第七章 かくて戦姫は絆を断つ その⑥
自分の来訪に気づいて振り返ったカルマンのもとに足早に近寄ると、ランマルはうやうやしく一礼した。
「お待たせいたしました、殿下。事前にお知らせしましたように、これより女王陛下からの御沙汰をお伝えさせていただきます」
「承知した。だが、その前にひとつだけ教えてくれないか、ランマル」
「はい、何でございましょうか?」
「同盟に与した貴族らへの処分はもう定まったのか?」
そう問われることを予期していたランマルは、こころもち声調を整えてから応えた。
「はい、殿下。彼らの処分はすでに定まっております。女王陛下は速やかに降伏したことを考慮なされて罪一等を減じ、同盟に参画したすべての貴族に死罪ではなく、爵位および領地の没収を申し渡しました。むろん財産もですが、こちらはわずかではありますが彼らの手元に残ることになっております。全財産の一厘ほどではありますが……」
一厘という具体的な数字を口にしたのは余計だったかなとランマルは思ったが、とくにカルマンには落胆した様子はなかった。それどころか満足したように微笑み、
「そうか……それはよかった。爵位や領地を失えど、生命さえ長らえれば彼らもいつかは名誉を回復できる日が来よう。それで、ダイトン将軍らへの沙汰は?」
「は……将軍たちには、その……」
一転して返答に窮し、口ごもったランマルにカルマンはわずかに眉を曇らせ、
「その様子だと、やはり減刑は無理であったか?」
「は、はい。再三にわたる投降勧告を拒否したこともあって、女王陛下はダイトン将軍および将軍に追従する者たちすべてに死罪を命じられました。いずれ投降ないし捕縛された時点で刑が執行されることになっております」
そうランマルが伝えたとき、カルマンは重い沈黙に沈んだがそれも長いことではなく、やがて絞りだすようにつぶやいた。
「そうか……どうやら私の首ひとつでは、彼らまでは救えなかったようだな」
「…………」
何と言葉をかけていいかわからず、今度はランマルのほうが黙りこんでしまったのだが、しかしいつまでも黙しているわけにはいかなかった。
「それでは殿下。女王陛下の御沙汰をお伝えいたします」
意を決してそう告げると、ランマルは小脇に抱えていた木箱の中から、厚紙に包まれた一通の書簡を取り出してそれを眼前に掲げた。
「上意である!」
その一語にカルマンが片膝をついてかしこまる。
ランマルは厚紙の中からさらに一枚の宣告状を取り出すと、内心で大きく息をつき、全身の勇気と覚悟を総動員してそれを読みあげた。
「王国宰相カルマン・ルイ・シャルル・ド・ウル・ウォダー大公。先の謀反および内戦における咎により、その首謀者たる汝に国外への追放を申しつけ……えっ?」
一瞬、ランマルとっさに口を閉ざし、手にする宣告状に顔をぐっと近づけて書面を凝視した。
緊張のあまり読み間違えたのか。もしくはやるせない心情が目の錯覚でも引き起こしたのかと思ったのだが、しかし何度読んでも書面にはあるべきはずの「死を賜る」とか「自裁を命ず」といった非情な文言のかわりに、「国外追放」の四文字が記されてあったのだ。
(国外への追放? 何これ、どゆこと? 死罪を申し渡すんじゃなかったの!?)
予想外の事態に直面して、ランマルは自分の役目も場の状況も忘れて思考停止に陥ってしまったのだが、やがて思考力が回復するとランマルはすべてを理解した。
すなわち、女王が兄のカルマンを許し、他の貴族たち同様に罪を減じたということをである。
むろん国外追放も十分に重刑ではあるが、命さえあればいつの日か罪を完全に許されて、祖国の土をふたたび踏むこともできるだろう。人間、死んでしまえばそれっきりであるが、生きてさえいればいくらでも可能性はあるのだから。
まさに罪を憎んで人を憎まず! フランソワーズの予期せぬ寛大な処分に「いいとこあるじゃん、あのスイカップは!」と、ランマルは底知れない興奮と嬉しさにおもわず小躍りしかけたのだが、とっさに自制したのはカルマンの姿が目に入ったときである。
予想外の処分に内心驚いているだろうに、そんな心情など表情にも態度にもだすことなく、あいかわらず片膝をついた姿勢で黙している。
そんなカルマンの「大人の態度」を前にして、ランマルは自分の未熟さや子供っぽさというものを痛感して気恥ずかしさをおぼえたのだが、ともかくひとつ咳払いをした後、ランマルはあらためて宣告状を読みあげた。
「王国宰相カルマン・ルイ・シャルル・ド・ウル・ウォダー大公。先の謀反および内戦における咎により、その首謀者たる汝に国外への追放を申しつける。期限は本日より三日以内とするものなり。オ・ワーリ王国女王フランソワーズ一世……以上であります」
弾む声と高揚する気持ちをどうにか抑えつつランマルが言い終えると、カルマンは低頭したあとに静かに立ちあがった。
そしてランマルの顔をじつと見つめながら口を開いた。
「ランマル。最後にひとつ、お前に頼みたいことがあるのだが」
「はっ。私にできることでしたらなんなりと」
