第七章 かくて戦姫は絆を断つ その⑦
「ランマル卿、王城が見えてまいりましたぞ」
ふいに鼓膜を刺激した馭者のその声に、それまで馬車内で半ば眠りこんでいたランマルはゆっくりと瞼を開けた。そして窓の外に視線を向けたとき、彼は軽く驚いた。
自分の中ではまだ昼を過ぎたあたりと思っていたのに、馬車から望む国都の町並は、いたるところ夕陽によって朱色に染まっていたからだ。
今の時期と日没の時間から推察するに、辰の後刻(午後五時)といったところであろう。「もうこんな時間か」と内心でつぶやきながら、ランマルは実に二ヶ月ぶりに見る国都の街景をどこか感慨深げに眺めやった。
そのランマルであるが、二ヶ月もの間、国都を離れてどこで何をしていたのかというと、先の謀反における「戦後処理」のために国内各地を奔走していたのである。
先の内戦後、一連の謀反に加担した貴族や騎士たちの領地はことごとく没収され、その大半が王家の直轄領となったのだが、没収したからそれでよしというわけではない。
領地の規模を正確に検分したり、所有する財産の額を精査したり、新たに領地を治める代官などの人選を決めたりと、処理しなければならない事案は山ほどあるのだ。
そして、その種の重要で忍耐と根気と緻密な仕事が求められる「クソメンドクセー(某エリート宮廷官吏談)」役目は、高確率でランマルに下されることになっており、かくして女王の勅命をうけた某エリート官吏は、つい先日まで王国内を西に東に駆けずりまわっていたのである。
それでも検地や人事の決定だけで済めばまだよかったほうだ。現地に赴いたランマルを手こずらせ、かつ悩ませたのは、頑なに領地の明け渡しを拒む貴族たちの存在であった。
むろん大半の貴族は苦渋の思いを抱きつつも女王の仕置きに素直に従い、おとなしく屋敷や領地を明け渡して新たな居住の地たる国都に移住してくれたのだが、一部の貴族の中には、
「先祖伝来の領地を奪われるくらいなら死んだ方がマシだ!」
とばかりに家族や親族とともに屋敷や城に立てこもり、検分や調査に抵抗する者たちがいたのである。
謀反に加担しておいて何を言うか、という反発の気持ちがある一方、父祖から代々受け継いできた領地を失った彼らの心情は、同じ貴族であるランマルにはそれなりに理解できるし、爵位まで剥奪されて「平貴族」に転落したことに自暴自棄になるのもわからなくもない。
だが彼らに同情していつまでも手をこまねいていたら、今度はランマル自身がフランソワーズの不興をかいかねない。
調査を担当する文官以外にも千人ほどの兵士をともなっていたランマルには、その気になれば彼らを武力で排除することもできた上、実際に彼の補佐役を務める騎士たちの中には「いっそ屋敷に火をつけて燻りだすべきでは?」という苛烈な意見を主張する者もいたのだが、ランマルはあえてその種の強硬論には耳をかさなかった。
犠牲をともなう苛烈な手法が自身の「スタイル」でなかったこともあるが、一番の理由は謀反とそれに続く内戦がようやく終わった今、これ以上不必要な血を流して、女王およびウォダー王家に憎悪が注がれるようなことだけは避けたかったからである。
それゆえランマルは、血気にはやる将兵たちをなんとか諫めて「穏便策」を選んだのだが、そうはいっても実際にとった手法というのが、兵士たちに鉄槌などで屋敷の扉を破壊させて中に突入させ、立て籠もる人々を一人残らず縄で縛りあげて強引に家屋から引きずりだすというものだから、それがはたして「穏便策」であったかどうかは意見の分かれるところかもしれない。
それでも双方に負傷者の一人もださなかったことに、ランマルは満足していた。
検分や調査が終り次第、捕縛した貴族たちを自分の独断で罰することなく解放したことは、いつぞやのヒルデガルドのように女王の不興をかう恐れもあったが、そのときはそのときだと覚悟を決めて彼らを不問に付したのである。
かくして多少の「すったもんだ」はあったものの、それでもどうにかこうにかすべての事後処理を終わらせたランマルは、ようやく今日、国都に帰ってきたというわけである。
王城に入ったランマルは、そこで出会った部下のフォロスから女王が執務室ではなくバラ園にいると聞き、そのまま城の中庭にあるバラ園へと向かった。
途中、エマ王女にも帰城の挨拶をしてこようかとランマルは思ったのだが、そのエマはというと、兄のカルマンが追放処分をうけて国外へと去ったあの日以降、城内の自室に引きこもりがちになり、フランソワーズとさえもろくに顔を合わせようとしないでいた。
むろんランマルなどは論外で、一日、さすがに心配になって慰めの声をかけにいった際には、
「入ってきたらグーで殴るからね!」
と、扉越しに恫喝される始末である。
恋人に対してずいぶんな話だと、ランマルはぼやかずにはいられない。
城の回廊を歩いていたランマルの前方にバラ園が見えてきた。
城の北側に位置するバラ園は、遡ること七代前の国王が自身のバラ好きが高じ、中庭のひとつをまるまる造成したもので、以後歴代の国王に受け継がれている。
真紅、白、黄色といったさまざまな色の無数のバラが、園内の敷地を埋めつくすように咲き乱れ、その合間を縫うようにタイル敷きの園路が縦横に走っている。
ランマルがその園内に足を踏み入れたとき、庭園の現在の主人たるフランソワーズが園路の一画に立ち、ドレス姿のまま園芸用のハサミを手にバラの手入れをしていた。
フランソワーズの趣味のひとつにバラの栽培がある。手入れの技術や栽培知識は玄人はだしで、園芸業者を雇うことなくほぼ一人でこのバラ園を管理しているほどだ。
ランマルはゆっくりと傍らにまで歩を進めると、その場に片膝をついてかしこまった。
「ただいま戻りました、陛下」
「お帰り、ランマル。ずいぶんと向こうで苦労したそうね」
そう言葉をかけつつも振り返ることなくバラの手入れを続けるフランソワーズに、ランマルは小さく頷いて見せた。
「はい。特に貴族の心情には厳しいものがありました」
「そう……とりあえず、詳しい報告を聞きましょうか」
ようやく手を止めたフランソワーズはその場から歩き出し、園内に建つ四阿に場所を移した。
そこで女官らが運んできた紅茶を飲みながら、ランマルは現地での出来事と顛末をフランソワーズに語って聞かせたのである。




