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第一章  かくて戦姫は叛旗に散る  その④



「何事かえ、ランマル? なんだか城外そとが騒がしいようだけれど……」


「敵襲にございます、陛下!」


「……敵襲ですって?」

 

 一瞬遅れた反応が、女王の心情を如実にあらわしていた。ランマルの報告に、女性らしからぬ剛胆な為人ひととなりで知られるフランソワーズもさすがに驚いたようだった。

 

 そりゃそうだろう、とランマルも思う。

 

 なにしろここは戦場の最前線でもなければ、敵国との国境付近でもなく、国都にもほど近い王国領のほぼ中央に位置する静養地なのである。

 

 近隣の町には国軍が常駐する城塞も建っており、まさに絶対的安全地帯ともいえるこんな場所で、まさか敵の襲撃をうけるなどと誰が考えようか。

 

 しかし、だからといって動揺や狼狽などしないあたりが、この剛胆な女王の真骨頂であろう。


 不敵という表現にふさわしい微笑を浮かべながら、フランソワーズはランマルに問うた。


「それでランマル。こんな夜遅くにふざけた真似をしてきたのはどこのどいつ? 例のホンガン寺院のタコ坊主ども? それとも、またぞろ不平農民どもがトチ狂ったのかしら?」


「い、いいえ、それが……」

 

 声をくぐもらせたランマルに、フランソワーズの顔から笑みが消えた。


「何よ、はっきり言いなさい、ランマル」

 

 強い語調でうながされてランマルは意を決した。

 

 顔をあげ、フランソワーズの白皙の顔を正視しながら口を開く。


「現在、この城を取り囲んでいるのは僧兵でも武装農民でもありません。大砲まで有しているれっきとした軍兵にございます」


「軍兵? どこぞの国の正規軍による襲撃だというの?」


「はい。それも異国の軍兵ではありません。彼らが陣頭に立てている軍旗の紋章は火焔鳥フェニックス。すなわち現在、この城に攻撃をしかけている軍勢は、わがオ・ワーリ王国のフェニックス騎士団にございます!」


「な、何ですって、フェニックス騎士団!?」


「…………」 

 

 これほど狼狽にひび割れたフランソワーズの声を、ランマルはこれまで聞いたことがなかった。驚愕のあまりに歪んだその顔もしかりである。

 

 それだけに女王がうけた衝撃の深さというものが窺い知れたが、だからといってランマルとしてはここで報告をやめるわけにはいかないのだ。

 

 あえて気づかぬ態をよそおい、ランマルは続けて事態の核心部分を告げた。


「はっ。他にも藍色の布地に白薔薇が描かれたオ・ワーリ国旗も確認しておりますれば、もはや疑う余地はございません。現在、この城に襲撃をしかけているのはまちがいなくフェニックス騎士団であり、これが意味することはひとつ。すなわち、同騎士団団長ヒルデガルド将軍、謀反にございます!」

 

 それに対するフランソワーズの反応は「無」だった。

 

 この場合、沈黙は怒りの表現ではなく「まさか!?」という底知れない困惑の発露であり、まるで喪心したような態でソファーの上で固まってしまっている。

 

 大きく見開かれたその碧眼は、まっすぐに忠実な主席侍従官の顔に注がれていたが、ランマルを見ていないことはあきらかである。

 

 フェニックス騎士団――。それはオ・ワーリ国軍の主力たる四騎士団の一翼にして、国軍の最精鋭の軍団であり、その団長たるヒルデガルド将軍は、女性ながらに次期王国大将軍の最有力候補と目されている重臣中の重臣であった。

 

 まだフランソワーズが女王に即位する以前の、内親王時代から近衛騎士として仕えていた古参の側近であり、現在では誰もが女王の右腕と認めている忠臣である。

 

 それほどの人物が謀反を起こしたというのだから、フランソワーズでなくとも驚愕のあまり自己を失ったであろう。


「あのヒルダが謀反……?」

 

 ややあって発せられたその独語は小さく低く、おそらく発声者本人ですら自覚していないものと思われた。

 

 そんなフランソワーズに、ランマルもかける言葉もなく沈黙していたのだが、やがてひとつ息を呑み、いまだ自失状態から脱けきれていないフランソワーズに退城を促した。

 

 女王の滞在先している城を襲撃してきた以上、敵の――ヒルデガルド将軍らの狙いがフランソワーズにあるのは確実であり、そうである以上、いつまでも城内に残っていたら捕縛、否、まちがいなく殺されてしまうからだ。


「と、とにかく陛下。一刻も早く城よりお逃げくださいまし。今ならまだ間に合います!」

 

 ランマルが退城を急くのには理由がある。

 

 このホンノー城は、この地を治める地元の貴族が自身の静養先として築いたものであり、城塞としての機能は皆無にひとしく、外からの襲撃に対する備えなどはまったくされていない。

 

 例えば城内の扉や壁は鉄板などで補強されておらず、大砲の類も一門たりともおいていない。そもそも武器庫すらなく、まさに滞在するためだけの城なのである。


 それでも救いなのは、湖の中の浮島に建っている城ということであろう。

 

