては雨粒そのものが、致命的になることもあるだろうね。


 けれど、このとかく避けられがちな雨の時間。体のいい露払い……というと妙な言い回しだけど、場を整えるのにはうってつけの気候なのかもね。

 僕の聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?



 僕の実家は、毎年のように台風がよくやってくる地域でね。

 少し年季の入った家だと、敷地の南西側へ「く」の字になるような、生垣を植えている。

 僕自身が作ったことはないんだが、生垣とひとくちにいっても、境界線に植栽するだけのパターンと、親柱を一定の間隔でおいて形を整えるパターンがあるらしい。

 

 僕たちのところでは、圧倒的に後者の作りが多い。たとえ生命力たっぷりにはびこっている垣根でも、そのてっぺんから柱の頭がのぞいているからね。

 ただその柱の先というのが、少し妙なんだよ。

 頭をのぞかせているのは、真ん中をくりぬいた竹のさお。そこをよくよく見てみると、細長い針先が、20センチほど飛び出しているのさ。

 晴れている日とかだと、明るさの中に針が溶けてしまい、ほとんど視認できないほど。

 有刺鉄線みたく、泥棒よけの一種として機能しているのかと思ったけれど、親に聞いてみると少しばかり事情が違うらしかった。

 それは嵐の日にやってくる「さかさま遊び」とやらのためだという……。

 

 

 話を聞いた、その年の夏。最初の台風が僕たちの地元にやってきた。

 さかさま遊びとやらを見届けたい僕は、雨粒が叩きつけられ、しきりに揺れるベランダへ面する窓の下で、じっと生垣を見つめていた。

 自分がのぞくところ以外、雨戸は閉じ切っている。それだけ危ないことが伴うかもしれない、と前置かれていたからだ。

 ある程度安定してきた窓の表面を、吹き込む雨粒たちが新たに洗い、何度も歪んだ顔へと直していく。それはあたかも、これから起こることを誰にも見せまい。見せたくないと、暗に伝えているようにも思えた。

 それらを無視し、僕は窓の向こうの生垣の一部。あの針の先端へと意識を凝らしていく。

 

 

 どれほど経っただろうか。

 空ばかりでなく、あたりも薄暗さを増してくる中。水をたたえたガラスの歪んだ景色の中に、きらりと光るものがある。

 雷じゃない。もしそうだったなら、目にする景色すべてがまばたきするように照らされる。

 光ったのは、柱の先。いまはもう、ほとんど見えなくなっている針の先っちょだった。

 光った直後からだ。ついさっきまでなかった、ほのかに黄色に輝く粒が針の先にまとわりついていた。

 乗っかるというより、先端全体を包んでいるかのようだ。あるいはもずのはやにえのように、針先に中心を預けたうえで、だらんとしぼみきっているようにも見える。

 

 なんだ? と見守り続ける僕の前で、やがて粒はぴょんと跳ねた。

 柱一本しか見られないほど、雨戸を閉じていたから気づかなかった。この光の粒は、他の柱の針にもできていたんだ。

 飛んでいく光の粒に、磁石でもついているかのように、雨戸に隠された空間から、いくつもの粒たちが追い付いていく。

 空中でまとまった無数の粒たちは、野球ボールほどの大きさに。そのままもう一度、強く輝いて僕の目をくらませた。

 

 次に僕の視界が戻ったとき、雨戸に塞がれた景色を行き来する、光の球の姿があったのさ。

 僕から見える視界を舞台に。雨戸に隠された部分を袖に。球は忙しくその間を行き来している。

 当初こそ、さっと目の前をよぎるようなものだったが、この往復は一定の速さで行われるものじゃないらしかった。緩急をつけた弾道もあるし、そもそも一度引っ込んでから、しばらく返ってこないときもある。

 それが長く続いたとき、僕はこれが「遊び」と称された意味が分かった。

 

 

 ラリーだ。これはテニスや卓球でいうところの、ラリーであり、球の打ち合いなのだと。

 いまだ雨降り、風がうなる外。生垣からはみ出す緑は、ひたすら煽られるままに身体をなびかせ、雨戸たちは自分たちだけが見られているだろう景色に、絶えず震えを見せている。


 ――一体、何を見ているんだ。雨戸たちは。


 僕は誘惑されるがまま、雨戸に手をかけようとして。


 光の球が飛び込んできた。僕が先ほどまでのぞき込んでいた、雨戸のすき間へあやまたず。

 雨戸に触れようと、窓を開けてしまっている。必然、ノーガードで光の球を受け入れた室内は、その畳でもって輝きを受け止めてしまった。

 たちまち昇る、焦げの臭い。そして煙。親にいわれて、すぐ近くに水入りバケツを控えていなかったら、ぼや騒ぎになっていたと思う。

 それから台風が過ぎ去るまで、あの光の粒を目にすることはなかったよ。



 きっとあの台風が、はからずも彼らの遊び場の「清め」になっていたんだろうな。

 でも、趣味で遊ぶ姿を見られたくないと思うのは、彼らもまた僕らに近い考えなのかもしれない。


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