エマ様への伝言かなとランマルは思ったのだが、この直後、カルマンの意外な一語に声を失うこととなった。
「どうかフランソワーズを守ってやってくれ、ランマル」
「……は?」
とっさに言葉の意味を理解しそこねて目をパチクリさせるランマルに、カルマンがさらに語を継いだ。
「あれは烈しい女だ。むろん、その烈しさと天賦の武才があったからこそ現在の彼女があるわけだが、しかし、あの烈しい思考性がいずれ自身の仇となる日が来るやもしれん。そんな日が来なくてすむように、万が一にも仇を招くような兆しが妹に見えたのなら、そのときはお前が諫めてくれ。余人はいざ知らず、ランマルよ。お前の言うことなら妹は受け入れるはずだ」
「…………」
ランマルにはとてもそうは思えなかったが、あえて黙っていた。
カルマンがさらに言い継ぐ。
「重ねてフランソワーズを頼む。私が言うのも奇妙と思うかもしれないが、これは偽りのない本心だ」
「は、はい……」
消え入るような声でランマルが応えるとカルマンは微笑し、
「では、さらばだ、ランマル」
そう言うなり踵を返し、そのままホールから出ていった。
そんなカルマンの去りゆく後ろ姿を、ランマルはなかば放心した態で見つめていた。
去り際に見せたあの笑み。ランマルには一生忘れることができそうにもなかった。
王族として生まれながら謀反人として咎をうけ、今まさにその罪で祖国を追われようとしているにもかかわらず、そんな悲哀を微塵も感じさせないほど穏やかであったあの顔を……。
†
ランマルが王城に帰ってきたのは、日没が間近に迫った夕刻のことであった。
城内に入ると、その足で真っ先に女王の執務室に向かった。
使者の役を務め終えたことを報告するためだが、その執務室に足を踏み入れたとき、ランマルは驚きのあまりおもわず目をみはった。
それというのも部屋の窓際に立って外界を眺めていたフランソワーズが、黒いドレスを着ていたからだ。
これまで赤、青、白、ピンクと、さまざまな色のドレスを着たフランソワーズを見ているランマルであるが、黒いドレス姿を見るのはこれが初めてのことであったのだ。
惚けたようにランマルが場に佇んでいると、気づいたフランソワーズが向き直り、
「どうしたの、ランマル。そんなところにぼうっと突っ立って?」
「い、いえ、失礼いたしました」
慌てて低頭したランマルは、あらためて帰城の挨拶と使者の任を果たしたことを告げた。
「ご苦労だったわね。まあ、座りなさい」
ランマルに椅子を勧め、自らもソファーに腰をおろすと、部屋の扉が開いて二人の侍女が二人分の紅茶を運んできた。
その侍女たちが退室したのを見計らい、フランソワーズがランマルに訊いてきた。
「それで、カルマン卿は何か言っていたかしら?」
「はい。御自身および謀反に与した貴族らへの寛大なご処分に、陛下への感謝の意を口にされておいででした」
「……それだけ? 他に何か言ってなかったの?」
「他に……でございますか?」
続けてそう問われたとき、ランマルは表情の変化を抑えるのに多少の忍耐力を必要とした。
カルマンの別れ際の言葉――フランソワーズの行く末を心配していたことを告げるべきかどうか迷ったのだ。
そして迷った末、ランマルはあえて黙っていることにした。
理由という理由はこれといってなかったのだが、そうすべきだと直感的に思ったのだ。
「いえ、他にはこれといって……」
「そう……お前を使者に指名したくらいだから、何かあるのかと思ったのだけれど……」
独り言のように応じると、フランソワーズゆっくりとソファーから立ち上がり、そのまま部屋の大窓を開けて露台に出た。
そこで手摺りに両手をおき、しばしの時間、そこから望める城外の景色を黙して眺めていたのだが、やがて室内にいるランマルをかえりみて、
「ランマル。ワインを一杯持ってきなさい。赤でも白でもいいわ」
言われたとおりに赤ワインをクリスタル・グラスに満たして露台に出ると、ランマルはうやうやしくそれをフランソワーズに手渡した。
だがフランソワーズがそれを口にすることはなかった。自ら呑み干すために持ってこさせたのではなかったのだ。
しばしの間、グラスの中で微動するワインの赤い液体を見つめていたフランソワーズは、やがてグラスを軽く眼前に掲げると、しなやかに手首を翻して中のワインを地上に向かって流し落としたのだ。
その光景を見たとき、ランマルはおもわず息を呑んだ。
それは不本意ながらも袂を分かつことになった人への――そう、カルマンへの告別の杯であったことを察したからだ。
事実、露台から地上に向かって流れ落ちるワインの液体を、哀愁をこめた表情で見つめるフランソワーズの口からは次のような一語が漏れたのである。
「さようなら、お兄様……」
その声はあまりにも低く小さく、おそらくは当人ですら発声した自覚がないのではと思われるものだったが、ランマルにはたしかに聞こえたのである。
そしてカルマンが宵のうちに軟禁先の子爵邸を退去し、母親やわずかな近習の者らをともない国都を離れたという報告が王城にもたらされたのは、その翌朝のことであった……。