 湖岸から浮島に入るには一本しかない石橋を渡る以外になく、それは今、襲撃をしかけているフェニックス騎士団も同様である。

 

 彼らが橋を渡って城内に攻めこんでくる前に、城からひそかに小舟に乗って反対側の湖岸に渡り、そのまま近くの町まで逃れて国軍が駐屯する城塞に駆けこむ。


 その後は各地の国軍や貴族の私兵団などを呼び寄せて、あらためて謀反を起こしたフェニックス騎士団を討伐すればいい。それがランマルの考えであった。

 

 なにしろ残りの国軍と貴族の私兵団とを合わせれば、その兵力はゆうに十万は超える。いかにフェニックス騎士団が国軍随一の精鋭集団とはいえその数は五千ほどで、この圧倒的な兵力差の前ではなすすべがないであろう。


 いくら【不敵で無敵】をモットーとし、強情で意固地でワガママでヒステリックで、家来からの諫言をゴキブリ並に嫌っている唯我独尊な女王とて、自分の命がかかっているとあればこの退城勧告には一も二もなく素直に従うはず。

 

 そうランマルは信じて疑っていなかったのだが、しかしこの直後。それがとんだ思いちがいであったことを彼は知ることとなったのである。


「ともかく陛下、お急ぎください!」


「是非に及ばずよ、ランマル」


「……は?」

 

 それまでの自失した態から一転、意外なほど明朗な声が返ってきたことにランマルは驚き、慌ててその顔を見直した。

 

 白皙のその顔にはさっきまで浮かんでいた驚愕や困惑の色はすでになく、かわって吹っ切れた、ある種の「達観」したような表情が広がっていた。

 

 その表情に、たちまちランマルの胸の内に得体の知れない不安が膨らんだ。


「ぜ、是非に及ばずとは……?」

 

 おそるおそる問うたランマルに、フランソワーズは薄く笑ってみせた。


「お前も知ってのとおり、ヒルダは緻密で隙のない戦術を得意とする当代の名将。そのヒルダが謀反を起こしたからには、成功させるだけの勝算と確信があったからにちがいないわ。となれば、すでに湖岸一帯は彼女の軍勢によって十重二十重に取り囲まれ、もはやネズミ一匹すら逃げることはできない状態のはず。逃げだしたくとももはや無理よ」


「へ、陛下!?」

 

 達観したというよりは、どこか捨て鉢的な女王の一語にランマルは声をあえがせたが、一方で彼女の指摘が正しいこともランマルには理解できた。

 

 女王即位後から今日にいたるまで、フランソワーズが国策として推進してきた王国領拡大計画、通称【天下布武】の中心を担い、その前に立ちはだかるあらゆる敵対勢力を傑出した知略と武勇をもって打ち倒し、女王の覇道を切り開いてきた人物。それがフェニックス騎士団長ヒルデガルド将軍なのである。

 

 それだけの人物が謀反を起こしたということは、女王の言うとおり高い勝算をもって乱を起こしたことは容易に推察できるし、おそらく事実であろうとランマルも思う。

 

 しかし、だからといってこのまま逃げずにいたらどうなるのか? 


 そんな子供でもわかる理屈が理解できない女王ではないのだが……。


「ついてきなさい、ランマル」

 

 唐突に声を向けられて、思案の淵から脱したランマルはあわてて視線を走らせた。

 

 視線の先でフランソワーズはすでにソファーから立ち上がっていて、胸元が大きく開いていたローブもきちんと直してどこかに向かおうとしていた。


「へ、陛下。どちらへ?」

 

 だがフランソワーズは答えることなく、無言を守りながら部屋を出ていった。

 

 ランマルも慌てて立ち上がり、その後をついて行く。

 

 ほどなく歩き出た廊下でフランソワーズは、そこで心底から青ざめた態で右往左往していた女官らに何事かを指示すると、女官たちは一様にうなずきその場から駆け去ってった。


 そんな彼女たちの姿が廊下の角に消えたのを見計らい、フランソワーズは備え付けの窓から身を乗りだすようにして外の様子を眺めやった。

 

 このときすでにフェニックス騎士団の軍勢は、橋の中腹付近まで攻めこんでいたが、それを城の警備兵たちが弓矢を放つなどして応戦し、それ以上の進入を押しとどめていた。

 

 百人にも満たない城の警備兵の前に、数で圧倒するフェニックス騎士団が攻めあぐんでいる理由は橋の幅にある。もともと大人数の移動を想定して造られた橋ではないので幅は以外に狭く、一度に通れるのはせいぜい二十人ほど。

 

 いかに数千の軍勢とはいえ、警備兵たちにしてみればその二十人に絞って矢の雨を浴びせればいいわけで、望外の幸運と言えた。

 

 だが地の利を生かして今は神がかり的な善戦を見せている警備兵たちも、生身の人間である以上、気力体力双方でいつかは限界がくる。その前に女王には城から脱出してもらわなければならない。

 

 そう考えたランマルはあらためて退城を迫ろうとしたのだが、それよりも早くフランソワーズがおもむろに声を向けてきた。




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